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シルカ  作者: 鷹尾翠
生存主義
9/15

空弔い

 退院した私が命じられた仕事はよりにもよって遺体処理だった。正確にはそのためのトラックの運転。

 元のドライバーは遺体回収作業に駆り出され、退院したての負傷兵や女性兵士がドライバーをやらされていた。アルヴィナとエーリャも同じ仕事を命じられていた。

 11月も終わりが近づき、今みたいに地面が凍りついていることの方が多くなっている。だから遺体はすぐには腐らず、走破性の低いトラックでもオフロード走行ができるわけだが、私にとってはどうでもいい。

 撃破された戦車の回収の方が精神衛生上はるかに良かったけど、そっちは専門のチームが当たっている。

 スモリンスク飛行場を巡る戦いで第111機甲師団と第112、113機械化歩兵師団は壊滅を通り越して全滅と言ってもいい状態になってしまったらしい。

 ユニオン空軍は制空権を取り返すことがついにできず、せいぜいが一時的な航空優勢だった。それに引き換え西方連合軍は後退先のレミングスクから航空支援を絶え間なく送り続け、ユニオン地上軍は凄まじい犠牲を出した。それでも数で押し切ろうとしたが、結局西方連合軍は致命的な損害を出すことなくスモリンスクから撤退していった。

 後に残されたのは焦げついた兵器の残骸と屍山血河。そのほとんどはユニオン軍のものだ。理不尽な犠牲の多さと戦果の乏しさだが上層部はこんなものでも「勝利」として扱い、宣伝するんだろう。

 なんともいえないやりきれなさがこみ上げてくる。

 凍りついた大地に横たわる遺体に五体揃っているものはほとんどない。砲弾の爆発でどこかしら吹き飛ばされてたり、重機関銃の弾を食らって上半身と下半身がサヨナラしてたり、とにかくグロテスクで気分が悪くなってくる。

 積み下ろしが完了したと教えられるまで目を瞑って耐える。

 それでも遺体が荷台に積まれる度に振動が伝わってくる。おまけに腐敗臭とも違う、それでいてはっきりとわかる死臭。それはマスク代わりの布ではとても遮れない。

 胸がむかむかして寒いのに汗が出てくる。時々眩暈と吐き気がする。そしてそれらが発作のように周期的に訪れる。ゲロ吐いてないのが不思議なくらいだ。

 周りで遺体を回収している連中の中に実際に吐いているやつを多く見かけた。

 実に嫌な仕事だ。

 そして積み込みが完了したら私はトラックをスモリンスク郊外の仮埋葬地へと走らせる。前に注意している間だけ嫌な気分がほんのわずかに薄れる。

 そして仮埋葬地で遺体を降ろしたらまた回収作業に戻るのだ。

 この憂鬱なルーティーンに終わりは見えない。


 ◇


「嫌なことでもこらえてやってしまえばいつの間にか終わっているものだ」

 たしかにその通りだ。日が暮れた頃に作業は終わり、私たちはバス代わりのトラックに揺られてスモリンスク市街地に戻った。

 今の時期、夜は建物の中で暖炉を燃やしてないと凍死待ったなしの寒さなので兵員は全員市街地に戻らされるのだ。

 ただ、市街地の建物を兵員宿舎として徴発したはいいが、建物の多くは酷く損壊している。西方連合軍がスナイパーを排除するために榴弾をバカスカ撃ち込んだらしく、ほとんどの建物は穴が空いたり窓ガラスがなくなっている。中には十五榴でも撃ち込まれたのか完全に倒壊している建物もあった。

 そんなわけで建物の中と外の差は風のあるなしくらいしかなく、そこかしこでドラム缶に薪を放り込んで火を焚いている兵士がいた。彼らの顔は遠目に見てもわかるくらい無表情で士気はとんでもなく低いのが分かる。

 ここの実情を知らない、前世での私がこの光景を見たならキャンプに行った時のような高揚感に身を任せて崩れた建物に登ったり、兵士たちの真似をしてドラム缶ストーブを作ったりしてはしゃいでいただろうが、今の私はそんな気になれない。

 不意にトラックがクラクションを鳴らす。

 見ると兵士たちがトラックの進路を塞いでいた。のろのろと道を開ける彼らは荷台の私たちを羨望のこもった恨めしげな目で見ている。

 彼らの寝床はどこなのだろうか。


 私たちは比較的損傷の少ないホテルの前でトラックから降りた。

 私たち第212機甲師団女性兵士の寝床はここだ。

 ホテルの規模は前世で言ったらビジネスホテルくらいだろうか。宿泊費が安い大衆向けの安宿らしい。

 窓が高い位置にある上に小さすぎてスナイパーも配置できず、結果的に榴弾を撃ち込まれずに済んだようだ。

 嬉しいことにボイラー室も生きていてセントラルヒーティング方式の暖房が稼働していた。暖房が生きている建物を優先的にあてがわれるのも女性兵士だからだろうか。

 先ほど路端で火を焚いていた兵士たちにちょっとだけ申し訳ない気分になる。

 ホールで点呼を取った後、それぞれの部屋へと入っていく。私はアルヴィナ、エーリャと相部屋になった。

 部屋は見た目通り狭く、2段ベッドと小さなデスクしかない。おまけにそのベッドを私とアルヴィナとエーリャの3人で使うことになっている。

 ああ、これはまたアルヴィナが潜り込んでくるパターンだろうか。


 やっぱりそうだった。

 訓練兵時代のように私の胸を枕にしてすうすう寝息を立てているアルヴィナ。

 上の段をエーリャに譲ってやり、私はアルヴィナと下の段で寝ている。

 だが、狭い。とにかく狭い。仰向けになると肩がベッドからはみ出すレベル。おかげで疲れてるのにどうにも寝れない。

 ふと耳を澄ますとかすかに洟をすすり上げる音が聞こえてきた。

 そっとベッドから降りて上の段を覗き込む。

 やっぱり。エーリャが泣いていた。

「エーリャ?」

 呼びかけてみるとビクッとしたのが気配でわかる。

「上がっていい?」

 可能な限り優しい声で聞いてみる。

 返事はないが起き上がってスペースを空けてくれた。私は上の段に上り、エーリャの隣に座る。

「悪い夢でも見た?」

 とりあえず気になったことを質問して話を聞いてみる。

「……アントノフさんの夢」

 泣いてる時特有の声にならない声でエーリャが話し始める。

「好き、だったの。あの人の、こと。何回も怒られて、怒鳴られて、だけど、褒められた時、嬉しくって……なのに……」

 私が予想していた理由とは少し違う理由で泣いてたようだ。てっきり本物の戦場を見た恐怖からだと思ってた。私もそれで病院のベッドで泣いていたから。

 そうか。エーリャってアントノフ曹長のこと好きだったんだ。

 まあ確かに惚れるのも分かる。女だからって容赦なんてしてくれない、厳しい人だったけど、それは私たちの身を案じていればこそだったし、褒める時はちゃんと褒めてくれたし。あとけっこう渋いイケメンだったし。

 膝に顔を埋めてすすり泣くエーリャに私はかける言葉を持たない。あったとしても何の効果もないだろう。

 今はただエーリャの背中をさすってやることしか、私にはできない。

 それとあと、もうひとつ。でもそれはもう少し落ち着いてからだ。


 ◇


 11月末の夜。それは凍えるように寒い。比喩じゃなく零下20度を下回る極寒地獄だ。

 そんな時間に私がエーリャを連れて忍び込んだのは戦車用の駐車場。修理のため後送を待つ車両が並んでいる。

 アルブスの車両を見つけた。天板に無数の穴が開き、エンジンも壊れている。燃料タンクや油圧駆動部に引火して火災にならなかったのは幸運だったけど。

 痛ましい姿を見ると短い付き合いだったけど気の良かった先輩方が思い出される。

 だがここに来たのは感傷に浸って泣くためではない。死んだ先輩方ときちんとお別れするためだ。泣いて落ち込んでいる暇は軍人にはないのだ。

 結局アントノフ曹長はじめアルブスのメンバーの遺体は私には見つけられなかった。ユニオン軍の兵士は認識票を持っていないから区別なんて付かない。

 たぶん他の遺体と一緒に埋葬されたんだろうが、きちんとお別れができなかった。

 だからアルブスの車両のところに来た。ある種の空弔いだ。

 私もエーリャも言葉は発さない。ただただ思い出を反芻して冥福を祈る。

 エーリャは涙を堪えきれていなかった。


 消灯時間が近づく。宿舎に戻る時間だ。

 最後の敬礼をして私たちは戦車に背を向ける。

 もう一つ、私に戦う理由ができた。アントノフ曹長やハリコフ伍長、ニキーチナ伍長が死んではっきり分かった。私はもう絶対に仲間が死ぬのを見たくはない。

 なればこそ、私は仲間のために戦おう。同じ戦車に乗る仲間を死なせないために全力を尽くそう。

 決意を込めて積もった雪を踏みしめて、私は歩く。

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