灰色の世界
頭の中で弾道を思い描き、敵機の未来位置と弾道が重なる場所に砲弾を「置く」。
言葉にするのは簡単でゲームでやるならさして難しいことではないが現実でそれをやるのは至難の技だ。ましてや戦車の主砲でなど不可能──確かにそう思っていた。
しかし、私が撃った弾は過たず急降下してくる敵機に直撃し、木っ端微塵に吹っ飛ばした。地面に激突した残骸の一つが爆発を起こす。抱えていた爆弾が誘爆したらしい。
また1人か2人、人を殺し、何人かの命を救った。味方からの感謝と賞賛の声で通信が騒がしくなっているが正直虚しく、鬱陶しかった。
私が飛行機を狙い撃ちするとゲームのような高確率で叩き落とせる。照準アシスト機能などない平射用のアナログな照準器で勘だけを頼りに撃ってるのにも関わらずだ。この呪いのような才能は一体どこでもらったのだろうか。
そもそもなぜ、何のために私は本物の戦車に乗って戦争に参加しているのだろうか。
◇
──“War Twister” 戦争の旋風──
それが私、織村知佳が夢中になっていた戦闘シミュレーションゲームだった。綺麗なグラフィックとものすごくリアルに動く兵器。戦車・飛行機・軍艦が同時に戦う斬新かつ壮大なゲームシステム。一般的なHP制ではなく、重要部位や乗組員にどれだけダメージを与えたかで判定される撃破・被撃破。
高校生だった時にネットで広告を見かけてすぐに興味を持ち、ベータテストに申し込んだ。見るからに男性向けなゲームだったがシューティングゲームや軍用車両が大好きなミリオタ女子だった私には全てがカッコよく、楽しそうに思えたのだ。
私が受験を乗り越えて大学生になった頃には正式サービスが始まり、私も一端の中堅プレイヤーになっていた。私が敵機を戦車の主砲で撃ち落とすという特技を身に付けたのはこの頃だった。
ゲームでの対空射撃は現実ほどではないにしてもかなり難しく、対空機銃を使って行うのがセオリーだった。それも大まかな未来位置を表示してくれる照準アシスト機能を使ってである。しかし、それを戦車の主砲でやって成功させるユニカムプレイヤーを見かけて私は強烈な憧れを抱いたのだ。
個人チャットでそのプレイヤーに連絡し、教えを乞うてクランに入れてもらった。人気のゲーム配信者が何人もいるユニカムクランだったがメンバーの人たちは快く入れてくれた。私が女性プレイヤーだから贔屓してもらえたのかもしれないがとにかくよくしてもらった。射撃や立ち回りのコツ、隠れた狙撃ポジションなんかも教えてもらったし、分隊だってしょっちゅう組んでもらえた。
お陰で敵機を主砲で撃ち落とせるようになるまで1ヶ月とかからなかった。
上から攻撃できるという圧倒的なアドバンテージにあぐらをかいて舐めくさった動きをする敵機を木っ端微塵に吹っ飛ばすのは爽快で成功するたびに笑いが止まらなかった。
その日も私は攻撃態勢に入っていた敵の攻撃ヘリを横から駆っていたレオパルトⅠのAPDSで叩き落とした。私自身当たるかどうかは運頼みってくらいの距離だったから自分でも驚いた。
落とした相手プレイヤーにとっては完全にあってはならない類の出来事だったらしく、飛んでるヘリに戦車の主砲が当たるなんておかしいだの、チートMOD使ってるだの、みんな卑怯者を通報してくれだの全体チャットで喚き散らしていた。
その様子を見ているとついゲスな考えが出てきた。
「ごめんねー貴重な優越感に浸れる時間邪魔しちゃってwww」
そう煽ってやったらさらにブチ切れたらしく、戦闘終了した後も個人チャットで怒鳴り込んできた。これが顔を合わせていたら恐怖を感じただろうがネット上でなら滑稽さしか感じない。
相手が支離滅裂な論理と個人攻撃の悪口を私に投げつけ、私が嘲笑と憐みで返すという不毛なやり取りを繰り返しているうちに眠気が襲ってきた。
そしていつの間にか意識は途絶えた。
◇
……という前世の記憶が小麦畑でうたた寝している間に蘇った。
私、シルヴィア・アヴェルチェヴァは【シルカ】という愛称で呼ばれる15歳のいたいけな村娘。村ごとに定められた共同農場で農業に従事する一般市民だ。
村の何人かと手分けして畑の麦がちゃんと育っているかどうか見て回っていた。それで時間が余ったので気が緩んで寝転がっていたらうとうと眠ってしまったのだ。
既に陽が傾き始めていた。共同農場本部に戻る時間はとっくに過ぎている。戻ったら時間に遅れたことを責められるだろうがそんなのは大した問題じゃない。
頭が情報の洪水でどうにかなりそうだった。
女子大生になるまでの20年弱という年月をうたた寝の夢という短い間に経験し、その記憶が一気に15歳の意識と記憶に流れ込んだのだ。
茫然とした頭の中でたちまち今世のそれを上回る前世の記憶が私の意識を席巻し、無数に湧いた疑問と困惑を一つの結論へと収束させる。
「これって……異世界転生ってやつか!」
前世で死んだ覚えなんてない。撃墜した敵プレイヤーと壮絶な煽り合戦の末に寝落ちしただけだ。だが何らかの理由で日本でゲーマーライフを謳歌していた私は異世界転生し、シルカという少女として生きているということらしい。
──やばい。前世の記憶を取り戻したことで元のシルカの生活に戻れる自信がない。それまで当たり前だったことさえ今となっては違和感だらけだ。
例えば自分の姿。傍にあった貯水槽の水面に映った私の姿は……美少女と言っていいだろう。彫りは浅いが目鼻立ちのくっきりしたアニメに出てきそうな顔立ちだ。ロシア系ハーフのキャラにありそうな銀髪に水色の瞳。とても前世の容姿とは似ても似つかない。
例えば周りの景色。あたり一面の小麦畑。そんな景色は前世では見たことがない。田んぼならあったけど見渡す限り地平線までずっと、というのはなかった。
そして何よりも……
「灰色の空……か」
うっすらともやのようなものがかかって汚れたような青みがかった灰色の空。前世の鮮やかな青い空に白い雲が浮かぶ空を見てしまった今、この世界の空が異常なのだと分かってしまう。隕石でも落ちたのか、ピナツボみたいな火山噴火でもあったのか、理由はわからないけど日照量はだいぶ減ってるらしい。
結局混乱が鎮まり、頭がクリアになるまで小一時間ほど座り込んでいた。その間に灰色の空は赤みを帯び始めていた。
本部に戻ろうとした時、どこか懐かしい爆音が聞こえてきて戦車と軍用トラックが何台も近づいてきた。西の方へと向かっているようだ。
トラックが1台道から外れて停車し、運転していた兵士が私に話しかけてきた。
「おい嬢ちゃん!この先に西方連合軍が近づいてる。逃げるぞ。これから村の人たちも避難させる。トラックに乗れ」
それだけ言って彼は私をトラックに乗せて村へと走り出した。
西方連合とは何なのか一瞬わからなかったがすぐに思い出した。
侵略者。私のいる国、コンチネンタル・ユニオンの敵。彼らの故郷が寒冷化で雪と氷に閉ざされた死の世界になりつつあるとかでまだ作物が育つ土地とエネルギー源である石油を求めて侵略して来ているらしい。
私の村はアクレイナと呼ばれる大穀倉地帯にあり、連合軍の目的地に入っているのだ。
油田と大穀倉地帯を狙って東へと侵略する。どこかで覚えのある構図だが……
「東方生存圏」
口を突いて出てきた言葉で思い出した。どうやら私が今世で生まれ育ち、住んでいる場所は第二次世界大戦時代のウクライナに相当するらしい。
「よりにもよって戦争の時代なんて」
嘆きの声が漏れる。
確かに私はミリタリー好きで戦闘シミュレーションゲームに熱中していたが戦争が好きなわけじゃない。むしろ戦争なんて大嫌いだ。どうしても手に入れたい資源・領土・利権が他国にあったとして、それを手に入れるための交渉材料として安易に「武力」を選択するような頭の足りない連中が使う外交カード。
そしてその目的が本来の意味で達成されたことなんてない。槍と弓矢で戦ってた時代ならいざ知らず、銃や大砲が現れてからの戦争なんて資源や命を際限なく浪費した挙句、残るのは大赤字と底無しの怨恨だけってパターンばかりだ。
他にもある。第二次世界大戦時代のウクライナといったら独ソ戦。人間が悪魔に堕ちた最悪の戦いだ。その真っ只中で一般市民がどうなったか、私は知っている。
そんな地獄に向かいつつある時代で遠からず地獄となる場所にいる。笑えない事態だ。
だが今は避難用のトラックで逃げる以外のことはできない。
とりあえずこの世界の現在の情勢を調べてこれからどうするか決めよう。そんなことをトラックに揺られながら考えた。
◇
長くなったがこれが私がこの世界に転生した経緯だ。私の故郷の村は西方連合軍の攻撃で占領され、略奪されたらしい。避難を拒否して残った人たちがどうなったのかは分からない。
私は避難先でユニオン軍に入り、紆余曲折を経て戦車に乗っている。元いた世界では見たことのないデザインだが本物の戦車だ。
どうやらこの世界のユニオンもソ連同様人が死に過ぎて兵隊が足りなくなり、老若男女問わず兵隊にしているようだ。とにかく戦車を動かせればそれでいい。囮の役には立つだろう。おそらく私たちのようなかき集められた促成兵員はそういう風に見られている。
冗談ではない。私が軍に入ったのはそこが一番マシな生活のできる場所だったからだ。断じて使い捨てにされて死ぬためではない。
何がなんでも生き延びてこの時代の先へ行ってやる。
そんな決意を胸に私は今日も戦車に乗り込む。