撃墜
死の恐怖に屈した私がなぜあの特技を身につけるきっかけとなった出来事を思い出したのかは分からない。
生存本能?だとしたら本能って何?なぜ、この体の記憶じゃない、何かの手違いで魂が覚えているだけの前世の記憶を引っ張り出せた?
だがそんな疑問よりも先に片付けなければならないものがある。
「エーリャ。ハリコフさんをどかすの手伝って」
私が砲手席に座って主砲を操作するにはハリコフ伍長の死体をどかさなきゃいけない。私1人の腕力じゃ無理だ。
「な、なんで?何…する気?」
エーリャが怯えた顔で尋ねてくる。
「主砲で敵機を叩き落とす。早くして」
このとき私は完全にどうかしていたんだろう。ゲームでできるからといって現実でも戦車の主砲で敵機を撃墜できるなんて誰も思わない。無理だ不可能だと一笑に付されるのがオチだ。私だってそうするだろう。
でもその時は、それ以外この状況を脱出できる可能性はない、と思ったのだ。
ハリコフ伍長がしていた安全ベルトを外し、力が抜けて重さを増した体を砲手席からどかす。すぐ前の操縦手席にはニキーチナ伍長の遺体があるので移動させる先は私がいた通信手席しかない。
重力に逆らわずに済むとはいえ重量物である遺体を斜め下方向に移動させるのはエーリャと2人がかりでも骨の折れる作業だった。時間にしてみれば1分とかからなかったはずだが私にとっては10分にも感じられた。
丁重に扱う余裕などなく、文字通り通信手席に放り込む。背もたれがないことに不本意ながら感謝してしまう。
砲手席に座る前に砲手用ハッチから外を見渡して敵機を探す。
簡単に見つかった。旋回しながら獲物を物色している。
砲手席に戻る。
血を拭う間も無く座り、主砲の仰角を上げる。エンジンはまだ生きているらしく、油圧式旋回装置はちゃんと動いてくれた。
「エーリャ。榴弾装填お願い」
「う、うん。わかった」
エーリャが今し方我に返ったように、床下の弾薬庫から榴弾を取り出して砲身に放り込む。
砲閉鎖機が閉まる。これで射撃準備は完了だ。
とりあえず照準器に映った敵機を狙う。
同軸機銃を発射。
敵機が気付いて向かってくる。
慎重に照準の中心に敵機を捉える。少しでもズレたら照準器から敵機が見えなくなってしまう。そしたらもう照準修正が間に合わない。
点だった敵機がはっきりそれと分かるようになる。発砲し始めるであろうタイミングまで約2秒弱。その一瞬で必中距離を見極めて確実に当てなければならない。
敵機がどんどん近づいてくる。速度が落ちているのか、私の感覚が加速しているのか──たぶん両方だろう──気持ち悪いほどゆっくりと迫ってくる。
遠目ではハッキリしなかった姿がハッキリ見えてくる。折れ曲がった逆ガル翼と固定脚らしい降着機が判別できる。
エーリャが何か言ってるが言葉が頭に入ってこない。たぶん「何してるの!?」とか「はやく撃ってよ!」とかそういう内容だろう。だが──。
まだだ。舐めくさった敵パイロットのニヤついたツラが見えるくらいまで引きつける。でなきゃ当たらない。
敵機のキャノピーのフレームまで見えるようになる。
そして敵パイロットと目が合った。気がした。
──今だ!!
指先に渾身の力を込めてトリガーを引く。
どん、と轟音と共に57ミリ砲が火を噴いた。
排出された薬莢が床に落ちる前に敵機が吹っ飛ぶ。エンジンから尾部まで貫通したらしく、敵機は原型を留めないほどに四散して地上へと落下していく。
「次!」
次弾装填の指示を飛ばす。
爆弾を投下した後もさっさと引き揚げないような連中が1機撃墜した程度で退くことは期待できない。
素早くハッチから外を覗く。
私の予想に反して他の敵機は空中集合して去っていった。
獲物を逃したらしい味方の戦闘機が虚しく降下してくる。航空支援が来てくれたようだ。
助かった。安堵で全身の力が抜ける。
ふと、ズボンが妙に冷たいと感じて下を見ると、股間が濡れていた。死の恐怖で失禁してしまったらしい。かといって着替えもない。それどころか力が抜けて動けもしない。
「おい!生きてるか!?」
誰かが操縦手席のハッチを開けた。
最悪だ。タイミング悪すぎだろ。せめて乾くまで来てくれるなよ。
身勝手にも罵倒のセリフが頭に浮かぶ。
私の意識はそこで途切れた。
◇
「いやー惑星は今日もいい天気だね〜」
「そだね〜」
「天気がいいと足取りも軽いね〜」
「ほんとそだよね〜」
外に出る気も起きないゲリラ豪雨の中、我らがゲーマーサークルは馴染みのネットカフェのファミリールームに集まり、気の緩んだ会話をしながら War Twister をプレイしていた。
ちなみに「惑星」というのは搭乗員が気絶止まりで絶対に死ななかったり、ぶっ壊れたエンジンや部品が1分もしないうちに直ったりするゲーム特有の事情を「物理法則の違う惑星の出来事」に見立てたスラングみたいなものである。要は War Twister のゲーム内世界そのもののことだ。
「よし、じゃあ今日の天気を予報してあげよう」
また始まった。変わったユーモアセンスがあるサークルのムードメーカー、茜谷クンの惑星天気予報。
「本日の惑星の天気は晴れ。気温、湿度共にちょうど良く過ごしやすい1日になるでしょう。戦車の皆様はお散歩日和ですね」
戦闘シミュレーションゲームにお散歩日和も何もあったものじゃないと思うがこれからがおもしろいのでツッコミはナシだ。
「ただ航空機の皆様は所によりAPDSとなりますので──」
ここでタイミングを図ったかのように敵航空機が茜谷クンに撃墜されたことを示すキルログが表れる。
「撃墜されないよう十分にご注意くださいwww」
茜谷クンが得意満面で天気予報を締めくくる。
とんだ物騒な天気予報もあったものである。
部屋の中が笑いに包まれる。いつまでもこんな風に楽しければいいんだが。
◇
「あ、起きた!」
目の前に見知った顔がある。
アルヴィナ・アバルキナ。訓練所で一緒だった同い年の女性兵士。乗車が分かれてからしばらく会ってなかったせいか、ひどく懐かしく思える。
「ここは?」
「スモリンスク中央病院。負傷した人たちが運び込まれてる」
スモリンスクの地理は知らないが中央病院と言うからには中心市街地にある大病院なのだろう。私が寝ているのも初めて見るような上質なベッドだ。
「ってことは──スモリンスクは落ちたってこと?」
「まあ、そうだね。結局飛行場包囲作戦は頓挫しちゃったけど、昨日の夜のうちに敵はみんな逃げて行っちゃって。もうもぬけの殻。それよりシルカ、大丈夫なの?救出されてからさっきまで2日間も目を覚まさなくて、たまに目を開けたら変な笑い方するしで気が狂っちゃったのかって思ったんだからね?」
なるほどね。寝てる間にスモリンスク奪還作戦は決着が着いてたのか。
それにしても、大して長くもない夢だったのに2日も経ってたのか。それに目を開けたら変な笑い方って一種の夢遊状態だったんだろうか。
恐怖とストレスが原因なのだろうが、珍しい神経障害もあったものだ。
「そうなの?今は大丈夫だけど。というか、アンタと会うのずいぶん久しぶりに感じちゃうね」
まあ、アルヴィナとは友達、ということになるんだろう。乗車が分かれた程度で顔合わせることもなくなるような薄っぺらい友情ではあるけど。
「アタシも。ね、退院したら一緒に飲みに行こうよ。ここじゃあんまり美味しいものも出ないしさ?」
励まそうとしてくれてるのか。たしかにトラウマ必至の体験をした。忘れようがないけれど、何かで打ち消すかごまかすかして進むしかない。時間は残酷だ。
それに旧交ってほどでもないけど久しぶりに会ったついでに一緒に飲むのも悪くない。
「うん。──あ、仲間も、エーリャっていうんだけどさ、連れて行っていいかな?」
エーリャがどうしてるのかは気になる。
「もちろん!」
アルヴィナが笑顔を見せる。
美人ってすごいね。おめかししてなくても笑顔ひとつでかわいいんだからさ。