幕間2 ハンター
ない。とにかく食べ物がない。
そして寒い。それがこの世界の情勢だ。
晴れた日でさえもくすんだような灰色がかった青空しか見られず、直射日光を浴び続けていても前世のそれほど温まる感じはしない。
緯度を考慮しても明らかに日射量が少ない。
「火山の冬」なるものに似た状況のようにも思うがはっきりした理由は誰も知らない。知ったところで意味もない。
10年近く前、夏が来なかった年があったそうだ。
その時、空は今よりも暗かったらしく、1年近くも初春のような寒さが続いた。
当然飢饉になった。
どこの国でも不作ばかりでそれを乗り切るために各国は奔走した。
ある国は軍事力を背景に穀倉地帯と資源地帯を押さえ、周辺の国々をまとめ上げて巨大な連合共同体を作った。
穀倉地帯周辺の国々を締め出して敵対するより、西方の国々の侵略を食い止める防波堤として利用した方が良いと判断したらしい。
連合共同体に入れなかった国々は飢えに苦しむことになったがそんなことはその国にとっては知ったことではなかった。
ある国は近隣諸国と共謀して東方の穀倉地帯と資源地帯への侵攻を企てた。
自国の農地が凶作ばかりという中でいまだに豊かな収穫がある土地が手を伸ばせば届くところにあるならば取らないという選択肢はなかった。
土地を武力で奪うよりも生産物を買った方が安く済むのは少し考えれば分かるだろうが、相手が売ってくれなければ意味はない。
ある国は他国への農作物の輸出を止めた。以前は有り余っていたそれらが今や自国民の分すら賄えるかどうか怪しいほどの大凶作になったのだ。
鎖国する、というのは利己的ではあるが、当然の帰結だった。世界はその国がないと困るが、その国は世界がなくても生きていけるのだから。
その国は海を隔てた向こう側にあり、かつ大陸を統べる大国だったことからどの国も止められはしなかった。
またある国はいくつもの国に分裂し、食糧を巡って内戦を始めた。内戦や軍閥跋扈は近代化によって巨大な統一政権が誕生してから鳴りを潜めていたが──5000年近くに渡っていくつもの王朝が起こってはその度に滅んでいったかの国の伝統みたいなものがその程度でなくなるわけもなし。
食糧危機が起こるやすぐに統一政権は内乱を起こされて倒れ、貧しい地域に住む人々が雪崩を打って豊かな土地に侵攻した。
そんな各国の利己的な振る舞いを嘲笑うかのように寒さは続いた。
空は少し明るくなったとはいえ、日射量の減少が気候に及ぼす影響は大きかった。
夏はかつてのような暑さと明るさを取り戻すことはなく、冬はより一層寒さと長さを増す一方だった。
「世界がゆっくりと死に近づいている」
それが無意識的な共通認識となり、なればこそ人々は自分が生き残るために利己的な獣になった──いや、戻ったのだ。
◇
「いた!」
アルヴィナが歓喜の声をあげる。
小川のほとりに仕掛けておいたくくり罠のひとつに大きな牝鹿がかかっていたのだ。
森の中での野営中に久しぶりに顔を合わせたと思ったら、いきなり猟に連れ出された時は少し腹が立ったが今は感謝だな。
いつ届くのかも分からない補給物資を待ってたら腹が減って仕方ない、狩りをして肉を手に入れれば美味しいシチューが作れると言いくるめられてワイヤーで作った罠を川沿いの獣道に仕掛けて回った労力は無駄じゃなかった。
鹿は私たちを見ると逃げ出そうともがき始めた。
だが鋼製のワイヤーが鹿の後脚をガッチリと掴んで離さない。そして暴れれば暴れるほど摩擦で皮膚を裂き、出血させる残酷な縛だ。
アルヴィナが背中に背負っていた槍を構える。
トドメを刺すために彼女が作ったナイフと木の棒を組み合わせただけの原始的な武器だ。規則で勝手に銃を使うわけにもいかないのでこの槍で心臓を刺す。
アルヴィナが鹿の前に立つ。
すると、もがいていた鹿が観念したのか座り込んだ。
向かい合う1人と1匹。決闘とか介錯とは違う、なんとも言えない光景。
空気がピーンと張り詰める。自分自身の鼓動が早くなるのがわかる。
「キャン!」
胸を突かれたシカが飛び跳ねた。逃げようともがく。
「あ、外しちゃった」
アルヴィナの槍は鹿の心臓に命中しなかったようだ。
アルヴィナは血を草で拭って再び態勢を整える。
それに合わせてなぜか、鹿も再び静かに座り、アルヴィナと向き合った──と、思ったら、くるりと私の方を向いた。
「キューン」というか細く高い声とともに、うるうるした瞳で、じっと私を見つめてくる。
全身で助けてと訴えているのだろう。心にズキズキと何かが刺さる。目を逸らそうにも、身体が固まって逸らせない。
私の鼓動とズキズキが限界に達したその瞬間、アルヴィナが再び鹿の心臓めがけて槍を突き刺した。
鹿はしばらくもがいた後、横向きになり、次第に動かなくなる。
空に向かって伸びていた足がゆっくりと曲がり、地面に落ちていく。
まるで、スローモーションのように。
「死んだの……?」
私の問いにアルヴィナは普段とは違った声色で短く答える。
「うん」
そして祈るような仕草をして目を閉じる。犠牲に対する感謝だろうか。
木の枝に鹿を頭を下にして吊るし、首をナイフで切り裂いて血を抜く。
抜いた血は持ってきた鍋に入れて煮込む。
生臭くなってない、新鮮な血は栄養豊富で料理にだって使える。
ユニオンでは常識だと今世の──アクレイナの村娘、シルヴィア・アヴェルチェヴァとしての──記憶から知ってはいる。
でも前世の──平和に暮らしてきた日本の女子大生、織村知佳としての──記憶に基づく感性はやはり流血が苦手だった。
それに比べてアルヴィナは、なんというか、肝が据わっている。訓練所で見た、ちゃらんぽらんで泣き虫で寂しがりな構ってちゃんの面影は全くない。
実に手際よく鹿の腹をかっ捌き、胃と小腸以外の内臓を取り出して鍋に放り込み、ザクザク刻んで血と一緒に煮込む、というだいぶ精神的に来る作業を涼しい顔で鼻歌まで歌いながらやってのけている。
私はそれを横目にロープで木に繋いだ鹿の身体を小川に放り込む。
冷たい水で冷やして「ぬるい」温度帯を一気に潜り抜けさせないとすぐに腐ってしまうのだとか。
夜になるまで冷やしてから野営地に持ち帰って解体する。そうすれば鹿肉入りのシチューが食べられる。
アルブスのみんなも驚くだろう。ハリコフ伍長あたりは大喜びしそうだ。鹿肉は好物だって言ってたし。
どこもかしこも飢えと戦いで溢れかえっている酷い世界でせめて食だけは楽しみであってほしい。
「シルカ!ソーセージ作るよ!手伝って!」
「あいあい」
鹿の身体を冷やしている間に洗った胃と小腸に血と内臓のごった煮を詰めてソーセージを作るのだ。
アルヴィナがどろっとした名状しがたい半固体の肉だねをしぼり袋で押し込んでいく。私は硬さをチェックしながら腸の端を伸ばす役。
肉だねがなくなると、アルヴィナが糸で腸の両端を縛り、植物のトゲを所々に刺して空気を抜いた。。
そして18cmくらいの間隔を空けて3~4回ひねる。ひねる方向を右、左と交互にし、これを繰り返す。
さらにひねったソーセージを2つ折にして、向かい合うソーセージのつなぎ目を交互に重ねてひねる。
ソーセージの輪っかがひとつと紐状に連なったソーセージが二股に別れた状態になると、次に紐状に連なったソーセージをできた輪の中に通す。輪が完成したら、新たにつなぎ目を交互に重ねてひねるところから繰り返す。
そしてできたソーセージをお湯で煮込む。
これで鹿のブラッドソーセージの完成だ。
欲を言えば味付けにコショウやハーブが欲しいところだが、今のユニオンでは手に入らない。なので味付けは烹炊所でくすねた岩塩だけだ。
2人で1本ずつ味見にかこつけてつまみ食いする。
焚き火でちょっとあぶってからかじる。
臭みもなくて悪くない味だ。レバーペーストにモツのみじん切りを混ぜたような食感だけど、嫌いじゃない。
「いやー、やっぱり作りたてのソーセージは格別ねぇ!」
アルヴィナがウットリした顔で頬張っている。
「1本だけって決めたんだからこれ以上食うなよ?」
一応釘を刺しておく。
「わ、わかってるよ」
やっぱり。声が一瞬裏返ってた。
こっそりもう1本か2本食べるつもりだったな。
◇
「やるなァ!お前ら!」
アルヴィナの車両の車長、メドヴェージェフ曹長がアルヴィナと私の頭をワシワシ撫でる。
「いや〜それほどでも〜」
アルヴィナは謙遜しているが照れ顔を隠せてない。コイツのこの表情は反則的な可愛さだな。周りの男連中の視線を総ナメしてる。
鹿を持ち帰った私たちはアルブスとアルヴィナの車両のクルーとでちょっとしたパーティーをやっている。
ハリコフ伍長とエーリャが腕によりをかけてシチューを作り、他のメンバーは酒とオツマミを持ち寄って焚き火を囲んでいる。
こういう経験は初めてだけどなかなか楽しい。
鹿肉入りのシチューはマズいレーションやお粥とは段違いの美味しさだ。
ここ最近食べた中で一番かもしれない。
こうしていると飢えと戦いばかりの過酷な世界情勢も嘘なんじゃないかとすら思えてくる。
もちろんそんなことはなく、コンチネンタル・ユニオンは穀倉地帯を狙う西方連合と絶賛戦争中で、私はユニオン軍の兵士として戦いに赴く途中で、明日にも補給が完了してこの野営地を出発するかもしれない。
できれば永遠に補給部隊が来ないでほしいところだが、ユニオン軍はノルマに忠実だしな。
でも、今みたいな時間が続くように、というのは切なる願いだ。
「お、やるかァ?」
ニキーチナ伍長の楽しげな声がする。
どうやらアルヴィナと飲み比べ対決をやるらしい。
男性陣が沸き立っている。
「飲ーめ!飲ーめ!飲ーめ!」
声援の中で美少女と女戦士が蒸留酒を煽る。
戦場なのでおめかしはしていないがアルヴィナもニキーチナ伍長もかなり美人だ。
こういうノリの中でも華がある、というのだろうか、見ていて楽しい。
まあ、私としては野郎同士の勝負でも同じくらい燃えるし、楽しいのだが、男性陣はそうじゃないらしい。
9杯目でアルヴィナが音を上げた。
ニキーチナ伍長は勝ち誇った顔で高笑いしている。
「だーっはっは!酒でアタシに勝とうなんざ10年早いぜェ!!」
ホント、ウワバミだなこの人。
「ほら、水飲めよ」
介抱にかこつけて何かしかねない目をした男連中より先にアルヴィナを引っ張ってきて寝かせる。
アルヴィナは何か悪戯を思いついたような笑みを浮かべると、「口移ししてー?」と宣ってきた。
コイツ、悪酔いするタイプか。
男連中の誰かに押し付けてもいいが、何かされでもしたら寝覚めが悪い。
「いいから飲むんだよ」
ボトルの口を無理やり突っ込んで飲ませる。
悪いが酔っ払いの要求を全部聞くほど私は親切じゃない。
「いじわるぅ〜」
まるっきり子供な駄々をこねたかと思ったらすうすう寝息を立て始める。
とりあえずぶっ倒れるようなことにはならなくて安心した。
それにしても──コイツには驚かされたな。ちょっとうざったいアホの子かと思っていたら、熟練のハンターの一面を見せられた。
「人って見かけによらないのな」
根気強く付き合ってると全く違う一面が見えたりするってこういうことか。
いつか、自分の戦車とクルーを持つことになったら──どうなるかな。
私はうまくやれるかな。