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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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地獄の業火①

「……やっぱりねえ、僕は思うんですよ――」

 番所の厨房にいた白鳥と河津は、割れた湯のみを間に挟み、顔を見合わせた。

 ちょっと良いお茶っ葉が厨房の棚にあり、それを淹れるか淹れないかで喧々諤々の議論をした末、年甲斐もなく掴みあいの喧嘩になり、思わぬ拍子に肘が当たって湯のみが床に落ちたのである。

 その茶葉はといえば、別の番隊が解決した窃盗事件のお礼として、現場となった商家から頂いたものであるらしい。

「――いくら厨房にあるからって、僕達の物じゃないって」

「……取られるのが嫌なら、自分達で持ち帰ればいいだろうよ」

 そんな悪態を河津がつく。視線は湯飲みに釘付けだ。これが自分達のであったり、また別の同心の物であったならば、謝っただけで済むかも知れない。

 では、これが上司の物だったらどうなるだろうか。しかも、鬼よりも恐ろしい上司の。

「割ったのは僕じゃありませんよ」

「お前が押したのが原因だろうが!」

「でも、直接的な要因は河津さんです」

「お嬢の前で同じ主張が出来るか?」

「卑怯ですよ。それじゃあ両成敗だ」

「うるせえ。どうせ怒られるなら、お前も道連れにしてやる」

「とんでもない男ですよ、あんたは。良いから、さっさと地獄に落ちてください」

 二人は再び睨み合った。

 割れた湯のみを避けるように移動し、がっしりと両手を掴みあう。力比べでは河津にあっさりと負けてしまう。だから卑怯でも脛蹴りや頭突きなどを多用しながら、相手に組み伏せられないように暴れる。

 二人が大きな物音を立てながら争っていると、その厨房に、おずおずと下男が入ってきた。ぎゃあぎゃあ暴れ倒している二人を、呆気に取られた様子で見つめていた。

「あのう……」

 いかに同じ職場にいるといえども、同心と下男とでは立場が違う。本来であれば、彼らと目を合わせられない程度には身分の差がある。

 だから、彼は前掛けを強く握りしめ、何度も弱々しい声を掛け続けた。馬鹿な男二人は全く気付く様子もない。

 そのうち、下男は泣きそうな顔になりながら厨房の外へ顔を出した。この喧嘩している二人を呼んでこい、と命じた相手が腕組みをして仁王立ちしていた。

 申し訳なさそうな下男に怪訝な顔を向け、二人の上司である平野静が近付いてくる。

 騒ぎに気が付いたようだ。見る間に面上に怒気が滲み、その体には力がみなぎる。厨房を覗きこんだ時などは、下男が卒倒しそうなほどの殺気を孕んでいた。

「おい」

 決して大きな声ではなかった。この騒ぎ声の方が、よっぽど騒々しい。

 だが、下男も、喧嘩をしていた二人も顔を引きつらせて、その声の主に視線を向けた。どんな状況であってもよく通る声だ。

 騒ぎはすぐに止んだ。

 二人は揃って足元に視線を落とした。そこには無残に散った湯のみが破片となって転がっている。平野も同時に視線を下向け、再び二人の部下を睨んだ。

「何の騒ぎだ?」

「いえ、互いの認識の齟齬を正しているだけです」

「そうなんですよ、お嬢。ちょっとした諍いで」

「……その諍いに、私の湯飲みは関係があるのか?」

 二人はちらと見合い、視線だけで全てを了解し合った。掴んでいた手を離すと、揃って咳払いをして、怯えた顔をしている下男の肩を叩いてから外に出た。

「申し訳ありませんが、片付けを……」

「ああ、戸棚に入っている茶葉は、ちょっとくらい貰ってもいいからな」

 青ざめた顔で言い繕う二人に、廊下の半ばほどから平野の罵声が飛んだ。

「さっさと来い! この役立たず共」

 番所の土間の方へと戻ってくる。そこには一人の男がいて、白鳥達と同じくらい血の気を失った顔をしているのであった。

「あ、ええと、こんにちは」

 こういう時、大抵白鳥が応対させられる。

 たぶん、平野では手に負えなかったのだろう。その理由はすぐに分かった。

 下男に言って茶と菓子を出してもらう間も、それを一啜りする間も、男は俯いて両手を握りしめたままだった。

「お茶、冷めますよ?」

 そう促しても、男は全く口を開こうとはしなかった。平野が面倒がるのも分かる。彼女が応対していたら、今頃土蔵に引きずり込んで、一つか二つ拳骨を与えていただろう。

 番所を託児所だとか、老人の保養所だとか思っている奴は数多いるが、俯いて黙って座っている奴は初めて見た。

 だが、この男にかかりきりになるわけにもいかない。同心としての仕事はいくらでもある。あの喧嘩は、ちょっとした休憩時間みたいなものだ。

 第二八番隊の三人は顔を突き合わせた。最初に口を開いたのは白鳥だ。

「で、どうします? 追い出します?」

「構わんが、あの男の目的は何だ?」

「お嬢、どう見ても気の病んだ人じゃないですか。医者かなんかを呼んだ方がいいんじゃないですか? ああいう奴が思い余ったことをするんですよ」

 三人はそのまま男の背中を見つめた。土間に腰かけて、じっと地面を見つめている。

 土間の反対側で働く他の同心達も、気味悪がっているようだった。番所の外では、毎日来ては無駄なお喋りだけしていく老婆とかが、遠巻きに様子を窺っている。

「ともかく、三人揃っていても仕方がありません。誰が貧乏くじを引くか――」

「白鳥だな」

「そうですね、お嬢。白鳥は根気があるから」

 二人はさっさとその場を離れてしまった。置き去りにされた白鳥は、この薄情な上司達を見送り、深々と溜息をついた。

「話す気になったら教えてください。暴れる気になっても言ってください。帰る気になったら、どうぞ出口へ」

 そう告げて書類作業に戻った。

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