雑用係ってなんですか? ①
翌朝。シャーロットはジョンの車で警察省の前に来ていた。
警察省の場所は王都の一等地にあり、イゼット学園の2倍以上の広さを持つ広大なものだった。正門の目の前には頑丈そうなレンガ造りの5階建ての建物がある。まだ建ってからそれほど経っていないのか、苔や蔦などは生えておらずレンガは綺麗な色をしていた。
庭には車道が通っているが花などは植えておらず、生垣と芝生が広がるだけで少し寂しい印象を受ける。
「ここが警察省。広い敷地に立派な建物ね」
「建物なんてどうでもいい。人がうじゃうじゃしていて面倒だ。俺は適当に暇を潰しているから、迎えが必要になったら呼べ」
ジョンは欠伸をすると、シャーロットを車から降ろしてそのまま置いていってしまう。
「……まったく、自由なんだから」
彼に運転手の自覚があるのか疑問に思うが、いつものことなのでシャーロットは溜息一つで流した。
気分を変えて警察省の建物の扉に手をかける。壁には本館という看板があり、小さく『捜査依頼はこちらから』と書かれていた。
カランカランという鈴の音の後、シャーロットの耳には一気に人々の喧騒が広がった。
(すごく忙しそう。人がいっぱいだわ)
中では、たくさんの人がいた。最初に目が行くのは、部屋の奥で机に山のような資料を重ねながら難しい顔をしている刑事たちだ。彼らは最新式の魔道無線機を使いながら慌ただしく動いている。
「えっと、まず依頼の相談はどこですればいいのかしら?」
軍の施設だと魔物の討伐依頼専用の部署があり、そこで受付をしていた。警察省は国内の治安維持のためにできた組織なので、同じような部署があるはずだ。
シャーロットは自分と同じく、警察の制服を着ていない民間人たちを見渡した。彼らが真っ先に向かうのは、『一般受付』と赤い文字で描かれた札の付いているカウンターだ。そこには警察の制服を着た妙齢の女性たちが、民間人と話して相談を行っている。
「……女性も働いているのね」
職業婦人が増えてきた世の中だが、危険というイメージがある職業にはやはり女性は少ない。軍人にはほとんどいなかった。
シャーロットは緊張した面持ちで受付の列に並ぶ。
受付の警察官の手際は良く、数分でシャーロットの番になった。
「あの、すみません。幻想事件特殊捜査室はどちらにありますか?」
「幻想事件――ああ、雑用係さんのことですね!」
「……雑用係?」
首を傾げるシャーロットに、警察官は社交的な笑みを浮かべる。
「食い逃げ犯の追跡に、落とし物の持ち主捜し、はたまた逃げ出したペットの捜索まで、なんでもやってくれる部署のことです!」
「……それは本当に?」
今からシャーロットがお願いしようとしている依頼とはかけ離れた内容に、一抹の不安が募る。
「申し訳ないのですが、この本館に雑用係さんの部署はありません」
「どちらにあるのですか?」
「ここから少し離れた別館にあるのですが、もしかするとたどり着けないかもしれません」
「それはどうしてですか?」
シャーロットが首を傾げると、警察官は周囲の目を気にしながらそっと耳打ちをする。
「この時間は別館周囲に霧が出ることが多いのです。そのせいかは分かりませんが、道は合っているはずなのに何故か別館にたどり着けなくて……とても不気味なんですよ。幽霊の通り道なんですかね?」
「……幽霊。見たことありませんね」
「実は私もです。まあ、怖かったら時間をずらして別館へ行ってください。簡単な地図を書きますね」
「ありがとうございます」
シャーロットは警察官から地図を受け取ると、早速別館へ向かうことにした。
「大雑把な地図だけど、方角はなんとなく分かるわ」
警察省の広大な敷地の中には車道も通っていて、シャーロットは舗装された道を歩いて行く。初めは荷物を持った刑事とすれ違うことも多かったが、別館に近づくごとにそれもなくなってくる。
そして、もうすぐ別館に着くという頃になって、辺りに霧が立ちこめた。
「まだ秋なのに、冬のような冷気の霧ね。まあ、そのうち消えるでしょう」
真っ白な霧の中では1メートル先も見えない。しかしシャーロットは臆することもせず、そのまま別館の方向へと進む。
「ここが幻想事件特殊捜査室?」
古いレンガの建物の前に来ると、一気に霧が晴れた。窓はひび割れ、壁には蔦が這っている建物で、相当年代物だ。それを取り囲むように白椿の生垣に囲まれている。
崩れかけた玄関前の階段を上ってシャーロットは錆びたドアノブを回した。
「失礼します。誰かいらっしゃいませんか?」
本館とは違い、別館の中はシンと静まり返っていた。床に埃はなく、古いが良く磨かれた木の床が見える。掃除は常にしているようだ。
ここは事務室のようで、壁一面を覆う本棚がある。古いがしっかりとした造りの大きな机の上には、たくさんの書類が重ねられていた。
「インクと……それと甘い匂いがする」
キョロキョロとシャーロットが見渡すと、部屋の奥の出窓が開いているのが見えた。生成り色のカーテンがそよ風で揺れる。
窓と向かい合うように置かれたソファーから男性の革靴が見えた。
「誰かいるのかしら?」
シャーロットがそっとソファーを覗き込むと、一人の青年がいた。
青年は疲れているのか、ワイシャツやスラックスが皺になり、サスペンダーも垂れ下がっているというのにぐっすりと眠っている。
歳は二十代前半だろうか。アイゼンリード王国ではあまり見かけない灰色の髪は短く切り揃えられ、精悍な印象を与える。肌には染み一つなく、女性のシャーロットも見惚れるほど整った顔立ちをしていた。
「……綺麗な人」
思わずシャーロットが呟くと、青年の瞼がゆっくりと上がる。現れたのは、とても澄んだ色をしたアメジストの瞳だった。
それを見た瞬間、シャーロットの胸がドクドクと鼓動する。
「誰だ? 精神魔法を使った結界を張っていたというのに忍び込むなんて、同業かもしくは精神魔法が効きにくい相当鈍感な馬鹿か」
不審な目をしている青年に、シャーロットは慌てて淑女の礼をする。
「申し遅れました。チェスター・シグルズの紹介で参りました、妹のシャーロットと申し――――」
「帰れぇぇええええ!」
シャーロットの自己紹介は青年の必死な叫びでかき消された。