訓練兵の1日
コンチネンタル・ユニオンは身も蓋もなく言ってしまえば巨大なカルト教団だ。
「祖国同胞への献身」の題目を掲げて大陸中央の国々を纏め上げた連邦国家。曰く、「これから到来する長い冬の時代を生き抜くにはすべての人々が私利私欲を捨て、最大限の献身によって己の役目を全うしなければならない」とのことだ。実に耳触りの良い文句だが、要するに「国の言う通りに働け。働いてもいないのに飯を食う穀潰しの存在は許さない」ということだ。
民間経営の企業など主要産業にはほとんどない。
例えば農業は農産も畜産も国有の共同農場で行われ、収穫も全て国に取りあげられるし、買い上げ価格も一方的に決められる。前世のソフホーズとやってることはちっとも変わらない。前世のウクライナみたく餓死者が大量に出たなんて話がない分まだマシな方かもしれないが。買い上げられた農産物の多くは軍に回され、民間人の食糧はほとんど配給制だった。
恐ろしいことに私は前世の記憶が戻るまでそれが当たり前だと思っていた。
ユニオンの経済や産業は今世の私が生まれた頃から既に国に掌握されていたのだ。
さてここで問題。働けとは言うが故郷と職場を失って避難してきた者はどうすればよいのだろうか。
西方連合の攻撃から逃れてムタノフスクという町まで避難してきたはいいが、今やユニオンのどこに行っても前世のような暮らしは望めないと分かった。
国内の共同農場はどこも私たちのように避難してきた人で溢れかえって新入りなんて採っていなかったし、工場もそれは同じだった。そしてどちらも労働環境は劣悪極まる。ほかの仕事も避難民が就けるようなものはほとんどなかった。かといって無職であることは許されない。今のユニオンは文字通り「働かざる者食うべからず」で無職が立派な犯罪になってしまっている。
職のない者の多くが行く場所は軍隊か、東方開拓団。
私にとって後者は論外だった。東方の果てしない荒野を開梱し、鉱山労働に従事するなどほとんど死にに行くのと同じだ。食糧や生活必需品は定期的な補給に頼らざるを得ないし、その補給もしょっちゅう滞る。おまけに開拓団には犯罪者や脱走兵が大勢混じっており、女性にとっては余計に危険だった。
無論そういう実態は公然の秘密だ。
結局私に選択肢はなく、軍隊に入ることにした。ひとまずは志願兵登録事務所に行き、そこで列に並んでいた時、戦車兵募集の貼り紙を見つけた。身体検査と簡単な学科試験をクリアできる15歳以上の健康な男女という条件しかなく、待遇も歩兵や冷や飯食いの整備員・補給員よりはだいぶマシだったので戦車兵に志願した。戦車に乗れるから、という子供っぽい理由もちょっぴりあったのは否定しないけど。
◇
身体検査と学科試験に難なく合格した私はユニオン陸軍のとある駐屯地で初年兵教育と戦車教育を受けることになった。
志願兵の数はかなり多く、総勢200人近くもいた。驚いたことにその中に女性が30人くらいいた。私が合格したのだから基準も相当甘いのだろうがそもそも戦車兵に志願する女性がいることに驚いた。もっともそのほとんどはマッチョで見るからにタフそうなオバちゃんだったが。
「ね、アンタどこから来たの?」
不意に無遠慮な声を掛けられた。前を見ると私より頭半分ほど背が低い女性兵士が私を見つめていた。小柄で絹糸みたいな金髪を三つ編みサイドテールにした清楚な出で立ち。くりっとした大きな碧眼が可愛らしい。
可愛くてコミュ力高くて人に可愛がられるタイプの娘だろう。
「アクレイナから」
我ながら素っ気ない返事だが私はこの手の女が苦手だった。周りがちやほやするからだろうが、とにかく傲慢で謙虚さの欠片もない。そのくせ猫をかぶって人に媚びるのはやたらと上手いからたちが悪い。そういう女に敵視されるとほぼ間違いなくカサンドラと同じ目に遭う。前世で学習済みだ。
「暗いよー。笑顔でいなきゃダメっしょ!人生は楽しいから笑うんじゃない、笑うから楽しいんだ!って誰かが言ってたわ!」
だが彼女はあっけらかんとした笑顔でそう言った。口角を指でキュッと上げて見せている。あざとい。だがその目や声色に軽蔑の色はない。見たところは。
どうやらコイツは明るさが取り柄の楽天家らしい。たぶん。おそらく。きっと。
「ウィリアム・ジェームズか」
前世で確かそういう名言を残していた気がする。
「そーなの?まあいいけど。アタシはアルヴィナ!ソルファから来たの。アンタの名前は?」
アルヴィナ、か。まあ数少ない同年代だし、悪い奴でもなさそうだし、仲良くなっておくか。
「シルヴィア。シルカって呼んでくれていい。よろしくアルヴィナ」
笑顔を作って簡単に自己紹介する。
「うん!よろしくねっ!シルカ!」
アルヴィナは満面の笑みで抱きついてきた。やっぱりコイツ、人との距離が近い。
「整列!」
号令に従い、私たち志願兵は4列横隊に整列する。入隊式だ。私の前にはアルヴィナがいた。
太い声で激励と訓辞が続く。これが前世の学校だったら眠気に負けて立ったまま舟を漕ぎ始めていただろうがそうはいかない。教官が怖いから。
ふいにアルヴィナがモゾモゾピクピク動き出した。どうやらコイツ、じっとしてるのが苦手らしい。だが入隊式の最中に変な動きをしてタダで済むわけがなかった。
爪先を動かしたり手を開いたり握ったりして必死に堪えていたアルヴィナに容赦なく教官のゲンコツが直撃した。なんとか頭を押さえるのは我慢したようだがチラッと見えた横顔は涙目だった。
その日のうちに私たちはいくつかの班に分けられた。班長は先輩兵士で他にも班付きの先輩方が何人かいる。彼らが私たちの教育係だ。
基本的に女性兵士の班には女の先輩たちが付くのだが私の班には男の先輩たちが付いた。幸いまともそうな人ばかりだったが。
◇
最初は2か月の初年兵教育で兵士としての基礎を叩き込まれる。歩兵の訓練だ。
兵士の朝は早く、朝6時に起床ラッパの音で起き出し、点呼を取ったら銃を持って歌いながら走り込み。これがとにかくキツい。歌の歌詞ときたら、前世じゃピー音だらけ間違いなしの下品な内容な上、呼吸が調節しづらくなり、最初の頃は難儀した。おまけに銃を持ってるせいでじわじわと腕に疲労が溜まってくる。
ヘトヘトになって食堂に向かい、カーシャという野菜粥みたいな朝食をかきこむと今度は座学。戦車の仕組みから操縦方法、取り扱い上の注意から整備の方法まで学ぶ。もうちょっと進むとフォーメーションや戦術についても学ぶらしいが、今はまだ。
現実の戦車はゲームと違って1人では動かせない。操縦は操縦手、攻撃は砲手、指揮は車長が行う。つまり、最低3人が必要なのだ。
午後の実車訓練では3人で「バディ」と呼ばれるグループを作って役職をローテーション制で回していた。監督の先輩の指揮下で全役職を満遍なく訓練し、誰かが欠けてもそれに代われるようにするのだ。
とはいえ、どうしても苦手な役職は出てくる。私は操縦、特に変速に難儀してしょっちゅうレバーと格闘していた。前世じゃ運転免許はオートマ限定だったからクラッチ操作なんてしたことないし、戦車のクラッチはやたらと固くて重い。
それに操縦手だともうひとつ厄介なことがある。蹴られるのだ。
「痛っ!!」
「ご、ごめんね!」
力加減を間違えたアルヴィナが謝罪する声が聞こえる。
戦車はエンジン音がうるさくて車長の声がまともに聞こえない。だから進行方向を指示する際に車長が操縦手の肩を蹴る。ただ力加減がちょっと難しく、慣れてないと強く蹴りすぎる。おかげで蹴られる方はしょっちゅう痣ができるのだ。
(後でなんか奢れよアルヴィナ!)
さっきのは本当に痛かった。まあわざとじゃないっぽいから仕返しはしない。仕返しの連鎖なんて嫌だし。
射撃はゲームで見慣れた照準器に近かったので慣れるのにさほど苦労はしなかったが測距機能やエイムアシストツールなんてものはない。
測距目盛のラインを目安にして相手との距離を暗算で算出するのだ。いちいち頭の中で計算式を思い浮かべていたら時間がかかり過ぎるので勘で狙いをつけられるレベルにしたいところだがそう簡単じゃない。実戦では車体の揺れが収まるまでにあらかたの照準計算を終わらせて静止してから微調整が理想だ。
私は前世の経験もあってすぐにシークエンスを呑み込み、標的に当てられるようになったが、他のみんなはだいぶ難儀していた。
そして車長。流石に車長の仕事は私にとってもオーバーワークで慣れるのに時間がかかった。おまけに車長は装填手と兼任だ。
装填は一番簡単に思えるし、実際そうなのだがとにかく体力を使う。訓練で使うLT-7という戦車の主砲は45ミリ砲なので砲弾自体はそう重いものでもない。
しかし、しかしだ。砲塔は回るのだ。当然砲も動く。だが床や弾薬は動かない。つまり、砲塔の動きに合わせて移動しながら床下の砲弾を拾い上げて装填し、適宜空の薬莢を捨てなければならないのだ。
そんな作業をやりながら指示まで出すのはとにかく疲れる。
結論。どの役職も疲れる。生半可な気持ちで戦車になんて乗るものじゃないな。
ヘトヘトになって食堂へ向かい、夕食を食べる。この時は朝よりちょっといいものが出る。焼き魚とかシチューとか。そこそこ美味しいのでこれが1日の楽しみだ。アルヴィナのおしゃべりに付き合わされるおまけ付きだが。
宿舎に帰ると班付きの先輩方に日常の奉仕をせねばならない。洗濯物を運んだり酒保でお菓子を貰ってきたりとかならまだマシな方。
ストレス溜まってる陰険な奴が班にいると地獄だ。部屋と装備品の掃除を命じられたかと思ったら、酒保で2個までしかくれないお菓子を10個貰ってこいと言われ、なんとか同僚の初年兵と酒保の係官に泣きついて貰って帰ったら、軍靴の紐を通す穴に残った泥などという些細すぎることをタネにキレられる。
男の先輩たちが班付きなのは却って幸運だったかもしれない。正直何されるか少し不安だったが親切にしてもらえた。パシられたりはしなかったし、冷たい水で洗濯していたらお湯を貰ってきてくれたことさえあった。
彼ら曰く、私とアルヴィナは班にいるだけで男連中にとっては充分奉仕になるのだとか。前世で言ったら男所帯のサークルに突如入った可愛い後輩女子ってところか。オタサーの姫ってやつだな。
それにしてもアルヴィナはともかく、私まで姫扱いされるのはちょっと驚きだった。前世の日本人目線で考えれば今の私は美少女だが、ユニオンには私程度の容姿はありふれている。さらに言うと私は愛想がいいとは言えない。
だがここにはそんなありふれた容姿の女性すらなかなかいない。
そもそも女性兵士を採っているとはいえ、軍隊において女性は圧倒的に少数派。そしてほとんどは通信員とか整備員とか補給員といった後方勤務だ。好き好んで前線で戦う女性兵士はあまりいない。いたとしてもそいつは復讐の鬼か、熱烈過ぎる愛国主義者くらいなものだ。
それに比べて私とアルヴィナは特殊だった。
私は死ぬ危険が低いことよりも待遇が良いことを選んだが、他の女性兵士たちはそうではないらしい。たとえ待遇が悪くても前線に行くよりはマシという考えが多数派なんだとか。
でも私に言わせれば死ぬ時は死ぬのだから生きてる間にいい思いがしたい。後方勤務だって遠距離砲撃や空爆でしょっちゅう死傷者を出してるのに待遇は前線で戦う者に比べて格段に悪い。そして武器がないせいで敵に襲われたらなす術がない。
私は味方に冷遇され続けた挙句に反撃ひとつできずに一方的に殺されるのは御免だ。この考えは同性にはなかなか理解されなかったが男性兵士からは好評だったようだ。
アルヴィナはというと思った以上に単純だった。戦車に乗りたかったから。1年くらい前に宣伝用のパフォーマンスで見た戦車がかっこ良くて忘れられなかったらしい。
戦車をかっこいいと言ってくれる女性は今までいなかったらしく、アルヴィナは先輩の男性兵士からえらく可愛がられていた。予想通りだ。
夜。先輩方への奉仕で自由時間が潰れた後、消灯時間になる。速やかに寝ることとなっているし、疲れているからそうなるのだがたまに妙な物音が聞こえてきたりする。
そしてなんの因果か今夜はその物音の源は私の寝台だ。
「おい!なんで隣に潜り込んでんだよ!」
上の寝台にいるはずのアルヴィナが私の寝台に潜り込んで来たのだ。まさか、まさかとは思うが精神衛生上よろしくない想像が膨らむ。
「いいじゃない。2人でくっついてた方があったかいんだからぁ♪」
たしかに。たしかに支給された毛布は前世のそれより粗悪でくるまってもしばらくは寒いけど。だからって普通夜這い同然に他人の毛布に潜り込むか!?あ、でもそういえばコイツは普通じゃなかったな。
だが私は添い寝するならぬいぐるみか抱き枕がいいんだ!
「いいから自分の寝台で寝ろよ!狭いんだよ!」
「イヤよ!あっためてよ!もっとアタシをあっためてよ!アンタのこともあっためてあげるからあ!」
「はあ!?変なウワサとかされたらどうすんのよ!?」
「そんなのどうだっていいじゃないのよ!軍隊じゃ割とありふれてるって先輩も言ってたし!」
オイ、今なんか精神衛生上大変よろしくない情報が聞こえたんだけど?これから先湧き起こる変な想像をどうやって抑えたらいいんだろうか。
「変なマネしたら叩き出すからね」
私はギブアップした。一気に抵抗する気力が失せた。あったまるためだけなら正直ありがたいし。でももし、悪戯でもしてきたら蹴落としてやる。
「わかってるよ。ね、それより聞いてよ。さっきさぁ……」
おしゃべりが始まった。コイツ、夕食の時だけじゃしゃべり足りないらしい。適当に返しながら聞いているといつのまにか眠っていた。
翌朝。
起床ラッパよりも早く目が覚めた。そして見たのはーー私の胸を枕にして幸せそうな顔で寝てるアルヴィナだった。そして私の腕は彼女を抱きしめている。
そんなシチュエーションでも寝ぼけていたからか頭は平静だった。そういえば前世でも胸枕なんてしたこともされたこともなかったな、なんてことを思う程度には。
そもそも前世ではこんなふうにひとつの寝台で添い寝する機会もなかった。それが今世では少なくとも見た目は清楚な美少女と添い寝している。しかも胸を枕にされて。でも、まあ……どうしても嫌、というようなものでもない。
胸がくすぐったいからどかそうかとも思ったが起床ラッパが鳴るまではこのままにしといてやるか。
どうせすぐにまた忙しくて疲れる1日が始まる。それまでほんの少しくらい極楽(?)を提供してあげてもいいだろう。