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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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嫉妬を買うのは天鼠堂④

 白鳥は肩をすくめ、河津を伴ってもう一度現場に戻ることにした。

 長屋の方は、もういつも通り生活を営んでいる。そこここから旨そうな夕食の匂いが漂ってきていた。

 スエの自宅にも火が灯っていた。まあ、現場は井戸の近くだから、住むには問題ないわけであるが無神経な気はする。

 戸を叩くと男が出てきた。宵闇のせいで面上には濃い影がかかっている。どこをどう見ても平凡そうだ。年相応に覇気がなく、のっぺりとした能面のような顔に影がかかって見える。

「どうも、町奉行所の者です」

 そう言うと、スエの夫――利久は微妙そうな顔をした。

「はあ、昼間は妻のことで……どうも」

「仕事ですから。昼間はどちらに?」

「仕事です。どうしても抜けられませんで」

 妻が死んでも抜けられない仕事とは……。随分と高尚なことをやっているらしい、と内心で蔑みつつ、白鳥は家の中の状況に気が付いた。

「中、片付けたんですね?」

 白鳥が顎をしゃくった先では、確かに散乱していた衣服やゴミが綺麗に片付けられている。

「ええ、人が住む環境ではありませんでしたから」

「全部、天鼠堂の商品ですか?」

「あいつは、すぐに騙されるんですよ。あんなに買って、私の給金を使いこんでいた。おかげで今はこのみじめな生活です」

「今は?」

「昔は良い生活だったということです」

「……奥さんは、天鼠堂の商品をどこかに売ると言っていませんでした?」

「知りませんよ。近所の人に聞いてください」

「奥さんには不満を持っていた?」

 白鳥が片眉を吊り上げると、利久が不機嫌そうに鼻を鳴らした。全員に聞いていることですよ、と笑い掛けると、そこで初めて表情を戻し、腹の底から溜息をついた。

「ええ、こう言ったら疑われるかもしれませんがね、逆だったんじゃないかと思いますよ。あの怠惰な妻の方が、ご立派なマスさんを刺すんじゃないかと考えていました。部屋だって何時まで経っても汚いままだ。庭も物干し以外に使ったことさえない」

 口を出そうとした河津を止め、白鳥は、じっと夫を見つめた。彼の方は何の疑いもなくそう思っているようだ。

「ご立派なマスさん、ねえ」

 途端に利久は眉間にしわを寄せ、不機嫌そうな顔になった。白鳥は、じっと目を見つめて、最適な間でにっこりと笑った。商人の次男坊としての、嘘にまみれた表情だ。役人には一番利く。利久も緊張を緩めた。

「マスさんのことをよくご存じなんですね」

「は?」

「だって、彼女が家庭菜園をやっていたり、部屋が綺麗なことを知っていたりするんですから」

 利久は、はっとした顔になった。しかし、すぐに表情を引き締め、力なく首を振った。

「ご近所の噂を聞いただけです。妻はよく愚痴っていましたから」

「どんな風に?」

「それが事件と関係あるんですか?」

「あるかもしれません。ですからお尋ねしているんです。奥さんはどんな風に愚痴っていたんですか?」

 利久は苛立たしげに舌打ちをした。それから、よく覚えていません、と唸るように言い放ち、そのまま部屋に戻ってしまった。

 閉められた引き戸を凝視する。中からは大きな物音が聞こえてきた。それに大きく頷き、白鳥はマスの家に向かった。

 悄然とした面持ちの徳郎が出てきて、同心二人を見るなり深々と頭を下げた。

「この度は妻が申し訳ないことを……」

「いえいえ」

 白鳥は首を振り、早速本題に入った。

「奥さんのことですがね、最近変わったことはありませんでしたか?」

「……特に思い当たりません」

「スエさんのご夫妻と交友は?」

「親しくはありません。時たま会う程度です」

 徳郎は憔悴した面持ちであった。彼は何度も、何度も頭を下げてくる。その揺れる頭頂部に、白鳥はそっと問いかけた。

「天鼠堂ってご存知ですか?」

「ええ、昔、妻が利用していました」

「上手くいかなかった?」

「ええ、そうです。借金ばかりがかさんで、止めさせました。お前には才能がないのだと言っておきました。私に甲斐性があれば、もう少し良い生活をさせてやれましたのに」

「……ちなみに、ですが。スエさんが天鼠堂を利用していることは?」

「知っています。彼女は上手くやっていた」

「……随分とお詳しいんですね」

「スエさんが時々おすそわけをしてくれるんです。その度に、妻は顔を真っ赤にして怒りましてね」

「怒って、どうしたんです?」

「私へのあてつけだ、と喚くばかりでした。大抵は腐るまで置きっぱなしです」

 徳郎が顎をしゃくった先には天鼠堂の箱があった。中身には野菜が詰まっている。

 白鳥はちょっと考えたが、礼を言ってその場を離れることにした。

 彼が口を開いたのは番所への帰り道だった。

「変ですねえ」

 夜空を見上げていた河津は、ちょっと眉を動かしただけで何も言わない。

「変だと思いませんか?」

「マスがスエを殺したことか?」

「違いますよ。利久がマスについて詳しいってことです」

 河津は目をぐるりと回した。

「そうか?」

「そうですよ。普通、交流もない家の事情なんか知りもしないはずです」

 そう言って、白鳥は悪い顔で笑った。どうやら良くも悪くも同心に染まってきたようだ、と河津は溜息をついた。

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