令嬢たちの消失 ①
優雅なひとり御茶会は早々に中止となり、結局シャーロットはキンバリーにガミガミと叱られた。
それが終わったのは辺りが暁に染まった頃。キンバリーはまだ怒り足りなかったようだが、女生徒を遅くまで学園に拘束する訳にもいかない。反省文を百枚書くようにと言いつけられて、ようやくシャーロットは解放された。
「あー、疲れたわ」
首をゴキゴキと鳴らし、肩を回す。制服のスカートが翻るのも構わず、シャーロットは人気のない廊下でストレッチをした。キンバリーが見れば、反省文をもう百枚追加されただろう。
「鞄を取りに行ったら、さっさと馬車乗り場に行かないと。また怒られてしまうわ」
クラブ活動をしていた生徒も下校の準備をしているようで、教室に近づくごとにチラホラと生徒の姿が見えた。
帰りの挨拶をしてくる後輩たちに手を振り、シャーロットは教室に入る。するとそこには、肩で切り揃えられた紅茶色の髪を持つ少女が佇んでいた。
「シャーロット、キンバリー先生の説教は終わりましたの?」
彼女の名はリディア・ハートリー。平民出身だが、多額の寄付をして学園に入学したご令嬢だ。実家は急成長をしている国一番の銀行である。
入学当初は実家の資金力に嫉妬した生徒たちから辛く当たられていたが、完璧な礼儀作法を身につけて成績上位者となり、さらには人当たりの良さを活かして人脈作りを行って、あっという間にこの学園で大きな権力を持つようになった。そんな彼女は、シャーロットの一番の友達でもある。
「ええ。暗くなったからお開き。でも反省文を書かなくてはいけないから、今夜は徹夜よ」
「反省文を書くの得意でしょう?」
「書きすぎると、ネタに困るのよ。申し訳ありませんでしたって、ページいっぱいに羅列する訳にはいかないし」
やれやれと肩を竦めるシャーロットを見て、リディアは忍び笑う。
「学園にいる時ぐらいは、大人しくしていればいいのですわ。人や場所で態度を変えるのは別に悪いことではない。立派な処世術ですの」
「うう……難しいわ。わたしだって、怒られると思ってしていた訳ではないし……」
「本当にどうやったらこんな子が育つのでしょう」
リディアは呆れ半分でそう言うと、ふと思い出したようにパンッと音を立てて両手を合わせた。
「今日は寄り道してから帰りましょう! 学園前の大通りに、新しいカフェができましたの。なんでも、隣国の料理やデザートが豊富なのだとか」
「肉料理もあるかしら!? あ、でももう夕方よ」
「家の者に行き先を伝えれば大丈夫ですわ。夜遊びというほど遅くはありませんし」
リディアは可愛らしくウィンクをした。
教師の前では淑女然とした彼女だが、その中身はシャーロット並のお転婆だ。見つからなければ良いと思い、夜遊びや賭け事も嗜んでいる。
「分かったわ」
シャーロットが苦笑するのと同時に教室のドアが開いた。
「ハンナさん。まだ残っていたの?」
現れたのはシャーロットたちの同級生のハンナ・マクドウェル伯爵令嬢だった。彼女は小柄で可愛らしいが、学年主席を務めるほどの才女である。
ハンナは本を両手一杯に抱えながら微笑んだ。
「図書室で勉強していたら、いつの間にかこんな時間に。シャーロットさんとリディアさんこそ、こんな遅くまでいるなんて珍しいですね」
「シャーロットはキンバリー先生に説教されてて、わたくしは学園を散策していましたの」
「そ、それはなんというか……お疲れ様です」
「ハンナさんの方が疲れたでしょう? 受験、大変みたいね」
シャーロットの言葉に、リディアが重ねる。
「確か、王都大学を受けるのでしたか?」
「はい! 勉強は好きですし、王立大学に行って……国を動かす官僚になるのが夢なんです! 女性にはまだまだ厳しい道かもしれませんが……」
どこか自信なさげな口調ではあるが、ハンナの碧色の双眸には、なんとしても成し遂げてみせるという強い意志が感じられた。
それを見たリディアが顔を紅潮させながら、ぐっとハンナへと身を乗り出した。
「だからこそ、燃えるのではなくって! 成り上がること以上の快感はありませんわ」
少々変態じみたリディアの発言に、ハンナは頬を引きつらせた。
「え、えっと……リディアさんの進路は決まっていますか?」
ハンナの言葉に、リディアは動きを止めた。
「……わたくしは卒業後に結婚することが決まっていますわ。しかも、二回りも年上。貧乏ですけど、血筋だけは良いみたいですわ」
「その、あの……ごめんなさい」
「別にハンナさんが気にすることではありませんわ。お父様を説得できなかった、わたくしが未熟者だっただけですもの。それに今は婚家で自分の立場をどのように向上させて支配するのか、考えるだけで楽しいですし」
強気な言動だが、リディアは不安でいっぱいのはずだ。
シャーロットは彼女の手をそっと握った。
「わたしもできる限り力を貸すわ」
他家の決定に口を出せるほど、学生であるシャーロットには力がない。自分にできるのは、できうる限りリディアの意志を尊重し、友人として協力することだ。
そんなシャーロットの思いが通じたのか、リディアは繋いだ手を強く握り返す。
「このように頼れる公爵令嬢もいることですし、わたくしのことは心配ご無用。案外、旦那様になる方も良い人かもしれませんし」
「リディアさんはすごいですね。前向きで強いです」
「ありがとうございます。折角ですから、わたくしだけではなくシャーロットのことも聞いてみては?」
「シャーロットさんは進路を決めているのですか?」
ハンナがおずおずと問いかけた。
「わたしは……まだ何も。立派な職業婦人になるのが夢だけど、何になりたいかは決まっていないの」
シャーロットがそう言うと、ハンナは目を大きく見開いた。
「意外です。公爵令嬢にもなると、親によって将来が決められているのかと」
「一昔前だったら、貴族令嬢は家を繋ぐために学園を卒業したら即結婚でしょうね。でも今は貴族制度も変わり、魔道技術も進み、女性の生き方にも多様性が生まれたわ。まあ、わたしの場合は求婚してくる相手がいないだけでしょうけど」
アイゼンリード王国は元々封建制だった。しかし、十年前に前国王の断行で封建制が撤廃され、貴族たちは己が領地を持たなくなる。
領有統治権が失われて税収が得られなくなった反面、貴族の義務とされていた貢納や軍事奉仕が免除され、爵位に応じた一定額の給付金が得られるようになったのだ。その結果、この国は実力主義の気風へと舵を切ることとなる。
「将来に迷っているのなら、ハンナさんみたいに大学へ行くのはどうかしら」
リディアの軽い言葉に、シャーロットは剣呑な表情を見せた。
「ちょっと、リディア。わたしの成績を知っているでしょう」
シャーロットの成績はお世辞にも良いとは言えない。平均点ギリギリ届くか届かないかだ。一握りの秀才だけが入学を許される大学には絶対に受からない。
「運動神経と度胸だけは、どこのご令嬢にも負けないと思うの。なにせ、時計塔の天辺でお茶を飲むぐらいですわ。令嬢に必要な能力かは分からないですけれど」
「意地悪言わないで!」
「でも、シャーロットさんに憧れている下級生は多いです。どんなスポーツをやらせてもずば抜けて優秀で、公爵令嬢なのに気取ったところがなくて、とっても優しくて格好いいですから」
「て、照れるわね」
「シャーロットさんが男性だったら、きっとすごい軍人さんになっていたんでしょうね」
ハンナは無邪気に言った。するとリディアがにやりと笑みを浮かべる。
「シグルズ公爵家は武の名門。お父様は元帥で、お兄様は参謀本部の出世頭ですものね」
「もう、リディアったら。いつも言っているでしょう。わたしはシグルズ家の落ちこぼれだって。はい、この話はお終いね」
世間でのシグルズ家の評価は、軍略に優れた腹ぐ――理知的な指揮官だ。実際にシャーロットの父と兄はその評価通りである。
そのため、シャーロットは家族から軍人ほどお前に向かない職業はないと言われて育ったし、自分でもそう思っていた。
「ハンナさん、これからリディアとカフェに行くの。良かったら一緒にいかない?」
気持ちを切り替えてハンナを誘うが、彼女は申し訳なさそうに首を横に振る。
「魅力的なお誘いですけれど、今日はこれから知り合いに勉強を見てもらうんです。また今度、誘っていただけますか?」
「残念ね。でも勉強なら仕方ないわ」