件の日―1
件の日がやってきた。待ち合わせの3時間前に目が覚め、シャワーを浴び、髪を整え、もう準備万端だった。とはいっても待ち合わせの時間は適当に決めたこともあり、準備が出来たら僕の部屋に来るように言ってある。
テレビを点けて時間を潰そうとするが、内容は一切頭に入ってこない。
そわそわする。
そして幾億年の時が経ったと思った時だった。不意にドアベルが鳴り、開けるとそこにはゆっこが立っていた。白いワンピースの様な服にジーパンを履いて、リュックを背負い、片手にはそこそこな大きさのハンドバッグを持っている。そんな、いつも通りの可愛らしいという表現が当てはまる格好をしていた。
「おはようございます……」
「お、おはよう」
「行こうか」
「はい」
なんだかぎこちない。僕の緊張が伝わってしまっているのだろうか。だとしたら申し訳ない。
だけれど、ぎこちないのも最初だけだった。喋りながら歩いて、電車に乗った頃にはいつも通りの緩い雰囲気に包まれ、話しやすくなってきた。
ゆっこが行きたがっていた洋服店の入る百貨店は街に出ないとないので、片道1時間の長距離移動をする。電車の中ではもういつも通りに話していた。
「今日だけどさ、洋服見たら何しよう」
「そうですね。その百貨店、可愛い雑貨屋さんとか、他にも色んなお店が入ってるみたいなんで、そのままウインドウショッピングでもいいかなって思います」
「いいね。僕は初めて行くから、どんなところか楽しみだな」
「あ~。男の人はそんなに楽しめますかね……。すみません。自分の事しか考えてないみたいで」
「いいんだよ。今日は僕がいつものお礼を兼ねて誘ったんだから」
「いや~。本当に大したことはしてないんですけどね」
「いやいやお世話になってるよ」
隣に座るゆっこから、甘い良い匂いがする。それだけでドキドキが止まらない。それはゆっこに限らずだろう。男なんて生き物は女性から漂うイイニオイに弱いものなのだ。ゆっこに限らずだ。ゆっこに限らずなんだ。
「いえいえ。こちらこそです。ところで、コジローさんが行きたいところはないんですか?」
「僕? あ~考えてなかったな~」
「いつも街に出ると行くところとかでも良いですよ」
「そうだな。じゃあ、その百貨店からちょっと歩くんだけど、古本屋に行きたいかな」
「古本屋ですか。コジローさん、本好きだったんですね」
「うん。いつもゆっこの家に行ってばかりだから見せた事ないけど、うちは本棚の本であふれかえってるよ」
「そ、そうなんですか!? 一回お邪魔してみたいです」
「ま、そのうちね」
とかそんな風に何処を回るか、どこに行くか、何が好きか、何処が好きかなんて話をしている内に、目的の駅に着いた。電車を降りて数分。駅に直結した百貨店へと足を運ぶ。
「おお……。ついに着きましたね! 実は私、初めてここ来たんですよ」
そんな事を言って目をキラキラさせている。
「え? そうなの?」
「はい。だって、私、1年生ですよ? この県に来たのも初めてですし」
「ああ。言われてみればそうか」
「さっそく行きましょう!」
そう言ってゆっこはずんずんと奥へ進んでいく。きっと楽しみにして色々調べてきたんだろう。目的の店に向かうエレベーターの場所までバッチリだった。
「ここです!」
そう言って指し示す先にはいかにも大学生の女の子が好きそうな洋服の並んだお店が一角を構えていた。
「おお……」
正直ニガテなタイプのお店だ。男物の服なんて一着もない。なんだかキラキラしたオーラを感じる。
「さ、行きましょ」
ゆっこは先に店へ入ってしまった。
ええい。ままよ! 僕は意を決して敷居を跨いだ。
「ああ、ありました! これですこれ」
そんな僕を余所にゆっこは楽しそうだ。まあ、彼女が楽しそうならそれでいいか。
「こっちとこっちどっちが良いと思いますか?」
「え~。そうだなあ。こっちはなんか似たようなの着てるとこ見た事ある気がするから、こっちかな」
「こっちですか~? そうだなあ、じゃあ、両方着てみますね」
いつも学校や家では見ない、欲しいものをみてキャッキャする姿は新鮮で、なんだか心臓の付近がザワザワする。何でそんな風に思うのか。それは本当に女の子と二人で出かけるのが初めてでソワソワするという事だけではないのか……。
買う服も決まって店を後にする。その後は予定の通りウインドウショッピングと洒落込む。出かける時は大体一人か、居ても男友達という僕は、そんな事をするのなんて初めてで、本で読んだり、音楽に出てくるから、言葉としては知っていたけれど、本当に自分がするなんて思っても居なかった。
しかも、実際にするとなると、その楽しさなんて自分には分からないと思っていた。それでも、これ可愛いですねとか、やっぱり良い物は高いですねとか言って、色々な表情を見せるこの子と一緒に歩いてみると、こんなに楽しいものなのかと思えた。
だけど、そんな折、腹が減ってきてしまった。どうしよう。お店で食べても良いけど、なんか嫌だなあ……。
そう思いを頭にグルグルさせていると、ゆっこがこちらを向き、
「お腹減りませんか?」
そう言ってきた。
今日一日感じていたのとは違う理由で心臓が跳ね上がった。