不穏な師団
「総員!傾聴!師団長より訓辞!」
副官殿の声が冷えた空気の中でよく響く。
私たちは隊ごとに整列し、気をつけの姿勢で壇上に上がる男に目線を向ける。
第882混成師団師団長兼軍属神官、アルセーニー・クレシェフ少将だ。
クレシェフ少将は少し特殊な立場にあり、将官クラスの軍人でありながら軍属神官の肩書も持っていた。
どうやら現役時代に上官と揉めて一旦予備役入りし、その時に教会に入ったらしい。
西方連合との停戦協定が期限切れになったのを機に軍に復帰し、今、スモリンスク奪還戦後に編成された機甲部隊と機械化歩兵部隊の混成部隊、第882混成師団の師団長をやっている。
クレシェフ少将が登壇し、マイクを手に取る。耳障りなハウリングの直後に太い声が響き出す。
「最初に兵士諸君に言っておく。これだけは覚えておくがいい。臆病者が勝利のために命を捧げた試しはない。臆病者、それは献身の義務を怠り、勝利の果実のみを得んとする害悪である。軍隊とは!組織だ!何事も組織全体が優先され、個々の自由など、ない。個々の自由を認めろなどと戯言をほざくヤツも稀にいるが、そんなヤツに限って実戦ではクソの役にも立たんゴミクズだ!」
「我々は今や千載一遇の好機を掴んでいる。冬将軍こそ我らの味方!私は彼奴らに同情を禁じ得ない。彼奴らは国に逃げ帰ることもできずに殺され、はらわたを引きずり出され、その血と脂は我らの軍靴と履帯を洗うのに使われるのだからな」
「これも肝に銘じておけ!我らに守りを固めるなどという選択肢はない!たとえ大河が防ごうとも、敵が反転して押し返してこようとも、我らに防御はない!そんなものは彼奴らの役目だ!我々のなすことは!雷雨の如き攻撃!鉄砲水の如き攻撃!ブリザードの如き攻撃!我らの必勝不敗の唯一の戦法は攻撃、攻撃、攻撃戦だ!」
随分とまあ、熱烈で勇ましい演説を考えたものだ。
新兵たちは寒さを忘れたかのように背筋をまっすぐに伸ばして戦意に燃える目で聴き入っているが、スモリンスクを経験した兵士たちの目は冷ややかだった。
「匹夫の勇」とか、「蛮勇」と呼ばれる、勢いだけの勇気を焚きつける文句が大好きなのはどこの軍隊でも同じなようだが、それで地獄を見るのは前線で戦う兵士だ。そしてそれを馬鹿正直に信じた奴から死んでいく。
ま、それはさておき。とある理由から私は笑いを必死で堪えている。
なぜかって?演説の最後の方のセリフを見るがいい。
「諸君らを率いて戦いに参加できることは私の誇りである。諸君も誇りを持って戦ってくれると信じている。今こそ、我らこそが夏に奪われたものを冬に取り返し、祖国への最大の献身を為そうではないか!」
クレシェフ少将が檄を飛ばし、兵士たちが歓声で応える。
でも私は──その檄に笑いを取られこそすれど、熱狂する気にはなれない。
演説のセリフのせいもあるけど、それ以前にクレシェフ少将の本性を垣間見たから。
「興味深いことだな。光栄の意味がよく分かっていると見える。さすがは叩き上げということか」
演説の少し前にクレシェフ少将と各大隊の指揮官方が顔合わせした時、機甲大隊長のデグチャレフ少佐が「お仕えできて光栄です」という社交辞令を言った。
それに対する返しがこういう嫌味っぽい言葉。
「私の話は直立で聞け」
クレシェフ少将がデグチャレフ少佐を制する。
デグチャレフ少佐は思わずビシッとかかとを揃えた見栄えの良い姿勢になる。
クレシェフ少将はその周りを歩きながら言った。
「お世辞を言うのは構わんが、褒美は何も出んぞ。私は軍における基本を重視する。当然、礼儀も含めてだ。出発準備を急がせろ。以上だ」
通りがかりに聞こえてきた会話だけで私はクレシェフ少将に不信感を抱いた。
これはもしかしなくても無能なくせにプライドだけは高い「愚将」にカテゴライズされるお方なのではなかろうか、と。
◇
奪還したばかりのスモリンスクは迅速に拠点として再整備された。
マスクヴァとの鉄道線が復旧し、増援がどんどん送られてきていた。
その内容はまさに玉石混淆というやつで、東方から引き抜かれてきた寒冷地部隊やスキー部隊といったものから、義勇兵部隊や新兵ばかりの訓練途上部隊まであったが、ユニオン軍は何かに取り憑かれたかのように総力を上げて西方連合軍を追撃しようとしていた。
それこそクレシェフ少将が演説で言ったように「夏に奪われたものは冬に取り返せ」ということなのかもしれないが、どれだけ犠牲が出ることやら。
西方連合軍はボナパルトや第三帝国とは比べるべくもない優秀な相手だ。
実際に戦ったのはまだ1回だけで、それも航空機相手だったけど、軍全体の動きを見れば分かる。
ユニオンの国営メディアは連日「冬将軍を味方につけたユニオン軍の猛反撃により潰走中」と報じてるけど、実際のところはロシアやソ連が使ったやり方と同じだ。
補給に困らない場所まで後退を続けて追いかけてくる相手を疲弊させる。
「距離の暴虐」とでも言うべきユニオン領の広さは今やユニオン軍の味方ではなくなり、西方連合軍をユニオン軍の追撃から守る防壁になってしまっている。
西方連合軍が後退していった先のレミングスクやシエフといった町はマスクヴァ防衛線みたく要塞化されてるんだろう。
追撃したところでそこから送られてくる増援に阻まれるのは目に見えている。
それでも──ユニオンは「勝利」を求めている。
他ならぬ市民たちが祖国を守るために戦いを叫び、戦いでの勝利を欲する。
ユニオンの上層部はナショナリズムに火を着けることにはとっくの昔に成功していたらしい。
そもそも情報源がソ連みたく隠蔽と偏向報道ばかりの国営メディアしかない国だ。
私のように前世での知識がない人間なんて簡単に洗脳できるんだろう。
おまけに宗教がそれを手伝っている。曰く──
「人は誰もがその役目を果たすべくして生を受けるのです」
「恐れに目を閉ざすのはやめ、為すべきことを為しましょう」
とんだ欺瞞もあったものだ。
神の慈悲にすがってひたすら祈ればいい、という大衆向けのお手軽信仰が力を失った後に人々の心に空いたニッチに入り込んだ、パチモンの天命思想。
所詮ユニオン上層部の方針を正当化して、人を戦争に駆り立てるためのカルトじゃないか。
冗談じゃない。私の命の使い方は私が決める。
私はユニオンのために死ぬつもりなんてない。
自己中?大いに結構だ。
いい思いをしながら生きられるのは、自分を犠牲にせずに上手く立ち回る自己中だけなんだから。
◇
「またコレか」
新アルブスに割り当てられた戦車は前と同じMT-3-57だった。
あの特徴的なスイカ塗装じゃなく、緑がかった白の冬期迷彩。
この方がいいかもね。あの塗装にしたら色々思い出しちゃうだろうし。
よく見ると周りのMT-3もほとんどは57ミリ砲搭載型だった。
歩兵や陣地よりも対戦車戦を想定した編成らしい。
機動性を重視したのか重戦車HT-1も配備されていない。
これはむしろ喜ばしいかもしれない。
HT-1がいると道がズタボロになるし、かといって不整地を進み続ければ故障したり泥沼に沈んだりでいいことがない。
でも──この編成からするとおそらく第882混成師団の任務は側面援護や機動戦。
スモリンスクでの飛行場包囲作戦を思い出す。
あの時みたく航空機に襲われたら──私はどうすればいいだろう。
主砲で叩き落とすなんて奇跡はもう期待できないだろうし──。
答えなんて思いつかないまま整備員の誰かが気を利かせて用意してくれたらしい小さな梯子を使って戦車に乗り込む。
車長、砲手、装填手は砲塔天板のハッチからしか乗り込めないので梯子があると楽なのだ。用意してくれた整備員には感謝だな。
アルヴィナとエーリャを先に乗せて私は最後に乗り込む。
車長席はハッチの真下にあるからだ。
席の上に立つとちょうどいい具合に肩の下くらいまでハッチから出る。
戦車は窮屈だけど私たちのような小柄な女性──と言ってもアルブスのクルーは全員身長160センチ超えてるんだけど── にとってはそうでもない。
乗り込むのに梯子が要ることと、レバーやハッチがやたらと固くて重いことを除けば、女性の方が戦車乗りには向いてるんじゃないかと思えてくる。
──今更気付いたけど車長である私の席は砲手エーリャの後ろ。
普段ストレートのセミロングにしている髪を纏めたエーリャのうなじが妙に艶っぽい。
同性とはいえ、これは眼福というもの。
だが車長である私が美少女のうなじに見惚れてボサっとしているわけにはいかない。
「全員乗ったな?」
「はいな!」
「乗ってます!」
「…エンジン始動準備完了」
クルーからの返事を確認してからエンジンの始動を命じる。
操縦手のグゼルカことグゼル・ナロリナが圧縮空気バルブを開き、アクセルをふかした。
セルモーターよりこちらのやり方がお好みらしい。正直うるさくて煙たくて好きじゃない始動方法だけど。
エンジンが大量の黒煙を吹き出して回り始めた。
これからスモリンスクの基地を出発し、レミングスクへと後退中の西方連合軍を追撃する。
偵察情報によれば西方連合軍は鉄道を使えず、道路舗装もできないまま車両と徒歩でのろのろと後退しているらしい。
豪雪になる前に下がろうとして充分な事前準備ができないまま後退を開始したのかもしれない。
『第3直掩隊各車、報告せよ』
隊長車から点呼が入る。
「4号車、準備完了です」
私の合図で通信手のベルが隊長車に報告する。
『よし、第3直掩隊各車、発進せよ』
隊長車が動き出すとそれに合わせて一斉に戦車が動き出す。
それと一緒に複雑な気分になる通信が入った。
『我々直掩隊の任務は師団司令部、指揮車両群の直掩だ。後方に位置するとはいえ、気を抜くな』
第882混成師団の中枢となる場所への配置。
責任が重いのもそうだけど、クレシェフ少将のすぐ近く、というのが気が重い。
私の苦手なタイプだから。
不穏な予感がしたまま師団は動き始める。