件の日ー2
ゆっこに連れられて、一旦百貨店を抜けると、駅裏へと連れて行かれる。
本当に初めてこの街に出たのかと思わされるほど、スラスラと道を進んでいく。
「何処向かってるの?」
「もう少しで着きますよ」
あの百貨店でお腹が減りませんか? と僕に問うてからというもの、この一点張りで、何処かへ連れて行かれていた。
駅裏のごちゃごちゃした通りを抜けると、町中にあるには広めな公園に出た。今日が世の中的には平日という事もあるのだろう。お昼休みのサラリーマン風な人々が心地よい風に吹かれながらホッと一息つける時間を堪能していた。
「ここ?」
「はい。じ、実は……。お弁当作ってきたんです。どうせ二人で出かけるなら、いつもと違ったところで手料理を振る舞うのも良いかなって。あ、迷惑だったら今からでもお店に行きましょう」
ゆっこは一息でそう言った。そう言いながら、モジモジとずっと提げていたハンドバッグを差し出してきた。
そうか、あの鞄、お弁当だったのか。それにしてもよかった。ゆっこの手料理なら食べられる。
そう安心する僕と同時に、嬉しさの余り声を上げてしまいそうな自分が居た。
とりあえず綻んでしまいそうな頬を引き締め、ゆっこに向かう。
「いいや。嬉しいよ。じゃあ、あっちのベンチにでも腰掛けようか」
「はい!」
ゆっこも何だか嬉しそうだった。
ベンチに座ると、早速ゆっこがハンドバッグのジッパーを開け、お弁当を出す。2人分がそれぞれ可愛らしいお弁当箱に詰められている。
お弁当を開けると、そこにはおにぎりが2つと小さいハンバーグ、そしてそこにマカロニサラダが添えられていた。味覚をなくす前に見たっきりの久々手作り弁当。そういえば、小さい頃は親の作ってくれるお弁当を持ってピクニックをした事があったっけか。あの頃はまだ幸せだったのにな……。
ゆっこが弁当をこちらに差し出してくれるから、それを受け取って自分の膝の上に置く。彼女も同じお弁当を同じように膝の上へ置いた。
「じゃあ、食べましょう!」
「うん! 頂きます」
保冷剤をきちんと入れてきていたのか、お弁当箱はヒヤッとする感触を肌に伝えていた。勿論中のお弁当も冷えていたが、その冷めた感触もお弁当特有のもので、いつものご飯とは違う、特別感を演出していた。
先ずはハンバーグを口に運ぶ。おおっひょっとしてデミグラスソースが掛かっているのか? 口の中に様々な野菜が溶け込んだ甘みが広がる。それと少し遅れて肉のうまみが襲ってきた。そのうまみを逃さないように、片手で持っていたおにぎりを頬張る。米と肉のハーモニー。……ん? こ、この酸味は! このおにぎり、梅が入ってる――!? この酸味がまた米を口へ招き入れる。ハンバーグ、米、梅、米の流れはもう、集めて旨し最上川といった様相だ。
さて、ここで一旦箸休め。サラダに移ろうか。そう思ってキュウリとニンジンがくっついたマカロニを箸で掴み、口へ運ぶ。すると、マカロニから小麦の良い香りが。それと同時にマヨネーズの脂身、酸味が広がるが、キュウリの瑞々しさとニンジンの甘みがそれの暴走を防ぎ、味に纏まりを出している。これは箸休めなんて言っちゃ申し訳が立たない。名脇役だった。
「旨い。旨い。旨い」
僕は気が付くとゆっこなんてそっちのけでそんなうわごとを発しながら、お弁当にかぶりついていた。
「そんなにお腹が減ってたんですか?」
ゆっこが呆れ半分に笑い声を上げていた。
旨いんだからしょうが無い。
お弁当を食べ終えると、食後のデザートでプリンが用意された居たが、市販品だったために味がせず、折角旨いものを食った後だったから、なんとかして食べるのを阻止したかったが、彼女の厚意を無下には出来ない。腹を括って飲み下した。折角の余韻が台無しになったが、何とかこの場をしのげて良かった。
「おいしかった。ありがとう」
そう言うと、ゆっこは僕の手からお弁当箱をひったくろうとする。
「いや、洗って返すよ」
「そんな、いいですよ」
「良いって」
そんな会話さえ心が弾むのだった。
公園を後にすると、そのまま僕が行きたかった古本屋へ向かう。そこは読書好きの僕が、何とか見つけ出した県内のオアシスだった。大学の廻りには大手チェーンの店しか無かったが、街に出てやっと地元にあったような個人店の古本屋を見つけたときには嬉しさに終始顔がにやけていたのを覚えている。
「ここだよ」
お店の前に置かれた本棚には100円以下セールという汚いポップが貼られていた。そこの本はこれでもかと言うほどに感光していて、もう背表紙のタイトルが読めない程になっていた。店に入る。
扉を開けると、ホコリとインクの混じった香りがムンと漂ってくる。
「これは……凄いですね。私、本読まないですけど、この光景のすさまじさは分かります」
ちなみに、そう言う彼女の専門は経済学だ。
ゆっこがそう言うのも無理は無い。そこそこ身長のある方だという自信のある僕でさえ、一番上の本棚は背伸びをしなくては届かない高さなのだ。
「見た目だけじゃ無くて、例えば、これ」
そう言いながらぼくはいつもチェックする棚を見て、一冊本をつまみ出す。
「これは、夏目漱石の初版だね。聞いた事無い?」
僕は「坊つちゃん」と書かれた本を見せる。
「んゃちつ坊? なんて読むんですか?」
「ははは。反対だよ。反対。坊っちゃん。聞いた事無い? 多分、高校か中学の教科書に載ってたと思うけど」
「ああ。あの。多分授業でやりました」
「そうそうそれ。まあ、こんな有名所は高くて買えないんだけどね」
僕は坊っちゃんを棚に戻すと、他の買えそうな本を手に取っていく。
「あの、私も何か読んでみたいので、適当に見繕ってくれませんか?」
「本当? じゃあ、後でのお楽しみって事で、勝手に用意するね」
「ありがとうございます。あ、お金は自分で払いますんで、後で請求してください」
「いいよいいよ。折角の読書デビューなんだし、僕がプレゼントするよ」
「何から何までありがとうございます」
「良いって良いって。お弁当のお礼だとでも思っておいてよ」
さて、何が読みやすいか……。とりあえず明治とか大正の作品だと、旧仮名で読みにくいだろうし……。最近の作家にしておくか。有栖川とかのミステリーや小川糸とかにしておくかな。
僕は会計を済ませると、お店を出る。
「お待たせ。こっちがゆっこの分ね」
「ありがとうございます。おうちに帰ったら、ゆっくり読ませて貰いますね」
「また感想とか聞かせてよ」
ゆっこはちぎれそうなくらい顔を立てに振っていた。何だかそれが可笑しくて、笑ってしまう。
この日はこの後、百貨店には戻らず、地下街とか、CDショップとかを回って、帰る事になった。
家の玄関前で別れる。
「今日はありがとうね。無理に振り回しちゃってたら、ごめんだけど」
「いえいえ。こちらこそありがとうございました。またご飯とかお誘いしますね」
「うん。ありがとう」
何とか上手い事遊びにいけて良かったね。