悲しい現実
先日のイベントから数日が経った。あの日、僕の口内は10年近くぶりに味覚を感じ取った。
だけれど、あの日以来味覚を感じる事は無かった。
というのも、その翌日のことである。
二日酔いで気持ちの悪い中僕は目を覚ました。
「知ってる天井だ……」
目前にはタバコの脂で黄色くなった天井が。どうやら酔い潰れて部室で寝てしまったらしい。クラクラする頭を手で押さえて、ソファから身を起こす。
見渡すともう誰も居ないし、酔った勢いで誰かが壊したのだろう。時計の短針が無くなっている。それにスマフォの電池も切れていた。
「ほぼ遭難だよな……」
今が何月何日何曜日の何時なのか全く分からない。外の明るさからして昼頃か。でも、正確な時間までは分からない。
結構ぐっすり眠れたのか吐き気はしない。
「帰るか」
そう思って身支度を調えていると、不意に部室のドアが開いた。入ってきたのはゆっこだった。誰も居ないと思っていたのか、僕の姿を確認するとビクッとした。
「おおっ。コジローさん、居たんですか。びっくりした」
「ゆっこじゃんか。おはよ」
「こんな時間に何してるんですか。今日土曜日ですよ?」
そうか、今日は土曜日なのか。
「何をしているも何も今起きたところだ。そういうお前は何しに来たんだ」
「ああ。なるほどです。私ですか? 私はドラムの練習でもしようと思って」
「おお。真面目だなあ」
「そんなこと無いですよ。1年生ですし、普通です」
「そんなもんかね。あ、そうだゆっこ。今っていつなんだ?」
「は?」
「いや、スマフォの電池切れちゃって」
「ああ」
そんな問答をしている内に昨日の話になった。
「そういえばコジローさん、昨日めちゃくちゃおいしそうに食べてくれましたよね」
……ん? 僕そんなに演技が上手くなったっけ。
「そうだっけ」
「忘れちゃったんですか? 涙まで流して食べてたじゃないですか」
僕は二日酔いがほのかに残り、混濁した脳をフル回転させて記憶を辿った。
そういえば、昨日食べた物……味がしたような?
「思い出した。確かにあれはおいしかった」
勝手に言葉が口から滑り出た。
「えへへ。やっぱり嬉しいですね。作った物をおいしいと言って頂けるのは」
「……ああ」
「なんか変ですよ? 心ここにあらずというか」
「いや、大丈夫。そろそろ帰るよ」
「あ、はい。おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
……そうだった。僕は昨晩、確かに味を感じた。
帰り道をひた走る。心臓がバクバクとうるさい。
心が跳ね回っているようだった。
家に帰り着くことなく、直接家の裏手にあるスーパーへ走った。
スーパーに着くと、出来合い品のコーナーに行き、コロッケとか天ぷらとか、味覚を失う前に好きだった(と思う)ものを片っ端から買う。財布がスッカラカンになった。それもかまわない。レジを済ますと走って帰る。
家に着くと同時にビニール袋を開けて先ずコロッケから口にほおばる。
そして、口の中にはジャガイモと油の味が……してこなかった。
コロッケ以外もそうだった。天ぷらも、赤飯も、ハンバーグも、そして昨日食べたはずの唐揚げも肉団子も同様に味はしなかった。ただ、油っぽい、固形のなにか、ベトベトした何かにしか感じない。
「何でだよ!!」
昨日とは違った意味で涙が出る。
「何でなんだよ」
一口だけ食べた惣菜の残骸が自分の周りに散らかる。
もう全てがどうでも良くなった。
食べ物の上に倒れ込む。
ぐちゃっとした感触が服越しに体へ伝わる。
「何でだよ……」
止めどなく涙が流れた。
涙の理由は明確に昨日と違うものだった。
嬉しい事から一変。悲しさに転じたときが一番辛い。