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シルカ  作者: 鷹尾翠
生存主義
6/15

追撃

 西方連合軍はスモリンスクの残存兵力を殲滅し、マスクヴァまであと一息というところで突然占領地を放棄して後退し始めた。その情報はユニオン軍全体を混乱と憤激の坩堝に叩き込んだ。

 非常事態法令217号という空前の悪法まで出し、兵士たちに退却を禁じ、市民に軍への協力を強制し、軍民問わずに凄まじい犠牲を払い、マスクヴァ防衛線での戦いにおける勝利という戦略目標のために尽力してきたというのに、それが西方連合軍の後退によって全く無意味になったのだ。

 西方連合軍はユニオン軍に出血を強いるだけ強いて自分たちはマスクヴァの強固な防衛線と迫り来る冬の厳寒、そして策源地との距離が開いたことによる劣悪な兵站から逃れようとしている。おそらく鉄道線が充分機能している地域まで後退し、兵力を温存しつつ春までに兵站状況を改善・強化しておく算段なのだろう。

 マスクヴァ防衛線完成までの時間稼ぎのために死に物狂いで戦い、戦死したスモリンスクはじめユニオン諸都市の兵員、市民の犠牲も無駄になった。マスクヴァ防衛線構築作業のために駆り出されたマスクヴァ市民たちの事故や病気による死者、軍のためになけなしの食糧を差し出し、冬を越すための蓄えもなくなった共同農場の餓死者も無駄死にになった。


 西方連合軍が後退し始めたことを市民たちが知ればどうなるか、ユニオン上層部は分かっていたらしい。それこそ暴動が起こり、秩序が失われてしまう。

 マスクヴァ防衛線への戦力集中という決断をし、ユニオン諸都市を損切りした上層部の責任追及、果ては政界との、あるいは現世との別れも避けられない。

 それを恐れたユニオン上層部は虚飾報道と更なる悪手へと走った。


 マスクヴァ防衛線外縁部での西方連合軍との交戦はユニオン軍の勝利。戦力を著しく喪失した西方連合軍はスモリンスクをも放棄し、さらなる後退を始めた。今こそ祖国のため、人民のため過酷な戦いの末に散った英雄たちに報いよ。壊走する西方連合軍を追撃し、祖国侵略の企図を挫くのだ。同胞たちよ、奮起せよ。


 そんな嘘八百の報道が為された。

 軍ではマスクヴァ防衛線西側外縁部に配置されていた兵士たちに緘口令が敷かれた。

 諸君らは英雄的な奮戦により、西方連合軍を退却に追い込み、遂には大規模な後退を決断させるに至った。なお、この事実を虚偽・捏造であるなどと他部隊の兵士ならびに市民に対して吹聴する者はコンチネンタル・ユニオンの秩序を乱し、その存続すら危機に晒す危険分子であり、看過できない。

 西方連合軍との交戦に見せかけるために何もない場所めがけてバカスカ空砲を撃ち、市内まで響く轟音を演出。

 市民たちは最後の砦と称して市内の背の低い建物や地下壕へと閉じ込め、情報源を国営メディアの戦局発表のみに限定。

 そしてマスクヴァ防衛線西側外縁部に配置されていた部隊を先鋒(口封じ)としての西方連合軍の追撃を決定。

 西方連合軍は投入した戦車・重火器・及び大量の弾薬を放棄することなく、殿軍を置いて守りつつ段階的に後退している。

 今から打って出ればたしかに追いつき、捕捉することも可能だろう。

 だが、それでもだ。また犠牲を増やすつもりなのかと私は呆れる。西方連合軍は敗走しているのではないのだ。スモリンスク上空の制空権は維持しているし、殿軍に充分な戦力を割いているはず。

 それにマスクヴァに集結したことでユニオン軍の戦力が整っているとはいっても防衛用の編成かつ大軍ゆえにマスクヴァから出れば動きは遅い。後退する西方連合軍に追いつけるのは寄せ集め同然の空軍と機動力のある機甲師団くらいなものだろう。制空権を保持している相手には分が悪すぎる。

 この、今まで死んでいった人たちの犠牲が無駄になるのを許せない、という感情は何なのだろう。犠牲を無駄にしないためにさらに犠牲を重ねることこそ無駄なのだとなぜ気付かないのだろうか。


 ◇


 だがユニオン軍上層部はマスクヴァ防衛戦構築時に遺憾無く発揮した損切り能力をどこかに忘れたらしく、追撃作戦はすぐに実行に移された。

 しかも私たちの部隊は先鋒のすぐ後ろを進ませられることになった。

 先鋒でないならやられる可能性は低いって?残念ながら別の苦労がある。

 よりにもよって味方の先鋒が使っている重戦車のせいで道がズタボロなのだ。

 戦車は前線の集積所まで鉄道で運ばれるものだが、マスクヴァ・スモリンスク間の鉄道は西方連合軍の空爆で断絶してしまっている。

 だから、先鋒も私たちの部隊も運べるところまで鉄道で運んだ後はスロープを作って地面に下ろし、自走させる、という方式で戦車を前線へ向かわせることになった。

 先鋒の第111機甲師団はユニオン軍の中でも指折りの強力な戦車部隊でマスクヴァ防衛線の西端に配属されていた。慌ただしい出撃で編成は重戦車HT-1を多数含んだ防衛戦用のまま。

 このHT-1が曲者で、圧倒的重装甲ーー車体全周80ミリ、砲塔に至っては正面100ミリ、側背面90ミリ!ーーと85ミリの大口径主砲により、防御力と攻撃力は抜群だがいかんせん重すぎた。なんと総重量50トンである。しかも弾薬や予備履帯といったOVMを除いた状態でだ。

 そんなデカブツが通った後の道はオフロードと大差ないかそれより酷い。ただでさえ、ろくに舗装されていない、土を固めただけの道だ。履帯で派手に掘り返されて道としての体をなしていなかった。しかもこの時には雪が降るようになっていて、積もった雪が溶けることでそこら中が泥沼と化す有様だった。

 戦車以外の車両ーー特にハーフトラックでない普通の装輪式トラックーーがしょっちゅう陥没孔やぬかるみにはまって動けなくなったが、かといって歩兵部隊を乗せてる彼らを置いてはいけない。

 ドーザーブレード代わりの鉄板を装着した戦車が道をならし、そのほかの戦車はトラックとワイヤーで繋げて引っ張るやり方でのろのろと進む。

 当然行軍は当然予定より遅延し、故障で脱落する車両も出始めた。

 加えて後続の補給部隊の遅れも大きな問題になっていた。

 西方連合空軍は防空に戦力を振り向けていたようだが、ユニオン軍が追撃を始めたことには気付いていて、嫌がらせのように補給部隊を攻撃していた。そのせいで補給部隊が夜間にしか移動できずにいたのだ。ただでさえ悪路でちっとも進めないのにこれは泣きっ面に蜂ってやつだ。


 そんな状況とは裏腹にアルブスは賑やかなものだった。

「ニーコー!ウォッカは……じゃなかった、輸送トラックはまだ来ないの!?」

 伸びっぱなしのウェーブのかかった金髪をタンクキャップで隠したニキーチナ伍長がハリコフ伍長に詰め寄っている。

 2ヶ月ほど一緒に戦車に詰め込まれ、通信手として隣に座り、シフトレバーの操作を手伝ったり、機銃で障害物を吹き飛ばしたりしてサポートしていれば彼女の粗暴で雑、ついでに奔放で酒豪な性格が分かってくる。人間の女性の皮をかぶった虎か何かみたいだ。

 そんな彼女は腹が減るか、酒が途絶えると決まってハリコフ伍長に絡む。その様子はもはやギャグだ。誰も止めようとはしない。アントノフ曹長もエーリャも、私も。

「今朝も言ったよな?昼間の移動は無理だから夜しか来ねえぞ」

「ユニオンのトラックは世界一だろ?飛行機なんかに負けやしねえよ!」

「誰から聞いたんだそんなの。ともかく今のトラックは普通に負けるからな?蹂躙されるからな?てめえが飲み散らかした酒ビンみてえに」

「で、ウォッカは?」

「全部飲んだのお前だろうが!ウチの隊の割り当て全部!それだけじゃ飽き足らずに俺が楽しみに取っといたスコッチまで……」

「あ、あれは、敵性品だったから、上官方とか軍属神官殿に見つかる前に私が処分したんだ!うん、感謝してよ!」

「何だ?私に見つかるとか聞こえたが」

 と、噂をすれば軍属神官が現れたが、ニキーチナ伍長はまったく臆しない。

「はい!軍属神官殿!こいつがスコッチを隠し持っていたのであります!」

 普通にバラした。

「なにぃ!?その話……」

 と軍属神官が何か言おうとするが、ニキーチナ伍長はそれを無視してまくし立てる。

「それよか、輸送トラックが来ないのはどういうことですか!?飛行機が怖くて戦争なんざやってられませんよ!献身です!献身の心があれば何となります!今すぐトラックを向かわせるように言ってください!」

 普段信仰してないくせに何言ってんだとか、酒が飲みたいだけだろとか、いろいろツッコミたいとこだが、口に出すことはしない。

「な、バカか貴様、この上だって偵察機が飛んでいるのだぞ?輸送隊が街道に出たら丸見えではないか!」

 ニキーチナ伍長と軍属神官の口論が始まる。

 その隙にハリコフ伍長はそっと素早くその場を離れて雲隠れしてしまった。

「いつもの突撃精神はどこに行ったんですか!?」

「献身の精神だバカ者!私は突撃バカではないわ!」

「軍属神官殿、それでは突撃が悪だというふうに聞こえるのですが?」

 軍属神官はたじろいだ。

「うっ、痛いところを突いてくるな……。ゴホン、突撃は祖国戦友への献身を表す雄々しい攻撃方法だ。だ、だがな、今の時代は燃料が無ければ馬である車両は動かない。航空機に攻撃されると分かっていて、大事な輸送隊を昼間動かすのは阿呆のすることだ。ともかく夜まで休んでおけ。これは命令だ、ニキーチナ伍長」

 軍属神官はそう言い残し、去って行く。

「酒もないのにどうやって休めって言うんだよ……あ、ねえシルカ」

 ここでまさかの私に話をフりますか。

「なんでしょうか?」

「機械洗浄剤って中身はエタノールだったよね?」

 この人、正気か?

「バカなことは止めてください」

「……シルカが冷たい」

 拗ねてる顔してるけどゴメンなさい、全然可愛くないです。顔洗って髪梳かしてから出直してください。戦場じゃ無理でしょうけど。

 とまあこんなのが野営地でのアルブスの日常。こういうのも嫌いじゃない。


 ◇


 スモリンスクへ出発してから7日目。

「諸君、先鋒の第111機甲師団及び第112、113機械化歩兵師団がスモリンスク郊外に到達した。現在飛行場奪還のため空軍と共同で西方連合軍守備隊と交戦中とのこと。我々はスモリンスク南方へと進み、側面からこれを援護することとなった」

 第212機甲師団師団長がブリーフィングを行なっている。

 機動力の高い中戦車で構成された第212機甲師団と機械化歩兵軍団を使って西方連合軍と同じような機動戦をやる腹づもりのようだ。

 退路を絶って都市全体を包囲するのは制空権が取れていない以上、不可能。

 ならば包囲の対象を飛行場だけにし、先鋒を陽動として、機動戦によって速やかに飛行場を奪取した後、スモリンスク市街地に攻め込む算段なのだろう。

 その要を戦略予備扱いだった低練度の部隊にやらせる辺り、ユニオン軍上層部は焦っているらしい。モタモタしていたら後退する西方連合軍を取り逃してしまう、と。

 アントノフ曹長は厳しい顔をしている。

 これはきつい戦いになりそうだ。

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