第十一話 元凶
アリシアさんは上半身の衣服をすべて脱ぐと、自分自身を抱き締めるような形を取った。
女性として胸元を隠すのは当然だったが、俺が診たいのは背中だ。
そのため、俺はアリシアさんに「背中を向けてください」とお願いする。
ただ、そのときにふと目につくものがあった。
「アリシアさん、それは？」
アリシアさんの首には、赤い石の首飾りが掛けられていたのである。
「こ、これは……その……ただの首飾りです」
歯切れ悪く答えたアリシアさんは、首飾りを隠すように背中を向けてくる。
背中を向けて欲しいのでよかったものの、俺にはその首飾りが妙に気になった。
とはいえ、今は首飾りのことよりも施術をすることが先決だ。
俺がアリシアさんに背中を向けるように頼んだのには理由がある。
なぜなら、俺がこれから行う施術は主に背中を中心に診るからだ。
背中には人体に多大な影響を及ぼす神経が多く通っており、同時に精気を全身へ行き届かせる働きを持つ経絡も多く存在していた。
そして、人体に不調が出てくる原因は背中にあることが多い。
たとえ呪いのようなもので、肉体を壊されたとしてもそうだ。
見た目に異変が表れていないのならば、高確率で背中――特に背骨を中心とした経絡に異常が出ているはずである。
俺は焚火の炎と頭上から降り注ぐ月明りを頼りに、アリシアさんの無防備な背中をじっと見つめた。
開いた口が塞がらない、とはまさにこのことだった。
俺は経絡の狂いを診る前に、アリシアさんの肌を見て驚愕した。
アリシアさんの薄桃色の肌には、大小無数の傷がたくさんついていたのだ。
修行の最中に負ったと思われる傷もあれば、間違いなく実戦でついたと思われる傷もある。
それだけではない。
それこそ人間につけられた刀傷よりも、妖魔の牙や爪でつけられた傷のほうが多く確認できたほどだ。
「……醜いでしょう？」
アリシアさんは俺に背を向けたまま言った。
「さっきはあなたに欲情がどうのと言いましたが、このような醜い身体の私に劣情なんて抱かないですよね？」
俺は落ち着きを取り戻して「そんなことはありません」と答えた。
「醜いだなんてとんでもない……とても綺麗ですよ」
嘘ではない。
俺は心の底から本当にそう思った。
「綺麗？ こんな傷だらけなのに？」
アリシアさんは顔だけを振り向かせる。
俺はこくりと頷いた。
「こんな素晴らしい傷を見て醜いだなんて思いませんよ。この傷はアリシアさんがこれまで歩んできた人生そのもの。同じ武人として尊敬します」
アリシアさんは顔を真っ赤にさせると、気恥ずかしそうに顔を背けた。
そんなアリシアさんに対して、俺は可愛い面もあるんだなとクスリと笑う。
しかし、再びアリシアさんの傷を見てこうも思った。
一体、アリシアさんは何者なのだろう？
この傷を見る限り、ただの武人でないことは容易に想像できる。
などと考えたとき、アリシアさんはブルッと身体を震わせた。
俺はハッと気づく。
「すいません。いつまでも夜風に触れさせておくわけにはいきませんよね」
背中の傷に目を奪われて忘れていたが、焚火の炎があるとはいえアリシアさんの上半身は裸体なのだ。
このままでは風邪を引かせてしまうかもしれない。
「それでは今から始めますね」
俺はアリシアさんの背中にそっと両手を当てた。
同時に下丹田で精気を練り、細く長い呼吸に合わせてアリシアさんの体内に精気を送り込む。
ビクンッ！
アリシアさんの身体が大きく動き、続いて小刻みに身体を震わせる。
「安心してください。これは外部から精気を注入されたことによる反応の一種です。身体に危険はないので、落ち着いて深呼吸を繰り返してください」
アリシアさんは言われた通り深呼吸を始めた。
一方、俺はアリシアさんの体内の様子を送り込んだ精気で診る。
これは……。
俺は驚きを通り越して戦慄した。
簡単に言ってしまえば、アリシアさんの体内はグチャグチャだった。
骨や内臓の位置がどうのこうのと言うわけではない。
経絡の流れが常人と比べて信じられないほど乱れていたのだ。
しかもその経絡の乱れは身体の関節のズレまで生み出し、そのせいでアリシアさんの身体能力に凄まじく制限が掛かったような感じになっている。
さらにもっとよく体内の様子を診ると、内臓の機能が年月を経つごとに徐々に衰えていくことも分かった。
このまま放置しておけば、アリシアさんは1年以内に確実に死ぬだろう。
そして、この身体異常は病気や怪我によるものではなかった。
これは間違いなく呪いにやられたものだ。
だが、こんな芸当ができる人間が異国にいるのだろうか？
俺は仁翔さまの紹介で、皇帝からも信頼の厚い中央政府のお偉いさんと知り合いになったものの、そのお偉いさんが統括するあの部署の超人たちにもこんな真似はできないだろう。
それほど、アリシアさんの体内を蝕んでいる呪いは相当なものだった。
いや、待て……。
次の瞬間、俺はカッと両目を見開いた。
アリシアさんの体内の奥に何かがいる！
そう判断した直後、アリシアさんに異変が生じた。
「ああああああああああああああああ――――ッ！」
身体をガクガクと大きく震わせ、まるで拷問でもされているような悲痛な叫び声を上げた。
直後、アリシアさんの体内から上空に向かって何かが飛び出てくる。
それは黒い霧だった。
しかもその黒い霧は、やがてとある生物の姿へと変貌していく。
蝙蝠だ。
黒い霧はあっという間に3.3尺（約1メートル）ほどの蝙蝠となったのである。
こいつがアリシアさんを蝕んでいた最大の原因か。
俺は巨大な蝙蝠を見つめながら、〈無銘剣〉の柄を右手で握った。
巨大な蝙蝠は大気を震わせるほどの甲高い声で鳴いた。
その声量と不気味さは瞬く間に周囲に伝播し、樹上で休んでいた何十羽の鳥たちが一斉に夜空へ飛び去って行く。
無理もない。
あの巨大な蝙蝠はとてつもない邪悪の塊だ。
それこそ、ここに普通の人間がいたら突然死するかもしれないほどである。
だが、道士である俺は違う。
突然死するどころか、むしろ身体の奥底から闘志が湧いてくる。
妖魔を狩るのは、道士の専売特許なのだ。
ましてや、恩人のアリシアさんに憑依していた妖魔ならばなおさらである。
絶対にここから逃がすわけにはいかない。
などと思考を働かせたときだ。
突如、巨大な蝙蝠が俺に向かって襲い掛かってきた。
俺はすかさず腰を落として抜き打ちの構えを取ると、下丹田で練り上げていた精気をさらに強く練った。
すると下丹田の位置に、目を眩ませるほどの黄金色の光球が出現する。
その光球からは火の粉を思わせる黄金色の燐光が噴出し、あっという間に黄金色の燐光は光の渦となって俺の全身を覆い尽くしていく。
〈精気練武〉の1つ――〈周天〉と呼ばれる技法だ。
この〈周天〉を顕現させた道士は、普段の数倍から十数倍の力が使えるようになる。
ただし、この黄金色の光は普通の人間には見えない。
別の〈精気練武〉の技を使える者のみに見える光だった。
そんな〈周天〉を使った俺に対しても、巨大な蝙蝠は微塵も怯まない。
耳をつんざく鳴き声を発しながら、空中から間合いを詰めてくる。
俺は正確に巨大な蝙蝠との距離を測った。
そして――。
「哈ッ！」
俺は鋭い気合とともに跳躍すると、空中で〈無銘剣〉を抜刀して巨大な蝙蝠を叩き斬った。
「キィィィィィィィィィィィィィィ――――ッ！」
巨大な蝙蝠は俺の斬撃に切り裂かれると、けたたましい悲鳴を上げて空中で霧散した。
ふわりと地面に降り立った俺は〈無銘剣〉を鞘に戻さず、中段に構えた剣の切っ先を巨大な蝙蝠が浮かんでいた場所に向ける。
残心だ。
武術において、敵を完全に無力化できたと判断するまで気を抜かないのは基本中の基本である。
やがて落ち着いた雰囲気が周囲に広がる。
ひとまず危機は去った。
俺はようやく残心を解いて剣を鞘に納めると、呆然としているアリシアさんに歩み寄っていく。
「アリシアさん、あなたは何者ですか？ 単なる剣士ではないですよね？」
開口一番、俺はアリシアさんを見下ろしながら訊いた。
「――――ッ」
言葉が出なかったアリシアさんに俺はさらに尋ねた。
「あれだけの呪いを掛けられていたら、常人よりも鍛えていた武人でも心身を破壊されてもおかしくはありません。それこそ、アリシアさんのように日常生活など1日たりとも送れない。でも、アリシアさんは日常生活が送れていた。これはアリシアさんが特別な人間だったことを示している」
違いますか、と俺はアリシアさんの目を見つめた。
「……どうやら、あなたに対する隠し事はここまでのようですね」
一拍の間を置いたあと、アリシアさんは覚悟を決めたような表情で答えた。
「私は異国で魔王を倒した元勇者なのです」
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