クレシェフ将軍
『機銃!曳光弾!全車曳光弾を目安に撃ち込め!』
先頭集団のさらに先頭を進むデグチャレフ少佐が無線通信と曳光弾で目標を指示する。
双眼鏡を見ると青い曳光弾が何かに当たって跳ね返っている。
「エーリャ!見えてる!?」
「見えてる!距離よし!」
「装填よし!」
「撃て!」
エーリャがトリガーを引く。
ゲームよりも断然迫力のある素敵な重低音と共に57ミリ砲が火を噴く。
だが外れ。林の中まで飛んで行かず、縁で着弾、爆発した。
訓練では的が丸見えだったから命中率も高かったけど、実戦で味方の曳光弾を頼りに茂みに潜む敵を撃って当てるというのは難しい。
「次!」
すぐに次弾発射を指示。
だが味方が先に命中弾を出した。
林の中で57ミリ榴弾よりも大きな爆発が起こる。赤白の火花が混じっているので敵の弾薬が誘爆したらしい。
『撃ち方待て!目標撃破!』
『こちら132、車長、装填手、砲手負傷!』
『13小隊は下がれ。26小隊と交代』
『全車、森の縁を掃射。歩兵を展開させろ』
「みんな聞いたな!前進!」
確認できる対戦車砲を全て排除したと判断したところで戦車の後ろに隠れていた歩兵部隊が一斉に出て林へ向けて前進する。
するとそれを待っていたかのように赤い曳光弾が飛んできた。
「退避!」
歩兵の指揮官が叫んだが、間に合わず、数人が倒れる。
『林の手前に塹壕がある!』
『怯むな!前進!突っ込んで踏み潰せ!』
『11、12小隊は増速!塹壕にいる敵を炙り出せ!対戦車槍に気を付けろ!」
『了解!』
『残り全車で援護射撃!各車長、通信手は機銃の用意!』
歩兵たちは再び戦車の背後に隠れるが、戦車部隊は速力を上げる。
『いたぞ!』
『痛いのをブッ食らわせてやれ!』
どこかで聞いたようなセリフと一緒に先頭を進む戦車部隊が発砲し始めた。
『フフフハハハ!いつまで隠れてんだァ?かかってこいよ!』
随分威勢のいい人がいるようだ。ついでにサディストで戦闘狂の匂いがする。
いたぶるのは趣味じゃないからあんまりいい気分にはならない。
『こちら121、敵機銃陣地を破壊!』
『生き返らねえように踏み潰せ!』
『よし、よくやった。前進だ。市街地へ急ぐぞ』
郊外の林に隠された対戦車砲陣地を突破するだけで戦車5両が大破、3両が中破し、100人を超える死傷者が出たが882師団の前進は止まらない。
塹壕を避けて進む途中で下を見ると戦車に踏み潰された敵兵が目に焼きついた。
すぐに目を背ける。
あんな死に方はしたくないな。
◇
「輸送隊はいつ到着する?」
「順調に移動中。本日1900には到着予定とのことです」
「よろしい。設営を急がせろ。明晩にはチェックポイント24に向け出発する」
クレシェフ少将が簡易テントに机を並べて無線機と地図を置いただけの司令所で各部隊の指揮官とブリーフィングしている。
予定通りに動きたいのは分からなくもないけど、慌ただしいことこの上ない。
トゥブロヴノ市を落としたと思ったら、すぐに前進基地を設営しろとは兵士使いが荒い。
トゥブロヴノ市内の西方連合軍は存外すぐに投降してきた。
トラックが足りなくて撤退が間に合わずに残っていた部隊らしい。
実際、戦車の1両も彼らには残っていなかった。
残念だな。西方連合軍の戦車見てみたかったのに。
それにしても、事前に聞かされていた情報より随分と少ないのは気になる。
結局、トゥブロヴノ市攻略戦の戦果は燃料切れ寸前の対戦車自走砲8両と歩兵200人弱。
どう見ても主力部隊への側面攻撃ができる戦力じゃない。
偵察機が飛んだ時にはいたはずの西方連合軍部隊はどこに行ったのだ?
「シルカ!こっち手伝ってよ」
考え込んでいたらエーリャが私を呼んだ。
何かと思ってついて行ったら野戦病院の手伝いだった。また嫌な仕事だ。
苦しげな呻き声と血の臭いが充満した空間で負傷兵の身体を拭き、包帯を巻いたり消毒したり、あるいは添え木を当てたり──戦いよりこっちの方が堪えるかもしれない。
私もエーリャもアルヴィナもベルも顔を顰めるのを抑えられない。グゼルカだけがいつも通りの無表情だった。
でも、いくら堪えるとはいっても「嫌だ」とは言えない。
実際人手不足なのは見ていて分かった──「師団」のくせに野戦病院2つだけってふざけてる──し、何より私たちが手伝っている従軍看護婦さんたちは私とそう歳が違わない若手の女性ばかりだった。
その人たちをこんな場所で働かせて、自分はのんびりお茶を飲む、なんて真似は私にはできかねる。
男連中は平気な顔してお茶飲んでタバコ吸ってるけど。
ってゆーかお前らはなんで設営がひと段落したからって先に休んでるんだよ。こっちの水汲みくらい手伝えよ。水の入ったバケツって重いんだぞ。
これだから言われたことしかやらない指示待ち男は──まあ私だって人のことは言えないかもしれないけど忙しく動いてる年下の女の子のすぐ近くで休んでて、手伝いの申し出ひとつ出てこないのか?
そんなだからモテねーんだよ。
いや、でもこれって前世の価値観から出た感情だよな?
異世界に前世の価値観を持ち込んだ私がバカだったか。
「汲んできたよ」
「ありがとう。じゃあこの布巾で手足の泥を落としてもらえる?」
近くの井戸で水を汲んできたら、その水で負傷兵の手足の泥を落とす。従軍看護婦さんの方が当然手際がいい。
別に悔しくはないが役に立ってる実感が薄いと少しヘコむ。
「ッ!閣下!」
軍医殿の声が聞こえてきたので振り返ったらクレシェフ少将が来ていた。
「いや、そのまま。職務を続けたまえ」
敬礼する軍医殿を鷹揚に流してクレシェフ少将はシートに横たわる負傷兵に歩み寄る。
「クレシェフ少将閣下!」
片脚に包帯を巻いた負傷兵が慌てて起き上がって敬礼しようとする。
「構わん。そのままでよい。怪我は大丈夫か?」
おや、驚いた。クレシェフ少将にも意外に優しいとこあったんだ。
ここにいる人間に大丈夫なのはいないと思うけどね。
「はい閣下。自分は脚をやられましたが、早く治して復帰したい所存であります」
負傷兵はどう見てもカラ元気で言った。
「よく言った。それでこそ立派に献身の義務を果たすユニオン軍兵士だ。早くの復帰を期待しているぞ」
クレシェフ少将は初めて見る笑顔で宣った。
ああ、この人ってパットンみたいなタイプだったのかな。敵にも味方にも厳しいけど勇敢な味方には優しい好戦的人種。
──やっぱり好きじゃないな。
不意に隅っこにいた兵士の1人がうわ言を言い始めた。
「あああああ!やめて!やめてくれ!痛い!熱い!やめてくれえええ…」
クレシェフ少将は彼を一瞥し、軍医殿に問うた。かなり不機嫌そうな顔で。
「彼は?見たところ負傷はないようだが」
「歩兵部隊所属の新兵です。おそらくストレスによる神経症かと。錯乱状態で話も…」
すると予想通りというか、クレシェフ少将は震える新兵の顔面を殴りつけて罵倒し始めた。
「この臆病者め!仮病を使って任務を逃れる腹づもりか!?仲間は貴様の代わりに戦って傷ついているのだぞ!さっさと立て!部隊に戻るのだ!さもなくば戦車に磔にして先頭を進ませてやる!」
理不尽で恐ろしいことを口走る少将を軍医殿や看護婦さんたちが必死でなだめようとする。
「おやめ下さい!閣下!彼が戦えないのは本当です!」
随分と勇気ある看護婦さんの制止をクレシェフ少将はあっさりはねつける。
「戦えないなら戦えるやつの盾となって役に立て!」
さすがに力づくで看護婦さんを押しのけるような真似はしなかったが、凄まじい怒鳴り声で看護婦さんは涙目だった。
他の看護婦さんたちは明らかに怯えている。
というか、これって前世でも逸話としてあったような──。
「閣下!司令部より通達です!」
通信兵が駆け込んできたことで思いがけずその場は収まった。
クレシェフ少将はすぐに通信兵と共にテントを出て行ったが残されたテント内の雰囲気は重かった。
「み、皆さん、仕事に戻りましょう!」
沈黙を破ったのはエーリャだった。
◇
「またこれか」
思わず恨み言が漏れる。
10時間以上の連続夜間行軍。しかも今度は目的地も知らされてない。
ちょっとは兵員の寒さ辛さを知ったらどうだと言いたいところだがクレシェフ少将は司令車のハッチから顔を出したまま平然としている。
なんか自分が飛び抜けて頑丈でついでに鈍感なことに無自覚で、部下が愚図でヤワな無能に見えてる人みたいだ。要するにブラック企業社長体質。
この寒さはクレシェフ少将にはなんでもなくても私たちにはものすごく辛い。
「アルヴィナー、ブランデーくれえ」
そろそろ1時間前のブランデーの効き目が切れてきた。
「ちょっと待って」
アルヴィナが外套のボタンを外し始めた。
「何してんだ?」
「凍らないように懐に入れてたから取り出すの手間なの」
エーリャが教えてくれる。
気が利くとこあるんだなアルヴィナって。
「おお、偉いぞ!」
「はいコレ」
「あんがと」
ボトルを受け取ってグビリとやると身体が芯から熱くなる。
感覚がなくなりかけてた指先にも熱が戻る。
「ねえちょっと。私にも下さーい!ハッチ開いてるから寒いんですけど」
ベルがブランデーをねだる。
「アルヴィナ、パス」
「はいな。グゼルカも飲む?」
「…頂きます」
「ちょっと!なんで私スルーするんですか?」
「グゼルカの方が先輩でしょ」
「…先でいいよ」
「ほら、グゼルカだってそう言ってますし。早く渡して下さいよ」
「──ハイ」
どうやらまたアルヴィナとベルがちょこっと衝突したらしい。
巻き込まれたグゼルカも災難だけど──アイツ、気弱なのかニヒルなのか分からない。
縦型社会の軍隊で同輩相手に敬語、後輩からぞんざいに扱われても何も言わず何もしない。
真意が読めない。あるとき突然爆発なんて勘弁なんだけど。
一度ちゃんと話をしたいんだけど──。
◇
偵察報告をもとに地図上に敵戦力を示す駒を置いていく。
その内容にデグチャレフは難しい表情になる。
「飛行場はここか。確認できるだけで戦闘機、爆撃機がそれぞれ約20。戦車に、自走砲の装備もあり、と」
考え込むデグチャレフに対し、クレシェフ少将はすぐに決断を下した。
「南西の3番街道を進むとしよう。そして正面から猛攻撃を加える」
即断即決は戦いにおいて必要なことではあるが、内容によっては犠牲を増やす悪手になる。
クレシェフ少将の下した判断はデグチャレフにとってまさにそれだった。
なればデグチャレフは自身の首どころか命を懸けて抗議する。
「ですがこの街道は広すぎます。両脇が森林とはいえ、機甲部隊が移動すればすぐに見つかってしまうかと。もっと安全なルートがあるかどうか、再度偵察を出しましょう」
「マスクヴァ街道を進む友軍はこの瞬間も戦っているのだぞ。我々が飛行場を叩くのを待っている。安全なルートを探している時間などない」
これだ。この上官は何かと友軍のためと言う。献身もここまで来るともはや異常だ。
デグチャレフの信念からすれば受け入れがたい。
「お言葉ですが、必要な情報を確実につかみ、前線の兵の被害が減るよう全身全霊をかける。それが多くの死者が出ることが解っていて、なおも死地に赴けと命令する者の義務というものではありませんか?」
「口答えするな!貴様は我が隊の犠牲を減らすために友軍に犠牲を強いろというのかね?見ろ!奴らが戻ってきたぞ!これからまた友軍の頭上に爆弾を落としに行くだろう。我々はそうなる前に攻撃を開始せねばならん。こうしてグダグダ議論しているのも時間の無駄というもの。すぐかかれ。今すぐかかれ。速やかに!」
「…はい閣下」
爆撃を終えて基地に戻ってきた敵機を遠くに視認してデグチャレフは肯くしかなかった。
結局俺は軍人としての基本原則──上官の命令には服従──には逆らえないのか、と自虐しながら。