表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

雨偲ぶ

作者: ムニプニ

手慣らしまでに。

 うんざりするほど澄んだ青空から、太陽がこちらを覗いていた。

 ねめつけてみたが、数秒で眼が痛くなった。うなだれて、足元のぬかるみを爪先でもてあそぶ。嫌気がさすほど真っすぐに、足元までキラキラと輝いていた。

 じっとりと濡れたパーカーが、仕返しみたいに湿気を放ち始める。雨の名残のペトリコールが、夏の湿度に掻き消されていく。心底溜息を吐いた。

 雨上がりが嫌いだった。

 独りぼっちで取り残された気分になるから。

 特に夏は嫌いだ。空気が粘質で、まるで命を持っているみたいに絡みついてくる。

 そこらかしこに音があふれていて、真綿で首を絞めるみたいに、自分の輪郭を嫌でも理解させられる。

 そんな夏が、嫌いだ。

 でも、雨は好きだ。

 真夏の土砂降りの中で、傘も持たずに散歩をするのが大好きだ。

 バケツをひっくり返したみたいな大雨の中で、立ち尽くすのが好きだった。

 雨粒が音もにおいも形も飲み込んで、みんな押し流されて、ぐるぐると撹拌されて、全部全部洗い流してくれる。

 雨が好きだった。

「……歩かなきゃ」

 張り付いた前髪をはらい、足を動かした。晴れたら歩かなきゃいけない。みじめな濡れ鼠のまま立ち尽くしても仕方がない。どこでもいいから、ここじゃないどこかへ行かなきゃ、あの空に溺れてしまいそうだから。

 顔は上げたくない。でもそうしないと転んでしまうから、前を向いた。

 そうすると、真っ黒な塔が視界に飛び込んでくる。眼を逸らしたくても無理だ。なにせこの島は、あの塔を中心に造られたのだから。

 天から垂らされた黒い柱。

 上空数万キロ上にある静止衛星『アマノウキハシ』、そこへと続く軌道エレベーターだ。

 正確には建造中の、だけど。

 夢物語みたいなことを、現実のものにしてしまうから、人間は恐ろしい。

 ある日、3Dプリントするような気軽さで、カーボンナノチューブをどこまでも伸ばし続けることができるようになった。

 なった、なんて今でこそ言えるけど、すごいことらしい。専門外だから、これっぽっちも実感がわかない。

 わかっているのは、あの塔を見ていると胸の底が焦げつくようにジクジクすることだけだ。

 息を吐いて、ゆっくりと吸い込む。ジメついた空気が、スライムみたいに肺を犯してくる。それでも息をしなくちゃ、それでも前を向いて歩かなくちゃいけない。どうせ背を向けたって、この島にいる限り逃げ場はないんだ。

「そんな格好していると、風邪ひくよ」

 聞き慣れた、優しい声がした。イオリさんだ。

 イオリさんは相変わらずだった。ぼさぼさで、色素の薄い髪。ヘーゼルナッツみたいな色した真ん丸な瞳。やや不健康そうに日焼けしていない青白い肌。向こう側が透けそうなくらい色味が薄くて、なんだか存在感すら希薄で、頭の上に輪っかが浮いていて、天使みたいだった。

 でも天使なんかじゃない。最新のMR技術だ。

 環状ドローンが投影する映像に過ぎない。本物は遥か空の上、衛星の中にいる。薄っぺらくて当たり前なんだ、だってそこに居ないんだから。透けてないことに感心すべきなのだろうか。

「何しに来たんですか」

「家にいないからさ。また散歩かと思って」

「だからって、別に探しに来る理由はないでしょう。わざわざドローンまで持ち出して」

「そんなつんけんするなよ、家族なんだから」

「家族だからって仲良くしないといけない理由はないでしょ」

 寧ろ、家族だからこそ度し難いことだってある。

「まあ久しぶりに休みだからさ。会いに来たんだよ」

「会いに来ないで寝てください。忙しんだから」

 まあまあ、となだめられる。こっちは本心から来てほしくないというのに。

「せっかく晴れたんだし、俺も散歩しようかな」

「そうですか。じゃあお好きにどうぞ。晴れたら帰るので」

「そう言わずに。いつもの店でお茶でもしないか。俺の奢りでいいよ」

「……じゃあティラミスも付けてください」

 イオリさんは、しょうがないと肩をすくめて見せた。

 店内に入ると、MR用の席へ通される。備え付けられているドッグにドローンが着陸すると、サファイアガラスのモニターにイオリさんの顔が映った。

 この島は単身赴任者とその家族の為に、どこでも大抵こういう設備が備わっている。

 運ばれてきたのはティラミスと珈琲のセットだ。

 珈琲の甘い香りが鼻孔をくすぐる。我慢できずに一口含んだ。やっぱり熱くて、少し後悔する。舌を冷やすために、ティラミスのクリームだけすくって食べた。

「その食べ方、お姉さんそっくりだ」

「……別にいいでしょ。どんな食べ方でも」

 サファイアガラス越しに、こちらを見透かされているようで気分が悪い。ティラミスに罪はないから食べるけど。

「褒めてるつもりだよ。いつも美味しそうに、少しずつ食べるから」

「ええ、いつも通りティラミスも珈琲も美味しいです。コナコーヒーを飲むならこの店に限りますね」

「うわ、ずる」

「ごちそうさまです」

 画面の中で、イオリさんは羨ましそうにストローを齧っている。中身はきっとぬるいインスタントコーヒーだろう。少しだけ溜飲が下がる気がした。

「この店も変わらないね」

「この店どころか。この街は変わりませんよ」

「そうだね。……もう何年になるかな」

「さあ。三年を越えてから数えていません。意味のないことですから」

「……確かに時間なんて大した問題じゃないか」

「空の上はそんなに楽しいですか?」

「どうかな。ここに天国はなかったよ」

 窓の外には、やっぱり軌道エレベーターが見えていた。ここから見ると根元はドームのようになっていて、実はそれほど真っすぐ建っていないことがよく解る。

 あの塔なのか、ドームなのかは判然としない巨大建造物は、大半が実質ハリボテらしい。外から見える部分は軌道エレベーター本体ではなく、それを包み込む建物なのだ。

 軌道エレベーター、その本質はあくまでも衛星とケーブル。だから、外側自体は鞘であれば良い、らしいのだ。

 長大で頑強なケーブルは作れた。問題はそれをどう空まで持ち上げるかだった。静止衛星にうまく引っ掛けることができない。なら、衛星自身から垂らし続ければ良いのだ。

 材料と設備さえあれば限りなく伸ばし続けることができる。新技術なら、それが可能だった。

 勿論、ゆっくりと時間をかけてカーボンナノチューブ製のケーブルを延伸し続けると、様々な障害に行き当たる。だから、保護する為の設備が必要だった。それを御歴々が苦慮してどうにかしてくれたそうだ。

 それがあの伽藍洞の外殻、空虚な柱『アメノヌボコ』だ。そして、この人工島自体もそこから延びる基盤に過ぎない。だから、この島には、あの塔から逃げる場所なんてないんだ。

 そのケーブルを作っている責任者がイオリさんだ。イオリさんは建設時からもう何年も地上に降りてこない。

「もうだいぶ出来ましたね」

「そうだね。うまくすれば今年のお盆には帰れるかもしれない」

「……聞いてないんですけど」

「それを伝えに来たからね」

「……」

 ニコニコとした笑みが憎らしくて、珈琲で言葉を飲み干した。ようやく冷めて丁度良い。

「あんなもの作ってどうするんですか」

「いやー、どうするんだろうね」

「なにそれ。無責任すぎるでしょう。だいたい、今時現実的じゃないんですよ」

「まあね。実際、デブリや自然災害など課題は多いし、まだ一般向けには早すぎるし」

 でもと、イオリさんは微笑んだ。

「これが俺達の夢だから」

 ああそんな、そんな笑顔はずるいじゃないか。

「イオリさんは、まだ空にいるんですか?」

「うん、それが仕事だからね」

「別にもう良いんじゃないですか。ケーブルは順調に伸びてるし、もう終わるんだから現場は誰か他の人に任せてしまえば、」

「うん、もう終わる。だからこそ、俺が居なくちゃいけない」

 遮るようにイオリさんは言った。

 真っすぐとした眼で、こっちを見つめてくる。

「俺達が始めたんだから、最後まできちんと終わらせたい」

 サファイアガラス越しの瞳はこちらを見ているようで、遠い何処かをうつしていた。その真っすぐな瞳に、嫌気がさす。

「イオリさんはずるい。……そういって、もう何年も空から帰ってこない」

「ごめん」

「そろそろ身体も限界なくせに」

「ごめん」

「……また、姉さんを置いていくんですか?」

「うーん、そう言われると困っちゃうな」

 イオリさんはへにゃりと笑いながら、頬を掻いた。

「シノブもきっと解ってくれるさ」

「――――」

 そのだらしない笑顔が、嫌いだった。

 また独りぼっちで、夏の底に取り残される。

「ごめん、トラブルみたいだ。家まで一人で帰れるか? 支払いはしておくから」

 モニターの奥で何やら騒がしい音が聞こえる。申し訳なさそうにイオリさんは謝っていた。

「大丈夫。いつものことだから」

「本当にごめんね。また埋め合わせはするよ」

「前もそう言った。できない約束はしなくていいよ」

「手厳しいな、本当に。誰に似たんだか」

 誰に似たかなんて知りたくない。自分のことなんて解りたくもない。

 外ではまた雨が降り出していた。大好きな夕立だ。

「風邪ひかないようにね。傘はさしなよ?」

「約束できかねます」

 困ったな、とイオリさんは苦笑する。白々しいんだ。言うことを聞かないと知ってる癖に。どうせ風邪を引いたって、傍にはいてくれない癖に。

「もう行くんで。イオリさんも勝手に行ってください。好きだけ、ずっと」

 イオリさんはまた困り顔だ。もっと苦しそうな顔をすれば良いのに。

「解った。お盆には帰れるように善処するよ。約束だ」

「約束なんて期待してないから」

「手厳しいなあ」

「でも、」

 久しぶりに、笑顔を作る。表情筋がりそうになりながら、精一杯笑って見せる。

「でも、義理は違えないでくださいね、にいさん」

 雨が好きだ。

 ぐるぐるとわだかまる全部を、洗い流してうやむやにしてくれる気がするから。

「きょうだいは永遠なんですよ?」

三題噺【ティラミス、カーボンナノチューブ、サファイア】でした。

twitterで募集させていただいたお題をもとに書いたのですが、思いの外、時間が掛かってしまいました。

やはり指の筋トレが足りませんね。リハビリに励みます。


ところで、手癖で書くといっつも同じような話ばかりですね。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ