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シルカ  作者: 鷹尾翠
生存主義
7/15

ロスト

 日の照った午前中。

 それは地上軍の活動しにくい時間帯だ。西方連合軍に制空権を握られているせいでノコノコ出歩いて偵察機にでも見つかるとすぐに爆撃機が飛んでくる。

 だが今は少々勝手が違った。

 マスクヴァ方面からユニオン空軍がスモリンスク飛行場への攻撃を繰り返しており、西方連合空軍はそちらの対処にかかりきりになっている。加えて西方連合軍全体が冬に備えて後退中で、戦力は目減りしている。

 連中としてはスモリンスクからの撤兵が完了するまで防空と補給部隊攻撃によるユニオン地上軍の追撃遅滞ができればそれでいいのだろう。


 そんなわけで日が照っている時間帯から戦車を動かすことになった。

 目標はスモリンスク飛行場。南側から回り道して第111機甲師団と交戦中の西方連合軍守備隊を包囲して叩き潰す作戦だ。

 私は急いでアルブスのMT-3-57に乗り込む。

 履帯に足を掛けて側面の昇降ハッチを開け、車体天板に手を掛けてぶら下がる。そして素早く足から車内に滑り込む。

 履帯に付いたままの泥が座席に付いてしまうが、軽く拭っただけで座り込む。座席が汚れるのを気にする者に戦車兵など務まらない。

 ただし座席が硬いせいでお尻が痛いのは我慢ならなかったので座布団を敷いている。私と同じく痛がっていたエーリャと一緒に作ったのだが、エーリャの方が上手かったのでほとんど彼女にやってもらった。

 ほかのみんなも席に着く。

「全員乗ったな?よし、エンジンに火を入れろ」

 アントノフ曹長が始動を命じる。

 MT-3シリーズはたしかに信頼性が高くて、軍のお財布や整備員に優しい類の戦車ではあるのだけど、実際はあちこちクセが強くて乗り込む兵員にはハードだった。

 例えばエンジン始動時。

 ニキーチナ伍長はグロースイッチを押して、ジッと待つ。

 スターターレバーに指をかけて、グローの最短時間と思われるタイミングで、レバーを捻る。セルモーターがエンジンを回す。

 ゴウゴウとエンジンが唸りを上げるが、やがてその唸りは止まってしまう。

 始動失敗。

 MT-3はバッテリーが貧弱でセルモーターによる始動のチャンスは一回限りだ。

「おい!何してんだよ!?」

 ハリコフ伍長が野次を飛ばす。

「仕方ないだろ!フィルター注油もせずに100km以上走ってきたんだぞ。エンジンがヘタってるんだ」

 ニキーチナ伍長は口を開きつつも、別の始動方法を行うべく、手を動かしていた。

 圧縮空気のバルブを開き、その圧力でエンジンを始動する。

「もう一度回します」

 ゴォーッ!という圧縮空気の送られる音が響き、エンジンがゴウゴウと回り出す。

 ニキーチナ伍長が少しアクセルをあおるとディーゼル特有の黒煙がブワッと吹き上がり、騒音がまき散らされる。

「かかった!」

 ニキーチナ伍長が嬉しげな声を上げる。

 MT-3のエンジンはかかってしまえば頼もしい。寿命が短いという欠点はあるけど、扱いやすくてパワフルだ。そして、滅多なことじゃエンストしないというのが最も心強い。

 噂ではこのエンジン、シリンダーを数本飛ばされてもエンストせず、数十分は動き続けるらしい。

 エンジンが回り始めると無線機に電力が供給され、電源が入る。

 首に咽頭マイクをセットしてヘッドホンを着ける。

 無線機をチェック。

 異常なし。ユニオン軍の戦車には無線機が標準装備されている。ここはソ連とは違うところだ。すごくありがたい。

「無線機、異常なし」

「よし。シルカ、中隊各車からの報告を」

 点呼を取って動けない車両が出ていないか確認する。

「第3中隊各車、状況報告を」

『2号車アーコフ、いつでも出せます』

『3号車スラチェンコ、準備よし』

『4号車キスリツィン、チェック完了です』

 中隊12両分の状況確認が取れてから出発となる。

「前車、準備完了とのことです」

「よし。第3中隊、全車前進!」

 アントノフ曹長の号令で一斉に戦車が動き出すのがハッチから見える。

 戦車は視界が悪いので戦闘態勢に入るまではハッチを開けておくのだ。

 ニキーチナ伍長の座る操縦席正面にも大型ハッチがあり、会敵予想地点辺りまでは開けておく。視界が広くなり、風が吹き込んで涼しいから。

 もっとも今の季節は11月。日が照っていても吹き込む風は冷たい。


 ◇


 総勢72両のMT-3が1個中隊、つまり12両ごとにΔ型の突撃陣形でぬかるんだ荒野を疾走する。

 第212機甲師団は中隊ごとに分かれて広範囲に周辺を警戒しつつ飛行場を目指す。

 ハッチから外を見れば地平線の辺りから黒煙が立ち昇り、その根元がひっきりなしに光っている。戦闘の光だ。

 私たちはちょうど敵の防衛ラインをすり抜けて突破した形だ。

 ユニオン領は広すぎるため、お互いに「戦線」を構築できない。都市部や交通の要衝を抑えて拠点とし、そこを取り合う。それだけだ。戦線なんてその拠点同士を線で繋いだ概念上の存在でしかない。

 拠点と拠点の間はかなり距離があることが多く、すり抜けるのは比較的簡単。ましてスモリンスクは西方連合軍戦線の最東端だ。それこそ師団規模の機甲部隊ですら容易にすり抜けられる。

『こちら司令車。目標まで約4キロ。全車、臨戦態勢。繰り返す。全車臨戦態勢』

 どこかにいる司令車から指示が入る。

 ここから先はどこに相手が潜んでいるか分からない。スモリンスクに残っている西方連合軍の規模は詳細不明だが鉄道輸送が使えない以上、後退はそう早くはいっていないはず。つまりかなりの数が残っているとみていい。

 交戦中の第111機甲師団がうまく東の方に引き付けてくれているとはいえ、飛行場に近づけば対戦車砲や敵戦車がいる可能性は高まる。

 臨戦態勢の指示に従い、ハッチを閉める。装甲化されているのですごく重い。

 ニキーチナ伍長も正面の大型ハッチのロックを外す。

 ハッチはそのままゆっくりと落ちてきて閉まる。もっとギロチンみたいな勢いで閉まるかとも思ったけど、どうやらオイルはちゃんと差されてるらしい。

 アントノフ曹長は訓練中と同じように身を乗り出したままだ。


 不意に通信が入る。

『敵襲!敵襲!』

『11時方向!敵機襲来!急降下爆撃機24!来ます!』

 ペリスコープを見ると西の方から24の機影が接近してくる。

 どうやらレミングスク辺りからの来援らしい。スモリンスクの飛行場には防空部隊と小規模な急降下爆撃隊しか残っていなかったはず。そちらはユニオン空軍の相手で手一杯のはずだ。

 心臓の鼓動が速くなる。

 敵。私を殺そうとする相手が接近してくる。こうなる覚悟はしていたはずだが、いざ敵の脅威に晒されると恐怖が湧き起こる。

『総員回避行動!真っ直ぐに走るな!』

 司令車からの指示で各車がバラけてジグザグに走り始めるが悪路でジグザグに走るとかえってスピードが落ちている。おまけにてんでバラバラに回避行動をするせいで余計に密集するところも出ていた。

 今まさに私たちの目の前でそれが起きている。

 鳥のようなシルエットが6つ、黒点に変わる。どうやら私たちの中隊の前の密集した車両を狙っているようだ。

「第3中隊!対空射撃!援護しろ!」

 アントノフ曹長がキューポラに設置された14.5ミリ旋回機銃を発射し始める。僚車も一斉に発砲し始め、沢山の青い曳光弾が敵機めがけて飛んでいく。

 私も加勢できればいいが生憎と通信手席の機銃は対歩兵用。車体に固定されていて仰角が足りない。

 敵機は対空射撃など意にも介さず、突っ込んできた。

 そして爆弾を投下し、機首を引き起こす。

 気持ち悪いくらいゆっくりと爆弾が降ってくる。いや、私の感覚が加速してゆっくりに見えるんだろう。

『爆発するぞ!』

『散開!』

 味方の通信が騒がしくなり、一瞬で耳障りなノイズに変わる。

 散開する前に爆弾が炸裂し、前方にいたMT-3-75が2両吹っ飛んだ。なんとか直撃は免れたらしいもう1両もお尻から煙を吐いて動かなくなる。

 直後に別の爆弾が炸裂し、またMT-3が何両かやられた。

 爆弾を投下して敵機は上空へと避退していた。

 とりあえずは助かったらしい。狙われなかった幸運に安堵してしまう。

『敵機旋回!こちらに向かってきます!』

 僚車から通信が入る。

 天井のハッチから覗いて見ると3機が接近してくる。

「来やがったか。エーリャ!例のブツを出せ!」

 キューポラの縁に腰掛けたアントノフ曹長が叫ぶように言った。走行音とエンジン音がうるさいがインカムがあるので声は聞こえる。

「曹長!これを!」

 エーリャが曳光弾だけを詰め込んだ弾倉をアントノフ曹長に渡す。アントノフ曹長の指示で野営中に作っていたものだ。

 アントノフ曹長は旋回機銃からセットされていた弾倉を抜き取り、エーリャから受け取ったものと交換した。

「何発ぐらい入れてある?」

「入るだけ詰め込んでます!」

「上々だな」

 アントノフ曹長は曳光弾を装填した旋回機銃を構えて空を睨む。

「メリークリスマスだバンディットども!このサンタクロースアントノフがプレゼントに鉛のオモチャをくれてやるぜ!」

 何を言い出すかと思えば。というかこの世界にもクリスマスってあったんだな。異世界ってよく分からない。

「曹長!クリスマスは来月ですよ!」

 ハリコフ伍長がツッコミを入れるがアントノフ曹長は聞き流す。

「気分の問題だ!ツッコミは野暮だぞ!」

 アントノフ曹長は車長席に背中を丸めてひっくり返ったように機関銃を構え、空に向かって曳光弾を断続的に撃ち上げる。

 命中はしなかったようだが、敵機の冷静さを奪う効果はあった。鳥のようなシルエットが黒点に変わる。降下を始めたらしい。

 恐怖で鼓動が再び速くなる。だが今はアントノフ曹長はじめクルーを信じるしかない。

「右だ!全速力!」

「了解!」

 ニキーチナ伍長が右クローラーのクラッチを切り、右ブレーキレバー思い切り引いた。全速力で疾走していたMT-3-57は大量の泥を跳ね飛ばしながら横滑りし始めた。

 ニキーチナ伍長はすぐさまブレーキを離し、クラッチを戻してアクセルを一杯に踏み込む。MT-3-57はふたたびエンジンを喚かせ、右方向に疾走し始める。

(すごいな。現実でもこんな回避行動取れるんだ)

 アントノフ曹長とニキーチナ伍長が使った手は私もゲームで知っている。

 急降下爆撃は一旦降下に入るとろくに進路変更できない。特に横方向には。だから敵機が降下し始めたタイミングで急に方向転換すればかわすことは可能だ。

 もっともゲームと現実ではインターフェースが違うから難易度は桁違いだけど。

 それを難なくやってのけるアントノフ曹長とニキーチナ伍長はすごい。

 外れた爆弾が地上に到達する寸前で爆発し、衝撃波で車体が揺さぶられる。

 エーリャが小さく悲鳴をあげたが、車両に損害はない。

 しかし、敵機は爆撃が失敗しても諦めた様子がない。そのまま旋回して戻ってくると機銃掃射を始めた。

 上空には最初に爆弾を投下してきた敵機が旋回している。よく見ると戦闘機らしい。

 どうやら敵は戦闘爆撃機(ヤークトボンバー)との混成編隊だったらしく、ユニオン空軍機と遭遇したら爆弾を捨てた戦闘爆撃機が直掩をやるらしい。

「全車対空戦闘!各車長、機銃で迎えろ!」

 アントノフ曹長が普通の対空機銃弾を装填しながら指示を飛ばす。

『くそっ!子持ちじゃなくなっても帰ってくれねえのかよ!』

『これまでとは勝手が違うな』

 周りの車両からも通信機越しに愚痴る声が聞こえてくる。

「口じゃなくて手を動かせ!来るぞ!」

 アントノフ曹長が味方を鼓舞する。

 私はハッチを閉めて自分の身を守ることしかできない。

 敵機が発砲し始めたのが音で分かる。

 装甲板を叩く音が半秒ほど続き──

「ぐっ!」

 くぐもった悲鳴が聞こえた。

 振り返るとアントノフ曹長が血を流して車長席に倒れ込んでいた。

「曹長!」

 エーリャが叫ぶ。

「抜かった……すまん」

 アントノフ曹長が弱々しい声で詫びる。

「早く手当てを!車長は俺が引き継ぐ!シルカ!2号車のアーコフ軍曹を呼び出せ!指揮権を引き継いでもらわねえと!」

 ハリコフ伍長の指示でエーリャがアントノフ曹長を手当てし始めた。

 私は第3中隊の次席指揮権を持つ2号車のアーコフ軍曹に通信を繋ぐ。

「こちら第3中隊長車。アントノフ中隊長負傷なさいました。2号車車長、指揮権の継承をお願いします」

『!──了解。アーコフ、指揮権を継承する』

 その返事を聞き終わることも敵は待ってくれはしなかった。

 敵機が旋回し、再び向かってくる。機銃掃射を加えるつもりのようだ。

 車内に引っ込むが、気休め程度。戦車の天板は簡単に撃ち抜かれる薄さなのだ。

 ニキーチナ伍長がジグザグに走って狙いを少しでも逸らそうと足掻く。

「全員衝撃に備えろ!」

 ハリコフ伍長が叫ぶ。

 再び敵機が発砲し始めたのが分かる。

 弾丸が天板を叩くけたたましい音が響き、それに混じって果物か何かが弾けるような妙な音が聞こえた。それがなんの音なのか、頭が考えることを拒否する。

 けたたましい音が止み、敵機のエンジン音が遠ざかっていく。

 いつの間にか戦車は止まっている。

 伏せていた頭を上げて身体を確かめる。穴は空いてないし、血も出ていない。奇跡的に無事だったらしい。

「あああああああッ!!」

 突然後ろから金切り声が聞こえてきた。エーリャの声だ。

 振り返るとアントノフ曹長の上半身がなくなっていた。代わりに血ともはや原型を留めてない肉片が飛び散っている。

 その隣のハリコフ伍長も胸部に大穴が開いて血が大量に流れ出していた。

 そして私の隣ではニキーチナ伍長が事切れていた。胸部と腹部に2つも大穴が開き、背中に金属片がいくつか突き刺さっている。

 難しい立場だったろうに、嫌な顔ひとつしないで私たち新米の面倒を見てくれた頼れる先輩の3人が、死んだ。

「ッ!!」

 思わず目を背ける。鼓動が早鐘のように激しくなり、目眩がしてくる。全身にうまく力が入らなくなる。

 死ぬ。殺されて死ぬ。きっとすぐにあの飛行機が引き返してきてまた機関砲を浴びせてくる。次は私がバラバラに砕け散る。

 イヤだ!!死にたくない!!誰か!助けて!!助けてよ!!


 ◇


「このォォォォォ!!墜ちろォォォォォ!!」

 最後の足掻きに機銃を撃ちまくる。

 爆撃で履帯とエンジンをやられ、機銃掃射で乗員が半減した私のM4A3E8は上空を飛ぶIL-2シュトルモヴィクにいいように弄ばれていた。

 先ほどから対空機銃で反撃を試みているが、いかんせんその対空機銃というのがブローニングM2。キャリバー50程度じゃシュトルモヴィクはなかなか墜とせない。ピンポイントでキャノピーに飛び込んでパイロットをノックアウトしてくれれば話は別だけど。

 この状況、ハッキリ言って詰みだ。このゲームにおいて上空から攻撃できるのは明白かつ絶対的なアドバンテージ。

 シュトルモヴィクが再び私に向かってくる。撃墜するなら最後のチャンス。

 必死でブローニングを撃ちまくったがすぐに弾が切れてしまった。

 あ、これ死んだな。

 リスポーン用の予備車両はまだ揃えてないから再出撃もできない。

 諦めたその瞬間、シュトルモヴィクが砕け散った。

 目を疑った。味方の戦闘機はいなかったし、そもそも機銃の曳光弾一つ見えなかったのだ。一体誰がどうやって撃墜したのだろうか。

 画面の右下に表示されるキルログを確認する。

 再度目を疑った。撃墜したのは戦車。それも対空戦車でも何でもない、コメット巡航戦車。対空機銃も積んでないのに一体どうやって?

 戦闘が終わった後、私は件のコメットを使っていたプレイヤーに個人チャットでコンタクトを取った。あれほど必死に抵抗してもちっとも墜とせなかったシュトルモヴィクをどうやって叩き落としたのか、私はどうしても知りたかった。

 帰ってきた答えは予想外にも程があるものだった。

 主砲で!?どうやったらそんなことができるんだ?

「習熟ですよ」

 返ってきた答えは北欧の某白い死神みたいなシンプルで素っ気ないものだった。

 それでもその技術に強烈な憧れを覚えた。

 気がつけば私はその技術を教えて下さいと頼み込んでいた。

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