終の棲家④
一晩調べただけで、老婆の一族の生活が浪費にまみれていることが分かった。
収入の二倍近くを消費に宛てているのだから恐ろしい生活をしている。
その過剰消費をどこで賄っているのかといえば、主は金融業者からであり、従としては親類縁者からの寄付であったり、もしくは借金であったりするわけである。
白光の差し込む屋敷の掃除をしながら、その調査結果を報告した。
「何が問題なのかといえば、やはり、あの中央に建てた屋敷ですよ」
それを聞いていた河津が眉をひそめた。
「そんなに酷いのか?」
「ええ、いずれは破産するでしょう。今、こうしている間も借金はかさんでいます」
河津は溜息をついた。明日は我が身、とでも思っているのだろうか。
身の丈に合った生活をしている人間からすれば、あの一族が馬鹿みたいなことをしているように見える。
しかし、人には立場があり、必ずしも望んだ生活が出来るわけではない、ということも白鳥は理解していた。
あの一族からすれば、あの豪奢な屋敷地を確保し続けるということは、今後の仕事の行方を左右するほど重要なのである。破産し、潰れてしまうまで、あの場所に居続けなければならない。
「しかも厄介なのは、現当主が墓を売り払おうとしていました」
「墓?」
「ええ」
白鳥は一旦掃除をする手を止め、懐から紙きれを取り出した。
それは市中の西部に古くからある寺の、墓に関する権利について書かれたものだった。借金苦の余り、この権利を売り払おうというのである。
一般的に良い寺に墓を持つことは、この中津国では名誉と捉えられる。
少なくとも、家の墓はその地に土着していることを示すのである。それを売り払うということは、すなわち土地と縁が切れるということだ。先祖代々守り続けてきた物が断ち切られるということに他ならない。
「そりゃ、ひでえ話だ……」
さすがの河津も、これには考えが及んだのであろう。あの一族がどれほどの困窮に喘いでいるのかということに。
この屋敷を出ていった代償が、全てを失うということなのだろうか。白鳥は思わず肩を落とした。それではあまりに不憫だ。
「しかし、そういう意味では幸運でしたね」
「あ? 何でだ?」
「だって、この屋敷は、もう親戚に売り払われているんですから。彼が手放さない限り、ここだけは一応残るわけです」
「なるほどねえ」
「だから、さっさと掃除を終わらせてしまいましょう」
二人は再び黙然と手を動かした。喋る暇はほとんどない。
埃はどこにでもあった。いくら掃除してもゴミは出てくる。それと同じくらい、白鳥の頭の中では罵詈雑言が渦巻いていた。
斜陽が庭先に差し込んだ。屋敷はちょうど半分、綺麗になったところだ。
まだあと半分あるのか、と肩を落としているところに、あの若い夫が飛びこんできた。
老婆の意識が朦朧とし、もう先が長くないということを告げに来たのである。
「それで、この屋敷に戻りたいと……」
白鳥と河津は顔を見合わせた。戻れないこともないが、まだ半分は汚いままだ。
「それでも構いません。とりあえず一室だけでも綺麗になっていれば……」
河津はとりあえずの処置として廊下だけでも綺麗にするようだ。若い夫はすぐさま中央へと取って返して、老婆を馬車で運ぶという。
白鳥も屋敷から飛び出した。せめても、床の間の掛け軸だけは望むものにしてやろうと思ったのだ。
港の方までやってきた。先日言い争ったあの店に飛び込むと、すぐに店主が表に出てきた。彼はすぐに事情を察し、とっておきの一本を取り出した。
「一応、家宝と呼ばれる物らしいです」
その顔は苦々しげに歪められている。これをどのようにして取り返したのかは聞かないでおく。
ともかく、それを引っ掴んだ白鳥は屋敷にとって返した。
中央の屋敷で働く数少ない下男が玄関先を掃いている。もうすぐ老婆が来るというのである。屋敷は――少なくとも外観だけは――立派に整えられていた。瓦葺きを直して正解だったな、と白鳥は安堵し、急いで中に入った。
宵闇に差し掛かろうとしていた。老婆を乗せた馬車がやってきた。下男達によって老婆は下ろされた。歩けないから、とたんの板に横たえられる。
焦点の定まらない目で懐かしい屋敷を見て、老婆は大粒の涙をこぼした。
「ああ、全ては変わってしまった……」
その言葉の意味は、白鳥にはよく分からなかった。
中央の屋敷からついてきた医師を脇に追いやり、この近辺で診療所もやっているという別の医者が呼びつけられた。元々の掛かり付け医だったそうだ。
床に入ってすぐ、老婆の意識は途切れがちになった。うわ言のように述べるのは、この屋敷での思い出ばかりだと若い夫が教えてくれた。今は老婆と息子である現当主が手を取り合っていた。
「あすこの柱、埃が溜まりやすいから」
「うん」
「厨房は火に気をつけて」
「母さん、俺ももう大人だ。妻もいる。子供だって」
「……私にとっては、いつまでも子供ですよ」
息子は俯いたままだ。老婆の視線は、あらぬ方を向いていた。息子と、孫夫婦とを探して彷徨っていた。しばらく沈黙があったものの、不意に、低く明瞭な声で呟いた。
「……この屋敷は、手放してもいいからね」
どういうことだ、という息子を節くれ立った手で制した老婆は、にっこりと笑った。どうやら親にはお見通しだったようだ。家の借金のことも、苦しい生活のことも。
老婆は息子の額に触れた。しわが深く刻まれている。それを愛おしそうに撫で、彼の手を取った。
「何でも抱え込んではいけないよ。あんたは丈夫じゃないんだから」
というのが老婆の最期の言葉だった。それからはもう瞼を上げることさえも叶わないようで、呼吸も段々と浅くなった。
そのまま老婆は息を引き取った。
全く、偶然か必然か、医者以外の誰もが気を抜いた瞬間だった。
死亡宣告がなされた時、現当主はぼんやりと夜空を見上げていた。若い夫婦が泣きながら、老婆に声を掛けているにもかかわらず。
「どうかしましたか?」
白鳥が尋ねると、彼は眉間のしわを撫で、ぽかんと口を開けて言った。
「いや、……いや、何でもない」
「そうですか」
その顔は憑き物が落ちたようだった。それまで面上に張り付いていた悪相が、どこかへと消えたのだ。
白鳥は急いで屋敷を出て、近くの寺へと駆けた。