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大晦日の夜に

作者: マイマイ

 はあ。

どうしてあんなこと言っちゃったんだろう。

 喧嘩の後はいつも、何か苦いものを無理やり飲み込まされたような気持ちになる。

 カーッと頭に血が上って、思ってもないような言葉を相手にぶつけてしまい、ひとりになってから死にたくなるほど後悔する。

 同じことばかり何度も繰り返してきたけれど、今回は特に酷かった。

 許してもらえるかなあ。

 今度こそ、もう本当にダメかもしれない。

 河原木美咲かわらぎ みさきは混雑している新幹線の改札口横でソワソワしながら、発着時刻が表示された電光掲示板とホームから降りてくる人の流れを見つめていた。


「ねえ、さとるが飲み物でも買ってこようかって。何がいい?」

 振り向くと、姉の葵がスマホの画面に目を向けたまま、美咲の髪をくいくいと引っ張っていた。

 足元には旅行用の大きなトランク、薬指には大きなダイヤのついた婚約指輪。

 余裕のある表情と、葵の周囲に漂う幸せそうな空気に腹が立つ。

 美咲は苛立ちをぶつけるように、大げさなしぐさで葵の手を振り払った。

「やめてよ、せっかく綺麗に巻いたのに崩れちゃうじゃない! 飲み物なんていらない、いまはそれどころじゃないんだから」

「はいはい、亮太りょうたくんのことで頭がいっぱいだもんね。とりあえず、あんたは期間限定のナントカフラペチーノとかがいいんでしょ? 聡、スタバに寄ってきてくれるらしいよ」

「え……うん」

 できたらストロベリーのがいい、と言い添えながら、美咲はポチポチと聡に返信を打つ姉の横顔をちらりと盗み見た。

 いいなあ、おねえちゃんは美人で。

 葵の隣にいると、美咲は自慢に思うのと同時に、いつもコンプレックスを刺激される。

 葵と美咲は五つ違いの姉妹だが、美咲の目から見るとまったく似ているところがない。

 葵はすらっとした背の高い美人で何でも器用にこなすタイプなのに対し、美咲はどちらかといえば小柄で、出来そこないのタヌキみたいな顔をしていると自分では思っている。

 おまけに不器用で、大人になった今でも自分が抑えられず、何かあるとすぐに怒ったり泣いたりしてしまう。

 子供の頃には本気で別々の親から生まれたのではないかと疑惑を抱いたことがあり、思いつめて号泣しながら母親に「本当のことを教えて」と訴えたが、わけのわからないことを言うなと頭を叩かれて終わった。

 たしかに、目だとか鼻だとか、ひとつひとつのパーツを見れば似ていないこともない。

 だけどほんの1ミリか2ミリ配置が違っただけで、片方は芸能人並みの美人になり、もう片方は間の抜けたタヌキ顔になるのだから、神様って本当に意地悪だと美咲は思う。


「あ、ここにいたんだね。さすがに大晦日の夜はどこも混んでるなあ」

 葵の後ろから、聡がスタバの紙袋を片手に駆け寄ってきた。

 優しそうな笑顔。

 背の高いイケメン。

 葵と並ぶと美男美女でいかにもお似合いのカップルっぽくて、美咲はまたイライラしてしまう。

「べつに、聡くんまで来ることなかったのに」

「そういうわけにはいかないよ。まだ亮太と喧嘩中なんだって? クリスマスイブの夜から毎晩泣いてるって聞いたけど……はい、これが美咲ちゃんの分」

 聡が差し出してくれた飲み物をひったくるようにして受け取りながら、美咲はフンと顔を背けた。

「泣いたりしてないよ! そんなの、全部おねえちゃんの作り話なんだから」

「こら、その態度、甘えるのもいい加減にしなさい。もう23歳でしょ? 人から物をもらったら、ちゃんとお礼を言いなさい」

「知らない! おねえちゃんなんか……」

 続きが言えなくなる。

 おねえちゃんなんか、わたしのことどうでもいいくせに。

 わたしをおいて、聡くんと結婚しちゃうくせに。

 ふいに涙がこみあげてきて、美咲はふたりに背中を向けたままうつむいた。

 

 聡と葵は、来年結婚することになっている。

 今日はこれから車で旅行に出かけ、景色の良い旅館で新年を迎えようと計画しているらしい。

 ふたりは中学生の頃から付き合い始め、高校でも大学でも社会に出てもずっと恋人同士のままで、むしろお互いの家族の間には「早く結婚すればいいのに」という空気が流れていた。

 美咲はまだ小学生の頃から葵にくっついてよく聡の家に遊びに行ったものだったが、聡は美咲を邪魔者扱いすることもなく、本当の妹のように可愛がってくれた。

 それは今も同じで、なにかと葵に甘えっぱなしの美咲を、聡も一緒になって相手になろうとしてくれる。

 誕生日プレゼントも欠かさず、クリスマスにも毎年美咲の好きなものを贈ってくれる。

 だけど、美咲は聡がどうにも気に入らない。

 大好きな姉を盗られたようで悔しくなってしまうから。

 来年からは、もうおねえちゃんとは暮らせない。

 おねえちゃんは聡くんのものになっちゃう。

 もう髪を綺麗に巻いてもらうこともできないし、洋服や化粧品を貸し借りしたり、メイクを手伝ってもらうこともできなくなる。

 夜遅くまでおしゃべりしたり、彼氏の愚痴を一番に聞いてもらうことも……。

 寂しい。

 寂しくて悲しくてたまらない。

 自分でもあまりにも子供っぽいと思うから絶対に口には出さないが、本音では『結婚なんかやめて、わたしとずっと一緒にいて』と叫びだしたいような気持ちでいっぱいだった。

 

「もうすぐ八時ね、そろそろ亮太くん降りてくるんじゃない? ねえ、ちょっと聞いてる?」

「聞いてる。いいよ、一緒に待っててくれなくたって、ひとりで大丈夫」

 心配顔の葵を見ると、なぜだか意地を張って平気なふりをしたくなる。

 美咲はズズッ、とわざと大きな音を立ててフラペチーノを啜り、もう片方の手をコートのポケットに突っ込んだ。

 大好きなはずの甘いクリームも、今日は全然味がわからない。

 葵は聡と顔を見合わせ、呆れたように笑った。

「あのね、いまにも泣きそうな顔して大丈夫とか嘘つかないの。そんなに不安?」

「無理もないよ、美咲ちゃんと亮太は遠距離恋愛だからね。会えないときに喧嘩すると、誰だってあれこれ考えて不安になるだろうし」

「不安じゃない、大丈夫だったら」

 バレバレの嘘に、ふたりがまた笑う。

 ああ、もう。

 やだやだ。

 だいたい悪いのは亮太なのに。

 だけど、電話ではちょっと言い過ぎた。

 不安じゃないなんて大嘘だ。

 亮太の顔を見たら、何て言えばいいんだろう。

 さっきから足がすくむほど、不安で怖くてどうしたらいいかわからない。


 亮太は聡の弟であり、美咲の彼氏でもある。

葵に連れられて聡の家族と一緒に出掛けたりするうちに、聡と同じく亮太とも自然に話すようになって仲良くなった。

 付き合い始めたのは3年前のことで、亮太が大学を卒業して遠方の会社の寮に入ることが決まったときに、美咲の方から告白した。

 それまでもなんとなく付き合っているような感じではあったけれど、亮太はいつまでたってもはっきりと言葉で気持ちを表すようなことはしてくれず、痺れをきらした美咲が「大好き」と伝えると「俺も」とあっさり返ってきた。

 ドラマチックなことは何もない。

 ただ一緒にいるだけで楽しくて、時間があっという間に過ぎてしまう。

 その後は年に数回、長期の休みがあるたびに戻ってきてくれるものの、やっぱり会えない日々が寂しすぎて美咲は不満をつのらせていた。

 おまけに、いつまでたっても手を握ろうともせず、キスだってしてくれない。

 もしかして、浮気してる?

というか、他の女の子が本命でわたしが浮気相手だったりして。

 わたしのことなんて、ほんとは好きでもなんでもないんじゃないの?

 あれこれ想像して悩むたびに、聡と葵は『そんなはずない』と笑い飛ばすが、美咲は全然笑えなかった。

 よくよく考えてみれば、この3年ずっと連絡は美咲のほうからするばかりで、亮太から何かアクションを起こしてくれたことは一度もない。

 ふたりの記念日やイベントごとのデートもいつだって美咲が計画し、亮太はそれほど楽しそうな顔をするでもなく、ただ一緒についてくるだけだった。

 好きだとも、愛してるとも言ってくれない。

 なんなら、まだ聡のほうが『美咲ちゃんはいつも可愛いね』とお世辞にでも言ってくれるだけ救いがある。

 こんなの、付き合ってるって言える?

 何ヶ月かに一回、美咲はそうした不満を爆発させて亮太と喧嘩になり、やっぱり言い過ぎたと反省してまた美咲のほうから謝って仲直りする。

 だから美咲と亮太の喧嘩は、もう何度となく繰り返してきた年中行事のようなものだった。

 ところが、今回はいつもと少し事情が違う。

 イベント好きの美咲のために、亮太は毎年クリスマスイブには帰って来てくれていたのに、今年は直前になって急な仕事が入ったとかで帰って来られなくなった。

 計画していた予定はすべてキャンセルとなり、美咲は楽しみにしていた分だけショックも大きく、わんわん泣きながら電話で亮太を責めた。

『亮太、わたしと会いたくなんかないんでしょ』

『もういい、別れる』

『亮太なんか大嫌い』

 他にもひどい言葉をたくさん口にした。

 亮太は『ごめん』『大晦日には帰るから』とだけ言って、あとは黙っていた。

 美咲は怒りのおさまらないまま電話を切り、デート中だった葵を家に呼び戻して泣きじゃくりながら愚痴を聞いてもらい、聡が買ってきてくれたクリスマス用の大きなホールケーキをひとりで全部食べ、気持ち悪くなってまた泣いた。

 それ以来、亮太とは連絡をとっていない。

 意地でもこっちから電話なんてしたくない。

 むこうから連絡してくるなら、話くらい聞いてあげてもいいけど。

 とか思いながら、毎日チラチラとスマホの画面を気にしていたのに、亮太はメールのひとつも送ってこない。

 帰ってくる新幹線の時間がわかったのも、聡が教えてくれたからだ。

 別れたいなんて、本気じゃないってわかってるよね?

 あんなこと言うつもりじゃなかった。

 嫌いなんて嘘。

 大好き。

 亮太に嫌われたらどうしよう。

 許してもらえなかったら……。

 

「ほら、美咲。あの階段の上、亮太くんじゃない?」

 葵の声に顔を上げると。

ホームから降りてくる人の流れの中に、たしかに亮太がいた。

 いつもの着古したジーンズに黒いダウンジャケット、寝癖がついたままの髪。

 肩には大きな旅行用のバッグ。

 遠目から亮太の姿を見ただけで、嬉しさと不安と焦りで頭の中が爆発しそうになった。

 そういえば鏡で身だしなみのチェックをするのを忘れてた。

 どうしよう。

久しぶりに会うのに、変な格好で会いたくない。

 美咲はにわかに挙動不審になり、涙目で葵にすがりついた。

「お、おねえちゃん、鏡! わたし、髪とか変じゃない? コートの後ろ、シワになってたりとかしない? ていうか、このコートにブーツってやっぱりおかしい? あ、あ、目元もマスカラ落ちてないかな、パンダ目になってたら最悪」

「いまさら何言ってんの。あんなに朝から何時間も頑張って準備したんだから可愛いに決まってるでしょ。メイクも崩れてない。自信もって行っておいで!」

 とん、と背中を押されて美咲は一歩踏み出しかけたが、どうしてもひとりで亮太に駆け寄っていく勇気が持てなかった。

「やだよ! おねえちゃんたちも一緒に来て、だって怒ってるもん。絶対、亮太すごく怒ってる」

「だったら謝ればいいだけでしょ、ごめんなさいって。簡単なことよ」

「謝ったって、もう許さないとか言われるかもしれないじゃん! ほんとに別れるとか言われたら……あああ、やっぱり来なきゃよかった、もう帰る!」

「馬鹿言わないの、逃げたって何も解決しないでしょ。あ、亮太くーん!」

 葵が大きく手を振ると、亮太はすぐに気づいたようで押し寄せてくる人波をかき分けて美咲たちのほうへ走ってきた。

 不機嫌そうな顔。

 心臓がぎゅっと締め付けられるように痛くなる。

 脚が震えた。

 聡と葵は満面の笑顔で『元気だった?』『久しぶり』と亮太に声をかけているが、美咲は葵の背中に隠れながら亮太の汚れたスニーカーばかり見ていた。

 亮太はふたりへの挨拶もそこそこに、葵を押しのけるようにして美咲の正面に立った。

「美咲、ちょっとふたりだけで話せるか」

「え……うん。いいよ」

 本当は『嫌だ』と言いたかったが、美咲は平気な顔を装ってつんと横を向いた。

 なにがおかしいのか、聡と葵はクスクス笑っている。

「じゃあ、わたしたちはもう行くね。美咲、ワガママ言って亮太くんを困らせちゃダメよ」

「子供扱いしないでよ、どこにでもさっさと行けば」

 これも嘘。

 おねえちゃんがいないときに深刻な話なんてされたくない。

 行かないで、と姉のコートの裾にしがみつきたかった。

 そんな美咲の心を知ってか知らずか、葵と聡は仲良さそうに腕を組んで駐車場のほうへとどんどん歩いて行ってしまう。

 こんな日に旅行なんて、ほんとやめてほしい。

 泣きたくなってくるのを我慢して、美咲は手に持ったままだった飲み物のストローに口をつけながらおそるおそる亮太の顔を見上げた。

身長は聡よりも少しだけ亮太のほうが高いかもしれない。

 聡によく似た顔立ちだが、切れ長の目にはややきつい印象がある。

 それでも機嫌のいいときはどことなく表情が和らいで見えるときもあるが、今日はどこからどう見ても怒っているようにしか見えない。

 ごめんなさい、と言いたくても、言い出すタイミングがうまくつかめない。

 美咲が黙っているうちに、亮太は肩を落としてため息をついた。

「まだ怒ってんのか。これでも急いで帰って来たんだぞ」

「お、怒ってないよ。だけど、亮太が」

「とりあえず、どこか店にでも入るか? ここじゃ寒いだろ」

「う、うん。亮太が……そうしたいなら」

 胸の奥がずきずきする。

 やっぱり、いつもと何かが違う。

 亮太は自分から店に入ろうなんて言わない。

 昔から、レストランやカフェの雰囲気が落ち着かなくて苦手だと言っていた。

 ぶらぶら街を散歩しながらおしゃべりしたり、どちらかの家に行ってテレビを見ながらコンビニのおにぎりやお菓子を食べたり、そういうのが好きなはずなのに。

 もう美咲とは一緒に歩きたくないということなのだろうか。

 お互いの家で遊んだりするのも、やめたいと思っているのだろうか。

 いろいろ考え始めると、また話すのが怖くなってきて、美咲は口を閉じたまま前を行く亮太の斜め後ろを気まずい思いのままとぼとぼと歩いた。


「ここでいいか?」

 亮太は駅構内の端にあるカフェの前で足を止めた。

 いつもは美咲が行きたがっても、高いから嫌だといって連れてきてくれなかったスタバ。

 これはいよいよおかしい。

 最後だから、わたしの好きな店でさよならしようとしているのかも。

 店の前に立った瞬間、美咲は死刑宣告を受けたような気分になった。

「い、いいよ。どこでも」

「どうしたんだ、おまえ顔色悪いぞ……あ、そうか。先にそれ飲んでたんだもんな、別の店がいいなら」

 亮太がいま初めて気づいたように、美咲の持っているカップを見た。

 もう半分以上溶けてしまっているし、味もよくわからないドロドロの液体。

 まだ三分の一くらい中身が残っている。

美咲は慌ててそれを飲み干しそうとしてゲホゲホとむせた。

「へっ、平気だから。ほら、もう飲んじゃったし」

「大丈夫か……じゃあ、何がいい? 適当に座って待ってろ」

「えっと、甘いラテとかがいい。期間限定のやつ、おっきいサイズで」

「わかんねーよ。珈琲でいいよな」

 レジへ向かう亮太が、ちょっとだけ笑ったような気がした。

 どんな顔の亮太も好きだけど、笑った顔は特別に好き。

 なんだか心がくすぐったくなって、あったかい優しい気持ちになれるから。

 だけど、もう亮太とは一緒にいられなくなるかもしれない。

 来年のいまごろ、彼は他の女の子と一緒に笑っているかもしれない。

やだ、そんなの絶対に嫌。

自分が悪いってわかってるけど。

でも、許してくれたっていいじゃない……。

油断するとすぐに泣きそうになる。

 泣いちゃだめ、泣いちゃだめ。

 美咲が呪文のように同じ言葉を唱えているうちに、巨大なカップをふたつ持った亮太が席に戻ってきた。

 片方のカップにはホイップクリームがどっさり盛られている。

 あまりのカップの大きさに、思わず涙も引っ込んでいく。

「え、一番大きいサイズ頼んだの? びっくりなんだけど」

「なんだよ、おまえが大きいのがいいって言ったんだろ。でも、そうだよな。デカすぎるよな」

 またちょっとだけ亮太が笑った。

 美咲もつられて笑いそうになりながら、ぐっと表情を引き締める。

 今夜は美咲の運命を決定づける日になるかもしれないのだ。

 笑っている場合じゃない。

「それで、話って何?」

「ん?」

「ふたりだけで話したいって言ったでしょ。話って何なの」

 聞かなくてもわかってるし、聞きたくない。

だけど、いつまでも宙ぶらりんのままでいるよりはいい。

 ひと思いに振ってくれたら、いまならまだ葵を呼び戻して失恋の愚痴を聞いてもらうことができるかもしれない。

 焦る美咲に比べて、亮太はずいぶんのんびりした調子で珈琲をすすっている。

「んー、いきなり始めるってのもな……ええと、それ飲み終わってから」

「こんなの真夜中になっても飲み終わんない! いいから、早く言って」

「急かすなよ。俺、あんまりこういう話は」

「もう、言ってよ。怒ってるんでしょ?」

「え? いや、怒ってるのはそっちだろ」

「亮太、絶対怒ってる!」

「俺はべつに……だって、電話の件はアレだろ? おまえの姉ちゃんもうすぐ結婚するから、寂しくて俺に八つ当たりしただけだってわかってるし」

「なんで嘘つくの? わたしがワガママばっかりで、別れるなんて言ったから怒ってるに決まってる! それで、もうめんどくさくなって、本気で別れようって思ってるんでしょ? いいの、覚悟できてるから、早く言って!」

 違う、そういうことが言いたいんじゃない。

 ごめんなさい、許して、って言いたかったのに。

 なんでこんなに馬鹿なんだろう。

 自分が情けなくて腹が立って、美咲はまたぼろぼろと涙をこぼしながらしゃくりあげた。

 亮太はあっけにとられたように、ぽかんと口を開けて美咲を見ている。

「おまえ、俺と別れたいのか?」

「別れたくないから泣いてんじゃない! ほんと、馬鹿じゃないの!」

「そっか。じゃあ、まあ、良かった」

「良くないよ、もう亮太と会えなくなるなんて、わたし絶対やだ!」

「ああ、うん」

「だけど、あれから亮太ったら電話もしてこないし、ずっと不安でどうにかなりそうだった! もう他に好きな子ができたとかだったら、はっきりそう言えば」

「なんでそういう発想になるんだよ。連絡しなかったんじゃなくて、できなかったんだ。年末年始の休み取るために必死こいて朝から晩まで仕事ばっかやってたからな」

「だけど、メールのひとつくらい」

「送ろうと思った。けど、なんかおまえに言いたいことって……そういうのって文字で伝えるモノじゃないと思って」

「そりゃそうよ、メールで別れ話なんかされたら立ち直れないもん」

「いや、だから」

「だいたい、好きじゃないなら最初からそう言えばよかったでしょ。わたし、おねえちゃんみたいに美人じゃないし、魅力ないってわかってる」

「今度は何の話が始まったんだ?」

 亮太はゆったりと珈琲を飲みながら、頬杖をついて美咲を見つめている。

 その落ち着いた様子に腹が立って仕方がない。

「だって、付き合って3年よ? なのに、まだ手も繋いでくれないじゃん! キスも何もしてくれない! こんなの、絶対変だもん」

「おまえ、声デカ過ぎ。恥ずかしいだろ……そういうのは、こう、チャンス無かっただけっていうか。いつも外で会うときは兄貴たちと一緒だったし、家は親がいるし」

「おねえちゃんたちは人前でもしてるもん。腕くんだり、チューしたり」

「あれは、あいつらが変なんだって。だいたい、そういうことって軽々しくするものじゃないだろ。でも、おまえがしてほしいなら」

「べ、べつに、してほしいなんて言ってない。別れるのにキスしたって意味ないじゃん。ほら、いいから早く言って」

「いや、俺は」

「もったいぶらないで、早く」

「んー、じゃあ言うけど」

「わあああ! だめ、やっぱり無理!」

「無理ってなんだよ。相変わらず面白いやつだな」

 美咲は顔を真っ赤にして泣いているのに、亮太は肩を震わせて笑っている。

「なによ、なんで笑うの」

「おまえこそ、なんで泣いてるんだ。俺、別れたいなんて一言も言ってないのに」

「だ、だって、あんな顔して……ふたりきりで話があるっていうから」

「そりゃそうだろ、兄貴たちの前でいきなり『結婚してくれ』なんて言えると思うか?」

「だからそんな……え?」

「俺は結婚したいんだ、おまえと。もうこれ以上、離れたままでいたくない」

「け、けっ……こん?」

 美咲が両目をぱちぱちと瞬かせているうちに、今度は亮太の頬が少し赤くなった。

 信じられない。

 どうしよう。

 わたし、もしかしてプロポーズされちゃった?

 灰色だった胸の中が一瞬で明るい桃色に塗り替えられていく。

「まだ早いかなとも思うけど。俺もまだ25で、おまえも今年働き始めたばっかだし。でも、このままじゃちょっとな」

「ちょっとって、何?」

「うーん、クリスマスのときに思ったんだ。いつまでも美咲に寂しい思いさせたくないって。それに、あんなに怒ったり泣いたりするくらい俺のこと想ってくれる女なんて、おまえしかいねーし」

「そ、そんなこと言って……ほんとは亮太が寂しいだけじゃないの?」

「まあ、それもある。でも嫌なら」

「い、嫌だなんて、言ってないでしょ! でも」

「ん?」

「わたし、ワガママだけどいいの?」

「知ってる。そのままでいい、でもわかってるならちょっとは直せよ」

「それに、すぐ怒るしすぐ泣くし、部屋とか片付けるの苦手で料理もダメだけど」

「それも知ってる。毎日おまえの顔が見られるなら、べつに何だっていい」

「ほんとに、ほんとにわたしと結婚したい?」

「ああ。だけど兄貴みたいに高い指輪とか買ってやれないし、俺についてくるならおまえの大好きな姉ちゃんとあんまり会えなくなるぞ。それでもいいのか?」

「亮太といられるなら指輪なんていらない! お、おねえちゃんとは……うう、電話、そう、電話で毎日話すから」

 そのとき、あはは、と大きな笑い声が美咲の後ろから聞こえてきた。

 何かと思って振り向くと、ついさっき旅行に出かけたはずの葵と聡がげらげらとお腹を抱えて笑っている。

「美咲、あんた結婚してからも毎晩わたしに電話してくるつもり? 仕方のない子ね」

「お、おねえちゃん? 聡くんも、どうして」

「いやあ、さっきはずいぶん重い雰囲気だったから。君たちの兄姉としては、あの後の展開が気になってね。こんなことだろうとは思ったんだけど」

 こっそり後をつけてふたりの様子を見守っていたんだ、と聡はまた笑った。

 のぞくなよ、変態、クソ兄貴、と亮太は赤面しながら悪態を吐いている。

 葵はにっこりと微笑んだまま、美咲の隣に立ってぽんぽんと肩を叩いた。

「それより、亮太くんにまだきちんと返事してないでしょ? 心が決まってるなら、はっきり言わなくちゃダメ」

「わかってる、もう、おねえちゃんたちはあっちに行っててよ!」

 ぐいぐいと葵をおしのけながら美咲はテーブルに身を乗り出し、亮太にだけ聞こえるくらいの小さな声で囁いた。

「わたし、亮太と結婚する。それで、ずっと、ずっと一緒にいたい」

「うん。俺、一生大事にするから」

 亮太の顔が耳まで赤く染まっていく。

 ぎゅっと握られた手が、火傷しそうに熱い。

 少し離れたところで、葵と聡がパチパチと拍手しているのが見えた。

 なんだか、こういうのって照れくさい。

だけど、ほんとに素敵。

 大好きな人たちに囲まれている幸せを胸いっぱいに感じながら、美咲はそっと亮太の手を握り返した。


(おわり)


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― 新着の感想 ―
[一言] 第三者視点だと、面白いけど面倒臭い女だなーと思う でも恋してるとこれがたまらなく可愛く思えるから、恋愛って不思議な状態異常だよね
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