雪の行軍
戦車兵としての訓練が始まってから2ヶ月ほど過ぎた。日がやたらと長くなり、短い夏の訪れを告げる。雪解け後のぬかるみもマシになってきた。
私たち訓練兵は戦車の扱いを一通り覚え、基本動作をそつなくこなせるようにはなっていた。操作ができるようになったら次は実戦で動けるようになるための訓練だ。
訓練に使う車両も3人乗りのLT-7から新型の5人乗りの中戦車MT-3に変わり、バディは5人編成に変わった。通信手と装填手が加わったことで1人あたりの負担がだいぶ軽くなったのはものすごく助かった。
MT-3は前世だとT-34に相当するのだろうが最初から3人乗りの大きな砲塔になっているらしい。見た目もT-34には程遠く、ZSU-23-4がレーダーを取っ払って主砲を75ミリ砲にしたような感じだ。でかくてのっぺりした平べったい箱型砲塔が特にそっくり。でもまあ、嫌いじゃない見た目だ。
っていうか今世の私の愛称とMT-3にそっくりなZSU-23-4の愛称が同じなのは何か作為的なものを感じる。綴りとか正確なイントネーションなんかは違うけど。
T-34に全く似てないMT-3だが似たところもあるにはあった。ズバリ、扱いにくさ。LT-7時代からいい加減慣れてしまったとはいえ、クラッチレバーがやたらと固くて重い。
いや、コイツの場合はさらに酷かった。個体差があるがギアチェンジに通信手の手を借りないといけないし、ギアを後退に入れる時なんてレバーをハンマーでぶっ叩かなきゃいけないレベルなのだ。なんでこんなところだけT-34に似てるんだろうか。早急な改良を要求する。
「野郎ぬっ〇してやぁぁぁる!!」
そう叫んでレバーに挑む光景がしょっちゅう見られた。
そしてギアチェンジに失敗するとレバーが「ざぁ〜こwざこざこwざぁ〜こwww」と嘲笑う幻聴が聴こえるのだ。何度へし折ってやりたいと思ったことやら。
とまれ、私たちは割り当てられた新型戦車に大いに士気を高め、厳しさを増していく訓練に必死でついていった。
教官たちが駆る嚮導車に従って隊列を組み、無線機越しに飛んでくる指示通りに動き、射撃場に入ったら順番に合図で攻撃態勢に入り、標的を狙い撃つ。これが基本のルーティンであり、ほかにも戦車に積み込んだ装備品だけで野営する訓練、橋のない川を渡る訓練、丸太(前世のソ連・ロシア軍戦車と同じく標準装備されている)をうまく使って悪路を突破する訓練なんかがある。
だがどの訓練も駆け足で採点がかなり甘く、不合格になることの方が珍しかった。多少時間がかかりすぎても、車両のどこかを壊しても、課題の行動をやり遂げればまず合格が出た。
なんでも普通2年以上はかける新兵訓練を1年弱で終わらせる予定らしい。
現在、ユニオンと西方連合は停戦状態にあり、私の故郷の村のあたりまでを西方連合は押さえている。だがその地域だけでは彼らの抱える民の食糧を安定供給することは叶わない。さらに東へと進軍し、アクレイナの大穀倉地帯全域、及びその北東に位置するシルヴァム油田を押さえにかかる。だがそこはユニオンにとっても生命線である。渡せばユニオンは国民を養えなくなる。
結ばれた停戦協定の期間は1年間。それが明けたら西方連合は雪崩をうって進軍してくるだろう。
そうなる前にできるだけ戦力を増やしておきたいようだ。
だとしても促成教育なんて兵力がすり減った軍隊がよくやる悪手だ。
そもそも数合わせに粗製乱造しなきゃならなくなるような状況にしないのが軍隊というものだろうに。ユニオン軍の上層部は何をやっているんだろうか。兵士の頭数で無理やりカバーする腹積もりかもしれないな。街にも田舎にも失業者と避難民が溢れかえってたからアテはいくらでもあるんだろう。
この世界での実戦は経験がないが、今のまま出ればまず最初の戦いを生き残れないだろう。みんなそれくらいトロく、単純な動きしかできないままだ。ゲームでしょっちゅう見かけたカモな初心者そのものだ。私?教官に特別デキがいいと言われる程度には上達した。
寝ても覚めても生き残ることばかり考えて知識と技術の向上に努めていた私は事あるごとにアルヴィナはじめバディのメンバーを巻き込んで先輩方に教えを乞うていた。ここを出て実戦に駆り出されるまでに鴨撃ちの的はなんとしてでも脱しなければ。
この戦争でユニオンが勝ったとしても私が死ねば私にとっては意味がない。私はお偉方がのたまう胡散臭い「献身」を信じて誰かのために死んでもいい、なんて心境には至ってないのだ。
◇
訓練が始まってから半年が過ぎ、駆け足で行われた戦域機動の訓練がものになるーーそう教官方が判断したーーと、訓練場の外へ出ての長距離行軍訓練が始まった。
訓練の内容は森の中に戦車を隠しながら夜間に進軍する、というものだ。昼間に進むと敵の飛行機に見つかって戦う前から爆撃されて損害が出てしまうからだ。
行軍中は編成と役職が固定になり、コールサインが割り振られる。教官が指揮する大・中隊長車と先輩方が指揮する小隊長車の下に訓練兵の乗る車両がつく。特に指示がなければとりあえず隊長車について行けばいい。
季節は冬。短かった夏が過ぎ去り、雪が降り始めた。日がものすごく短くなり、重ね着した防寒着なしではとてもこらえきれない寒さが襲ってくる。
そんな悪条件下での長距離行軍訓練を何度も繰り返すのだ。
訓練が進むにつれて訓練の日数は延びていき、最終訓練では1週間かけて広大な演習場をぐるりと一周することになった。
この訓練は1回だけであり、今までのような役職のローテーション制はない。その代わり、適宜訓練中に役職を交代できる。交代せざるを得ない状況に陥れば、だが。
私の役職は車長だった。しょっちゅう車外に身を乗り出すため、一番寒い思いをする。そんな状況を乗り切る方法は歌だった。毎朝砲弾を抱えて歌いながら走っていたのはこれを学ばせるためだったんだろうか。
『雪の進軍』を鼻唄で歌って誤魔化しているとアルヴィナがそれを聞きつけた。
「ね、それなんて曲?聞いたことないけど」
当然聞いてきた。困ったな。この世界の人間は日本語の歌詞なんて分からないだろう。かといってユニオン語に直そうとしてもうまくいかない。だってユニオン語には「梅干」とか「黍殻」とか「恤兵真綿」に相当する単語なんてないんだから。
「雪の進軍って呼んでるかな」
結局こう答えるしかない。
「へぇー。なんか好きなメロディだよ。歌とか入ってるの?」
「ま、まあ、ね。完成してはないけど」
私が作った曲じゃないがこの世界では私以外に知っている者がいない曲だ。著作権とかは問題ないだろう。前世でもパブリックドメインだったんだし。
雪の進軍 氷を踏んで
どれが河やら 道さえ知れず
馬は斃れる 捨てても置けず
ここは何処ぞ 皆敵の国
ままよ大胆 一服やれば
頼み少なや 煙草が二本
焼かぬ に 半煮え に
なまじ命のあるそのうちは
堪えきれない寒さの焚火
煙いはずだよ 生木が燻る
渋い顔して功名話
着のみ着のまま 気楽な臥所
背嚢枕に 外套被りゃ
背の温みで雪溶けかかる
結びかねたる 露営の夢を
月は冷たく顔覗き込む
命捧げて出てきた身故
死ぬる覚悟で
どうせ生かして還さぬ積り
とりあえず翻訳できる箇所だけユニオン語で歌ってみせた。
アルヴィナはいたく気に入ったらしく、繰り返しハミングで歌っていた。
行軍3日目に達し、森林に覆われた丘陵地に達した。このまま西に進んでいけばスラバ山脈がある。その向こうは西方連合の支配区域だ。昔はユニオンの工業地帯があったそうだが今は工場ごと疎開させられてもぬけの殻だ。
無論、行かない。だが、山脈から冷たい風が吹き下ろされてきて私たちのいる場所の天気を崩すのだ。冬の天気ともなれば殊更変わりやすい。風が強くなり、雪が混じって吹雪になり始めた。
これ以上酷くならないうちに早急に野営地を整えなければならないとして教官が行軍停止を命じた。そして全員で雪を掘り、雪下にシェルターを作り、掘った雪を固めてカマクラを作った。さらに掘り進めてシェルターを通路で繋ぎ、孤立しないようにする。
戦車には開口部に防水シートを被せて雪の侵入を防ぎ、荷物を降ろして外に置いてきた。
それから丸一日は吹雪が酷くて野営地から動けなかった。
たぶん外はマイナス30度くらいあったんじゃないだろうか。おまけにものすごい強風でテント程度じゃ吹き飛ばされてただろう。吹雪に出くわしそうなら雪を掘ってそこに避難。やはり正しかった。
雪の上にテント用のシートを敷き、空になったドラム缶に木の枝を詰め込んで火を焚く。そうやって暖をとりつつ、交代で寝袋に入って休む。
皮肉なことに行軍で昼夜逆転して疲れていた私たちにとっては久し振りに眠い時にゆっくり寝られる時間だった。
ほとんどの者が退屈そうにしていたがアルヴィナは雪だるまを作ったり『雪の進軍』の歌詞を考えて歌っていたりで楽しそうにしていた。
そして寝る時間になるともはや習慣化しているように私の寝袋に潜り込んできた。寝袋には男性用しかないので窮屈なことはなかったがベタベタくっつかれるのは複雑な気分だ。
「ん〜やっぱり2人だとあったかいね〜」
ここ最近は抱きついて甘えてくるようにまでなった。暑い。冬でも暑い。
吹雪が収まり、外に出ると積雪が数メートルも高くなっていた。
まず最初にやらなければならなかったのは雪に埋もれた戦車を掘り出すことだった。
再び動き出してからも積もった雪と雪下に潜む木や岩、地形が邪魔をしてなかなか進めなかった。1メートル前進するのに軽く20分はかかるレベルだ。
除雪車なんてものがない中で私たちは車両をワイヤーで繋ぎ、スタックした仲間をフォローし合いながら少しずつ、だが確実に目的地に近づいていた。
進軍に難儀する私たちを支えたのは歌、それも私が歌っていた『雪の進軍』だった。どうやら野営中にアルヴィナが広めてしまったらしく、訓練兵のほとんどが歌っていた。
雪の進軍 氷を踏んで
どれが河やら 道さえ知れず
車は動かず 捨てても置けず
ここは何処ぞ 皆雪の国
ままよ大胆 一杯やれば
頼み少なや 凍てつく小酒
焼かぬ魚に 半煮え粥に
なまじ命のあるそのうちは
堪えきれない寒さの焚火
煙いはずだよ 生木が燻る
渋い顔して功名話
行けど冬山 はや立ち往生
着のみ着のまま 気楽な臥所
雑嚢枕に 外套被りゃ
背の温みで雪溶けかかる
夜具の鳥羽 じっとり濡れて
結びかねたる 露営の夢を
月は冷たく顔覗き込む
命捧げて出てきた身故
死ぬる覚悟で 前進すれど
敵は豪雪 埋もれて止まる
掻けば崩れる 雪崩が起きる
されど留まるも 退がるも出来ず
どうせ生かして還さぬ積り
翻訳しきれなかった歌詞は全部愚痴から取ってつけたらしい。
この歌に当初教官や先輩方は苦々しい顔をしていたが、いつの間にか一緒になって歌っていた。
ようやく丘陵地帯を突破し、目的地に辿り着いた時には私たちは心身共にヘトヘトで気力だけで立っているようなものだった。
夜中にふと目が覚める。
行軍訓練を終えて宿舎に戻ってきてから泥のようにぐっすり眠っていた。周りも同じだ。何人かオバちゃん兵士が盛大にイビキをかいてるし、隣にはアルヴィナがすうすう寝息を立てている。
私は先のことを考えた。
これから最終試験を経て私たちはどこかの部隊に配属され、戦いへと向かう。
今更ながら怖い。思えば訓練兵生活は良かった。いいご飯が食べられてしかも実戦に出る必要がなく、ただ言われた通りのことをこなすだけ。
もう少し、もう少しでそんな生活ともお別れだ。これからは死がすぐ隣にあるような、いや、生の中に死が半分混じったような世界で生きなければならない。
手段を選ばない命の取り合いの末に生き延びて短い命を拾う、ということを延々と繰り返す狂った世界。その世界に身を置くのを望んだのは私だ。
そこに身を置けば優遇された食事が与えられ、味方から頼られ、讃えられ、憧れのあった戦車に乗れると思ったから。
でも私は本当の意味ではわかっていなかったのだ。気を抜けば死あるのみ、ということの恐ろしさを。
訓練中何度も戦車をエンストさせ、標的を外し、ペイント弾をくらって被撃破判定を出した。1日で複数回死んだ判定をされたこともあった。
前世でゲームしていた時には自分の車両が撃破されても、それは壊れた自車両のビジュアルと自分がやられたことを示す文章が表示されることでしかなかった。その車両が火を噴いていようが、砲塔が吹っ飛んでいようが、搭乗員が全滅していようが、画面の中の出来事でしかなく、悔しさや残念さはあっても恐怖は全く感じなかった。
だが、実際に戦車に乗り、動かしていると撃破された時に自分がどうなるかがありありと実感を持って頭に浮かんでくるのだ。
火災が起これば灼熱の炎に焼かれるか、酸欠で死に、弾薬庫が誘爆すれば爆発で身体が吹っ飛び、大口径の榴弾が直撃しようものなら剥離して飛び散った自車両の装甲内面の破片に貫かれる。
そして生き残って脱出したところで戦車を失った戦車兵に与えられるのは敵の銃弾に撃たれての死か、捕虜としての運命。
今更ながら私は戦場へ赴くことの恐怖に思い至ったのだ。その恐怖を打ち消す信仰心や愛国心、正義感、復讐心といった脳内麻薬を持たない私はこの恐怖にどう対処すればいいのかわからない。
誰か。誰か教えてよ。
無性に何かにすがりつきたくなってアルヴィナを抱きしめてみる。起きない。
昔、怖い思いをした時にきまって大きなぬいぐるみに抱きついて泣いていたように私は声を押し殺して泣いた。この世界に来てから初めて、泣いた。