僕と味覚
「ウマっ」
ラーメンを口に含んだ途端に僕は声を上げる。
今僕は大学のサークルで組んでいるバンドのメンバーでラーメンを食べに来ている。お店の名前は岩田屋。僕らの通う、私立豊部大学から電車で二駅隣にある、みんなが好きな家系のラーメン屋だ。
きっとこのラーメンは口に含んだ瞬間、豚骨の芳しい香りと醤油の香りが鼻腔いっぱいに広がっているハズだし、噛む度に小麦の香りと、叉焼の肉々しさと、ほうれん草の青みがかった味と香りが混ざり合い、この上なく旨いハズだ。
それに、みんなも旨いと言っている。きっとこれは極上に旨いのだろう。
だろうというのは……そう、僕には味覚が無いのだ。
おっと自己紹介が遅れた。僕の名前は明坂浩司朗豊部大学文学部に通う3年生だ。みんなにはコジローと呼ばれ、かなり仲良くしている。ただ、どんなに仲が良いとは言え、何だか気恥ずかしく、付き合いも3年目になるというのに、まだこの味覚については話せていない。
コンプレックス……と言うよりも、みんなと違うという事がなんだか恥ずかしいのだ。
黙っているというのも、隠し事をしているようで後ろめたいが、勇んで自分から話すことでも無い。そう思って黙っているし、この事がバレないように必ず食べ物を口に含んだ時、反射で「ウマっ」と言うようにしている。
ただまあ、この行為はそれこそ10年近く続けているものだから、もう癖になってしまった。だから、僕にも皆と同じく味覚があると思った友人に、こんなことで困らされる。
「なあ、ここのラーメン、昔より味落ちたよな」
僕の対面に座る草野光樹が完食した後にそう言う。
「昔っていつ?」
光樹の言葉に、彼の隣に座るヒョロッとした細野春樹が疑問を投げる。
「ん~。いつって言われると難しいけど、とりあえず半年前のがおいしかったような?」
「分かる分かる。なんか薄くなったよな。前まではもっと濃かった」
そう答えるのは僕の隣に座る千葉巧だ。
そして巧は続けざまに口を開き、僕がこの世で1番困る質問を投げかけてきた。
「なあ、コジローはどう思う?」
これ。これだ。この質問だけはいつも戸惑ってしまう。だって分からないのだから。このラーメンも、僕にとっては半年前も今も無味無臭の栄養でしかない。だから僕は
「あ~。まあ、あんまわかんないかな」
と、こんな風に、いつも適当にごまかす。昔、一度当てずっぽうで感想を言ったことがあったが、その時は酷かった。どんどんと追加の質問をされ、何も的確に答えられないまま、半泣きでトイレに逃げ籠もったのは、もう思い出したくも無い記憶だ。
それ以来僕はこの手の質問に対して適当にごまかすことにしている。それでまあ、話は進むし、誰も傷つかない。Win-Winだ。
そしてこの日はこのまま大学へ戻り、バンド練習をした。
合わせた曲は確か、TRICERATOPSの『Raspberry』だったと思う。
僕の人となりは大体分かって頂けただろうか。何? あんまり分からない? そうか……なら、とりあえずは味覚の無い人とでも思っておいて貰えば良い。
この物語はバンドに明け暮れる青春モノなんかじゃ無い、ただ、1人の情けない大学生の日常を綴った、味を巡る物語だからだ。