令嬢たちの消失 ⑦
月明かりだけが空に輝く深夜にシャーロットは大きなリュックを背負い、忍び足でシグルズ公爵家の中を歩いていた。
(わたしだけでも動いてリディアを助けなくちゃ! そのためにはここにいる訳にはいかないわ)
シグルズ公爵家の力を宛てにすることはできない。それにリディアが攫われているのだとしたら、一刻も早く動かなくてはならないのだ。リディアを探すのにシグルズ公爵令嬢という立場が邪魔なのだとしたら捨てる覚悟だった。
「……もう、十分務めは果たしたもの」
小さく呟くと、シャーロットは階段を駆け下りる。
使用人たちは寝静まり人の気配はない。母は夜更かしをする性格ではないし、父と兄も仕事でここ数日留守にしている。
(一階の窓から出れば、音も立たないわ。調理場で適当に保存食を手に入れてさっさと家を出ましょう)
物音一つ立てずに調理場に到着する。もちろん人の姿はない。それでもシャーロットは警戒を怠らず、身をかがめながら生ハムや干肉が貯蔵されている食材庫の扉をそっと開ける。
すると灯りのないはずの食材庫から、ランタンの人工的な光が差した。
「やあ、シャーロット。こんな夜遅くにどうしたんだい?」
「お兄様、どうしてここに!?」
光の中でぼんやりと浮かび上がった人影は、シャーロットの兄、チェスター・シグルズだった。癖のあるオレンジの髪と新緑の瞳はシャーロットと同じだが、纏う雰囲気はどこか威圧的だ。
「どうしてじゃないよ。お前みたいな単細胞の考えることなんてお見通しだ。夜中に食材庫に忍び込むなんて、どれだけ食いしん坊なんだ。おかげで服が肉臭くなった」
「ま、まさか……わたしの作戦が見破られていたというの!?」
チェスターの体格は軍人にしては細い。武術も一般の兵士と同じぐらいの力量だ。しかし、彼はその類い希なる頭脳をもって、数多の戦場で軍師として成果を出してきた。武の名門のシグルズ公爵家出身というコネも存分に生かし、今では参謀本部長にまで上り詰めている。
(留守だと思って甘く見ていたわ。お兄様が止めに入るなんて……)
シャーロットは昔からチェスターのことが苦手だった。要領にいい彼は、不器用なシャーロットに意地悪をする悪癖があるのだ。
「駆け落ちした友人を探すために家出するなんて、馬鹿じゃないのか」
「馬鹿でもわたしは行きます!」
シャーロットが決意の篭もった瞳を向けるが、チェスターは呆れた顔を隠さない。
「シグルズ公爵令嬢の立場と友人ひとり、天秤にかける必要もないだろう」
「リディアを助けるためなら、令嬢の立場を捨てたっていいわ」
「お前が勝手に動き回ってシグルズ公爵家に迷惑をかけるというのかい?」
「わたしがかける程度の迷惑ならば、シグルズ公爵家の権力で簡単にひねり潰せるでしょう?」
「そうだね。でも、お前の代わりはいない。まだ利用価値があるのに何かあっては困るんだ。それはよく分かっているだろう?」
チェスターはフッと息を吐くと、シャーロットに一際柔らかな笑みを向ける。それは慈しみではなく、馬鹿にしているのだとシャーロットは長年の経験から悟った。
「友人を探す宛てはあるのかい?」
「……ないわ」
「覚悟だけは一人前だね。それとも彼女と友人を重ねて躍起になっているのかな。死んだ人間を想ったって時間の無駄なのにね」
「姫様を愚弄したら、いくらお兄様でも許さないわ!!」
夜中だというのも忘れてシャーロットは叫ぶ。しかし、すぐに状況を思い出して気まずそうな表情を浮かべた。
「叫ぶ元気はあるみたいだね。安心したよ。とりあえず家出は止めなさい。後処理が面倒だし、もっと僕のために役に立ってもらわないと」
そう言ってチェスターは小さなメモ用紙をシャーロットに手渡した。
「警察省幻想事件特殊捜査室? 聞いたことがないわ」
「だろうね。今年新しく新設した部署だ。ここの室長は僕の犬――じゃなくて、親友でね。きっと、シャーロットに協力してくれる。どうしても友人を探したいのならここに行くといい」
「えっ、お兄様に親友なんていたの!? どうせ弱みを握っているんでしょう」
「失礼な。まあ、弱みは握っているけど」
不服そうな兄を無視して、シャーロットはメモ用紙を握りしめる。
「警察省はリディアの捜索をしなかったのよ。わたしの話を聞いてくれるかしら」
ハートリー卿ですら捜査を断られたのだ。貴族とはいえ女学生の話を聞いてくれるとは思えない。
「警察省は新しい組織だ。今は誰が組織の覇権を得るかで、派閥争いが活発なんだよ。みんな手柄を立てたくて仕方ない。その点、僕の親友は不器用で早々に派閥争いから弾かれているからね。他家の干渉なんて気にしないさ」
「……お兄様が協力的なんて怪しいわ」
シャーロットが疑いの目を向けると、チェスターは芝居がかった動作でくるりとその場で回った。
「なんて薄情な妹なんだ。血に繋がった兄に対することばとは思えない!」
「だって、お兄様は自分の利益になることしかしないじゃない」
淡々とした声でシャーロットが言うと、チェスターはピタリと動きを止める。
「さすが僕の妹だ。察しの通り、理由はある」
そして懐から書類を取り出すと、それを無理やりシャーロットに押しつけた。
「これは?」
「お兄様から愛する妹へのサプライズプレゼントだよ」
「真面目に答えて」
「仕方ないなぁ。ここ2カ月ほどの間に病気療養、留学、死亡などの理由で社交界に出なくなったとされる令嬢のリストだ。すべてとは言わないが、シャーロットの友人と同じ事件に巻き込まれた令嬢も多いだろう」
ランタンの光を照らし、書類を読むとそこにはたくさんの名前が書き記されている。すべて女性の名前のようだ。
「リディアは使用人の男性と消えたわ。そちらのリストはないの?」
「平民は偽装工作が容易だ。正確なリストは作れない」
優秀な兄のことだ。令嬢と一緒に消えた男性たちがすべて平民だということは調べ終わっているのだろう。
「ここまで作っているのなら、何故お兄様が動かないの?」
「おやおや、僕に過労死しろと言っているのかい?」
チェスターは――いや、国は令嬢たちの消失を駆け落ちだと楽観視している訳ではなさそうだ。何か裏がある。そう感じるが、学校の成績ですら平均点ギリギリのシャーロットには何も思いつかない。
「お兄様だったら過労死する前に、部下に仕事をたっぷり押しつけるでしょう」
「そうは言っても、サボれないほど仕事はたっぷりとあるんだよ。魔物の異常発生は収まる気配はない。シャーロットもよく知っているだろう?」
「お父様とお兄様は最近ずっと家に帰れていなかったものね」
「疲れている兄を労ってくれるのかい? だったらリストを有効活用してくれ」
「人の弱みを握るのが大好きなお兄様が、妹にタダで貸してくれるというの?」
「お前にリストを渡すことは、僕のためでもあるんだよ。未来への投資さ」
チェスターはそう言うと、シャーロットの耳元へ顔を近づける。
「どうしてもお礼がしたいのなら、今度の休暇に兄と一緒にデートでもいくかい?」
「絶対に嫌!」
シャーロットは飛び跳ねながら叫んだ。
チェスターは「その嫌そうな顔がたまらないね」とクスクスと笑うと、食料庫の扉に手をかける。
「原因は不明だが、魔物の異常発生は人為的なものを感じるね。しばらくは父上も僕も家に帰れそうにない。腹の立つことだが……あの陰険運転手の傍を離れては駄目だよ」
「……お兄様、ありがとう。家出をやめて、警察省に行ってみるわ。だからお兄様も気をつけて」
書類を胸に抱きながらシャーロットが言うと、チェスターは優しく微笑んだ。
「シグルズ公爵令嬢の身分を捨ててまで友人を助けに行くなんて愚かしい行為だ。けれど僕はそんなシャーロットを好ましく思うよ」
チェスターはそのまま食料庫から出て行った。
シャーロットは使用人が起き出さないようにひっそりと自室に戻る。夜明けの光が待ち遠しかった。