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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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終の棲家①

「まあ、あれですよ。同心は町の人々の助けにならなきゃってね……」

 半ば投げやりに白鳥が呟いた。

 彼は今、口元を布で覆い、汚れても良いように作務衣を着ている。何かといえば、とある古びた屋敷を掃除しているのである。しかも同心の職務の一環として。

 その近くでは同じような格好をした河津が、天井から落ちてきた埃によって白くなった髷を撫でていた。

 何度か咳をする。単純な汚れだけではなく、虫や動物までもが屋敷には住まっているらしい。ネズミの糞が至る所に落ちていて、どう考えても人が住めるような状態ではない。

「それにしたって廃屋の――」

「一応所有者のいる屋敷です」

 すかさず白鳥が訂正すると、河津は髭を引っ張りながら、唸るように溜息をついた。

「どっちでもいいがよ、何だってこんなことになってんだ?」

 その問いはもっともである。白鳥は今朝のことを思い出していた。


 朝方、心地よい気分で出勤した白鳥は、難しい顔をした平野と、それから若い夫婦とに睨まれて、早速その気分をどこかに落としてしまった。

「ええと」

 と戸口のところで言い澱むと、舌打ちをした平野が、さっさと入れと顎をしゃくった。

 おとなしく番所の引き戸を閉める。

 どうやら、平野と若い夫は旧知の仲であるらしい。話を聞く限り市中の中央で役人をやっているのだそうだ。代々そうした仕事をしており、祖父も父親も同じく役人であった。

 その若い夫と妻が必死に頭を下げて何かを懇願し、、それを平野が冷淡に見下ろすという構図が、なんとも恐ろしい。もしかしたら、悪徳な金貸しの店でもこんな光景が広がっているんじゃなかろうか。

 とまあ、そんな白鳥の悪い妄想を見透かしたかのように、平野が冷めた視線を向けてきた。何事か、と首をかしげると、彼女は片眉を上げた。

「河津は?」

「さあ? 昨日は飲むって言っていました」

「……遅刻だろうな?」

 そんな期待するような眼差しを向けられても困る。白鳥は蒼白の顔で首を横に振った。平野はその様子に目を細め、それから酷薄な声をこの新米に放った。

「ちょうどいい、お前達でこのご夫婦の話を聞け」

「……平野さんは?」

「お前達の分、警邏をする。文句があるのか?」

「いいえ、ありません」

 そう答えるしかない。答えなければどんな目に合わされるか。道場で一日中剣術の稽古をさせられた時は、もう泣いたりわめいたりする気力さえなくなったほどだ。

 それに若い夫婦が縋るような目で見ているわけであるから、白鳥は仕方なく再び外に出て、河津を屋敷まで迎えに行った。彼は二日酔いで、布団から起き上がれなかったらしい。

「話というのも」

 と若い夫の方が切り出した時、四人は豆河通りの西に広がる御屋敷通りを歩いていた。

 武家だけではなく、ちょっと金を持っている商人までもが住んでいる通りである。小さな庭を作れるくらいの土地は確保されていた。

「これなんです」

 その通りの真ん中で夫が立ち止まった。彼が指差したのは古びた屋敷だった。周囲の光景からは異様に浮いている。その正体に気が付いた時、白鳥は眉をひそめた。屋根の瓦が外れている。そこには穴が開き、明らかに修繕も、手入れもされていないことが窺える。

「まあ、中に入ってください」

 その夫婦に促されて敷地内に入り、屋敷の入口の戸を開けたところで、白鳥と河津は動きを止めた。

 戸を開けた瞬間、外から風が吹きこんだ。その拍子に室内に積もっていた埃が舞いあがり、視界が一瞬にして白色に染め上げられた。

「うわ!」

 白鳥は咳き込みながら飛び退った。屋敷の中から無数の埃が吐き出される。他の三人も、めいめい慌てた様子で脇に逸れた。

「お分かりでしょう?」

 若い夫が言うには、この屋敷はもともと祖父母の住居だったのだという。祖父が亡くなり、祖母一人で住んでいたところ、とある店を営む親戚がこの屋敷を貸してくれと打診してきた。それを承諾した祖母は中央に居を構える息子夫婦に引き取られた。

「それが、五年前の話なのです」

「で、その親戚は?」

「市中の別の場所に住んでいます」

「この屋敷に住んでいるわけではないのですか?」

 若い夫は頷いた。節税対策の為に持っておきたかっただけで、住むつもりは毛頭なかったのだそうだ。そしてつい先週、その事実をこの若い夫婦は聞かされたのだという。

「祖母がもう長くないそうで。長く住んだこの屋敷で死にたいと申しておりまして。それから、祖父の形見と家宝を一目で良いから見ておきたい、と」

「この中にあるんですか?」

 白鳥は古ぼけた屋敷を見上げた。

 見える範囲でも汚れはあるし、雨漏りもしている。その上、屋根が抜けている部分だってある。いかにも肝試しに使えそうな廃屋敷である。

「ええ、たぶん」

 若い夫が嘆かわしげに頷いた。

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