令嬢たちの消失 ②
シャーロットとリディアは鞄を持つと、早々に教室から退出した。ハンナは少し用があると職員室に行ったようだ。
馬車の停留所に向かう道すがら、リディアは真面目な表情でシャーロットに問いかける。
「ねえ、シャーロット。本当のところ、進路はどうするつもりですの? シグルズ夫人が娘の結婚相手を探すために、貴族の若い令息と会っていると噂になっていますわ」
「……お母様は、わたしを早く高位貴族の元に嫁がせたいみたいなの。でも、お父様とお兄様は今の時点ではそのつもりはないみたい。数年の間はわたしのことを見極めたいのだと思うわ」
早々に娘を安定した家に嫁がせたい母と、娘の値段をつり上げたい父と兄。どちらもシャーロットの夢とは程遠い。
「令嬢なんて肩身が狭いわ。自由に結婚相手を決められないんですもの」
「リディアはどんな人と結婚したいの?」
「そうねぇ、今の時代はご飯の食べられない血筋よりも、稼げる能力だと思いますの。心も身体も強い男がいいですわ」
「強いと言ったら、軍人かしら。でもあまりオススメしないわ。家に帰れないことも多いし、最近は魔物討伐で命の危険もあるし」
封建制が撤廃された理由の一つに、魔物の大量発生の問題があった。
魔物とは自然界に突如と現れる生命体のことで、雌雄はなく、言語も介さない。古から人々は魔物の脅威と戦いながらも、倒した後の素材を有効活用することで共存してきた。だが、ここ二十年ほどで魔物の出現率が一気に跳ね上がり、貴族たち個人の軍では対応しきれない部分がでてきた。
封建制撤廃の後には魔物の討伐は軍が専任し、治安維持は新しく設立した警察省が受け持つこととなる。
「憧れるぐらいいいでしょう。そうですわね、竜騎士様に攫ってもらえたら素敵だと思いませんこと?」
「……竜騎士?」
首を傾げるシャーロットに、リディアは頬を膨らませた。
「シグルズ公爵令嬢なんだから知っているでしょう。御前大会の最年少優勝者で、どんな魔物も一瞬で葬る、アイゼンリード王国最強の傭兵。しかも、王子様のような美男子なのですって! 婦女子の憧れですわ」
「傭兵なのに騎士っておかしいでしょう」
「顔が良ければそんなこと些細なことですわ!」
力説するリディアに、シャーロットは呆れた視線を向ける。
「現金ね。他に竜騎士の噂はないの?」
「竜騎士の名の通り、ドラゴンに乗って戦場を駆けるという噂も聞きましたが、おそらく乗っている騎獣が竜種の魔物なのでしょうね。いずれにしろ、ロマンがあります。アイゼンリード王国はドラゴンの助力で建国したのですから」
「何百年も前の話でしょう」
「昔話というのは馬鹿にできませんわ。一割は本当のことだったりしますもの。案外、今もこの国に建国のドラゴンが住み着いているかもしれませんわよ」
「そうだったら面白いわね」
「シャーロットったら、信じていませんわね?」
リディアは拗ねた顔をしながらも足を止めない。
校舎から出ると、シャーロットたちの髪を秋風が舞上げる。視界の端では色づいた紅葉が風によってはらはらと地面に落ちていく。それは冬の足音が聞こえるようで少し寂しさを感じさせた。
「何度こうして、たわいない話ができるのでしょうね」
秋が終わり、冬が来て、寒さに耐える内に出会いと別れの季節がやって来る。その時、自分はどんな道を歩むのだろう。この胸の中にある燻った想いはどうなっているのだろう。
シャーロットは髪についた紅葉を振り払うと、決して変わらない想いを紡ぐ。
「卒業しても、立場が変わっても、お婆さんになってもできるに決まっているでしょう」
「男前ですわね。でも、わたくしも同じ気持ちですわ」
シャーロットとリディアは前を向いたままで、決して視線を合わせない。顔をみなくても、お互いがどんな表情をしているのか分かるからだ。
そのまま歩を進めると、馬車と魔石を燃料にして走る最新式の車が一台ずつ止まっているのが見えた。車の脇には不機嫌そうな顔をした、えらく顔立ちの整った黒髪に赤い瞳の青年が立っている。
「あら、シャーロットの執事様がお待ちになっているわ。相変わらず美形ですわねぇ」
「執事じゃなくて運転手よ」
何度目か分からない訂正をすると、シャーロットは運転手――ジョンの元へと駆け寄った。
「……お待ちしておりました、シャーロットお嬢様」
ジョンはシャーロットを睨み付け、機嫌が悪いことを隠さない。
「ジョンが外で待っているなんて、珍しいわね。いつもは車内から一歩も出ないのに」
「シグルズ公爵から急ぎの用あるそうです」
淡々と告げられた内容に、シャーロットはビクリと肩を震わせる。
会話を聞いていたリディアは、残念そうに眉を下げた。
「お家の用事では仕方ないですわ。カフェに行くのは明日にしましょう」
「ごめんなさい、リディア」
「いいんですのよ。その代わり、明日こそカフェに行きましょう!」
「もちろんよ」
シャーロットとリディアはお互いの小指を絡ませる。
「約束を絶対に忘れないでくださいませね」
「念押ししなくても分かっているわ」
ふたりで笑い合うと、そっと小指を離した。
「では、また明日学園で。わたくしはこれから買い物をして帰りますわ」
そう言ってリディアはシャーロットから離れ、使用人に荷物を預けて馬車に乗った。
先に出発したのはリディアの馬車で、そのまま大通りへと向かう。
「早く乗れ」
「はいはい」
車は四人乗りで、座席は革張りだ。雨でも使えるように屋根付きで、まんまるのライトとサイドミラーがついている。格好いいよりは、可愛らしいと思えるデザインだ。
ジョンの無礼な態度を咎めずに、シャーロットは自分で荷物を持ったまま後部座席に乗る。
馬や騎獣を使わない、魔石で動く車はこの国にも数台しかない貴重品だ。それを当然のような顔をして堂々と乗り回すジョンは、整った顔立ちもあって女生徒からの人気が高い。
しかし、シャーロットからするとジョンは小うるさい野蛮人なので、絶対におすすめしないが。
「おい、シャーロット。俺を待たせるとは随分と偉くなったじゃないか」
リディアの前とは違う刺々しい口調が、本来のジョンのものだ。シャーロットは恐れもせず、ドアに身体を預けながら景色を眺める。
「好きで遅くなった訳ではないわ。キンバリー先生に怒られていたのよ」
「くだらない。俺を待たせること以上に重要なことがあるのか?」
「素で言ってのけるあなたがすごいわ」
ジョンは興味なさげにフンと鼻を鳴らすと、王都郊外へとハンドルを切る。
「それで、今日はどんな悪いことをして怒られたんだ?」
「悪いことなんてしていないわ。時計塔の屋根の上で、最高の景色を見ながらお茶を飲んでいただけよ」
淑女とは、どんな時も優雅さを忘れず。お茶を飲む時は景色の良い場所で、香りの良い茶葉を使うこと。
そう授業で習い、実戦しただけだったのだが、シャーロットはキンバリーに怒られてしまった。危ないことなんてしていないのに、何故怒られたのだろうか。
「淑女らしくなったじゃねーか」
「そうでしょう!」
シャーロットは深く溜息を吐くと、鞄の中から原稿用紙の束を取り出した。
「お父様の呼び出しということは、今夜は反省文を書く時間なんてないわね。キンバリー先生になんて言い訳しましょう」
反省文を一枚も書いていないと分かれば、キンバリーは追加の説教をするに違いない。
ガタガタと揺れる車内でペンを握りながら何度か文字を書こうとするが、心がスッと冷えた状態のシャーロットにはできなかった。諦めて原稿用紙を鞄にしまい直すと、再び窓の景色を眺める。
空はすっかり闇色に染まっていた。月のない今夜は灯りがなければ、自分がどこにいるのかも分かるまい。
次の日、シャーロットとリディアの約束は果たされなかった――――