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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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地獄の業火②

 男が突然振り返ったのは、白鳥が仕事を再開してすぐだった。

 その動きに気が付き、筆を止めて顔を上げる。彼は目にいっぱい涙を溜めて、無念そうにこうべを垂れた。その拍子に土間に滴が落ちた。

「私は、人を殺したんです」

 その言葉を聞き、白鳥は向き合っていた机を拳で叩いた。すると控室から平野が出てきて、その物音を聞いた河津が庭先から番所の表へと回って入ってくる。

 男は一向に構うことなく、とつとつと語り始めた。

「あれは五年前のことでした。私は鳶をしていたのですが、とある仕事現場で小梅という女と出会ったのです。その家に住む老婆の世話をしていると言っておりました」

「……良い娘さんですね」

「ええ、私も最初はそう思っておりました。気遣いも出来て、よく茶や軽食などを差し入れてくれたんです。老婆との関係も良好そうでした。朗らかに笑う姿が今でも思い起こされます」

 男がまなじりに浮かんだ涙を拭った。これは話が長くなりそうだ。

 どうやら平野は、他人の過去の事情に興味がなかったようで、早く本題を言わせろ、と手ぶりで伝えてくる。ただ、相手は単刀直入に言うつもりもないらしい。白鳥が肩をすくめると、彼女は控室に戻っていった。

 男はまたしても声を上げた。白鳥は冷めた目で、男の言葉を調書にしたためていく。

「その家で仕事をするうちに、老婆の手引きで、小梅とよく話すようになったんです。傍から見ていた印象と違わず、優しく、明るい娘でした」

「……で、何でそいつを殺すことになったんだ?」

 河津も痺れを切らしたようだった。じれったそうに前のめりになりながら尋ねる。

男は涙を溜めて、おいおいと泣きだしてしまった。

「何で泣いてんだ、こいつ」

「今、それを聞いているところなんですよ。茶々を入れて邪魔をするなら、どっか行ってください」

 それで河津までもが脱落した。髪の毛をぼりぼりと掻きながら庭先へ戻っていく。

 これで邪魔者二人がいなくなった。

 先ほどと同じ状況になったことに気がついてはいたが、もうどうでもいい。今の白鳥からすれば、さっさと話しを終わらせて、仕事に戻りたいというのが本音であった。

「それで? 小梅さんとは上手くいかなかったんですか?」

「いえ……いえ。最初は上手くいっていたと思います。少なくとも、私はそう思っておりました」

 男はそこで言葉を切り、鼻を啜った。白鳥も気は長い方だが、いつまでも悠長にしていられるわけじゃない。早くこの男の処分を決めてしまいたい。

「思っていた?」

「ええ、彼女の行動が善意で、全てが無欲から行なわれたことだと思っていたんです」

 まあ、それはなんとも純真な話だ。げっそりと頬がやつれてしまってはいるものの、二十代半ばくらいだろう。彼は左手で湯呑を掴み、中身を煽った。

「ですが、それは大きな間違いだった。彼女は老婆を騙していたんです。老婆はもう、余命いくばくもない人だった。息子が二人いたみたいですが、折り合いが悪く、帰って来ることはなかったそうです」

「それは老婆から直接?」

「ええ、仕事をするうちに、ぽつりぽつりと話してくれました。それで、寂しい思いをしていたところに、小梅がやってきたのだそうです。行くあてがないと言っていたそうで、老婆は不憫になって家に住まわせたのだとか」

 大方、財産目当てだろうとは予測が付く。白鳥は太息をした。

「で? その小梅さんは何故、老婆を騙そうと?」

「老婆には財産がありました。家族で住んでいた小さな家と、老後を過ごすのには充分なくらいの貯金です」

 よくあることだ。それで義憤に駆られて小梅を殺したんだろう。欠伸をした白鳥には気づかず、男はなおも言葉を続けた。

「ちょうど、私が仕事を終えた日でした。ひと月ほど仕事をしていましたから、老婆とも、小梅とも仲良くなっておりました。ですが、その日、初めて老婆の異変に気が付いたんです。嫌に青ざめた顔で、足を引きずっていた」

 毒でも盛られたか、それとも別の何かか。白鳥は首をかしげた。

 外はまだまだ日差しが強い。考えるには幾分か暑すぎるように感じられた。額に浮いた汗を拭い、ぬるい茶を啜る。男は左の拳を握りしめ、小さく鼻をすすった。

「夜な夜な、小梅は老婆を殴っていたみたいなんです。それと、食事に毒を混ぜていた。彼女は薬を常用していたんです。その一部にトリカブトが使われていた」

「……老婆を殺す目的で?」

「ええ、今際の際に老婆が教えてくれました。老婆は、ある日突然貧血で倒れて、そのまま何日か生死の境を彷徨ったあとに発作を起こしたんです」

 あとのことは簡単だ。医者を呼び、死亡宣告を出してもらった。

 その後、老婆の息子二人が、家と財産を相続しようとやってきたのだが、何故か遺言書には小梅に全ての財産を相続すると書かれていた。

「全部が終わったあと、小梅に尋ねたんです。老婆の死に方はおかしいし、ただの同居人に全財産を与えるなんてこともありえない、と。小梅は、あの邪気のない笑みを、私に向けたんです」

「……それで?」

「殺しました。首を絞めて、殺してしまいました」

 白鳥はもう一度机を叩いた。またしても平野と、汗だくの河津とがやってくる。何故か二人とも捕縛用の縄を持参していた。

「それは罪を認めたってことでよろしいですね?」

「はい。五年前もそう言いました」

「……ん?」

「小梅を殺したあと、この番所へ自首してまいりました。五年間の遠島を申しつけられ、先月戻ってきたんです」

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