嫉妬を買うのは天鼠堂③
豆河通りから少し南に外れた場所に天鼠堂の看板はあった。
長屋よりも、港までの距離の方がよほど近い。魚問屋が軒を連ねる一角だ。
中に入ると活気のある声が響いた。すぐさま若い番頭が近付いてくる。何かご入用ですか、と面上に笑みを張りつけて。
「同心だ」
河津が印籠を見せる。すると彼らは一様に顔を青ざめさせた。
「いや、今日はお前達に用があるんじゃない」
と告げた途端、店内に安堵感が広がり、また忙しさが戻ってくる。番頭にスエのことを尋ねた。住所を言うとすぐにぴんと来たらしく、分厚い帳簿を片手に戻ってくる。
「あの方にはよくご利用いただいておりました」
「無理やり買わせたんじゃねえだろうな」
凄む河津を脇に追いやり、白鳥も商人の次男坊らしく欺瞞に満ちた笑みを浮かべた。
「スエさんの家には大量の商品がありました。どれをどのくらい買ったのか、そして発送したのか、教えていただけませんか?」
番頭は気まずそうに眉根を寄せつつ、白鳥の為に帳簿の中身を書き抜いていく。どうやら殺されたスエ、随分と長いこと天鼠堂の客であったらしい。結局は膨大な資料となってしまった。
「ここはかなり強引な商売をやっているみたいですね」
土間の一角に腰かけた白鳥が、何気ないそぶりで水を向ける。勘定台の隅っこで筆を動かしていた番頭は溜息をついた。
「まあ、販売方法が方法ですからね。素人に任せると行き過ぎることはあります」
「止めないのは、儲かっているからですか?」
「ええ、それに上手くやれば主婦の小遣い稼ぎくらいにはなります」
白鳥は、さっとスエのことを思い出していた。野次馬達の内、何人に売りさばいたのだろうか。ただまあ、野次馬達もあまり気にしてはいなかったようだから、その点では上手い事やってのけたのかもしれないが。
そして、その白鳥の考えを後押しするように、番頭が僅かな笑みを浮かべた。
「スエさんも、その一人でしたよ」
「へえ」
と顔を上げると、番頭も同じタイミングで視線を上向けていた。彼はにっこりと笑い、とある両替商の名を告げた。
「そこにね、貯金をしているんだって言っていました」
よほどの金持ち以外、この市中に住む人々はその日暮らしをしている。金なんかあの世に持っていけないのだからと、結構豪快に使いこむのである。貯金なんぞをするのは、部下を抱える武家だとか、大きな商家、あとはごく一部の金持ちくらいだろう。スエもその一人だったというらしい。
「何でも、旦那さんの生まれ故郷に家を建てるんだとか、何とか」
白鳥は微妙な顔をして頷いた。
確かまだ、スエの夫は妻の亡骸を見にも来ていないはずだ。市中の中央で小役人をしているらしいが……。何故夫は様子を見に来ないのだろうか。妻が殺されたとあっては、どんな仕事をしていても休めるだろうに。
多少の引っかかりを感じる中で、やっと番頭の仕事が終わった。
利用し始めたのはここ二、三年のことで、利用数も別段常軌を逸しているわけではない。本当に自家消費と、それから近隣住民にちょっと分けるという程度だ。マス夫妻を破産寸前に追い込むまで物を買わせたのかとも考えたのだが、そういう可能性もなくなった。
「ちなみに、同じ長屋に住んでいるマスという人はどうです?」
「えーと……ああ、ありますね」
「収支は?」
「大幅な赤です。典型的な失敗者だ。たぶん、周りの誰かが上手くやっているのを見て、真似たんでしょう。こういう人は往々にして続かないし、上手くいかない」
「……厳しいお言葉ですね」
白鳥はねんごろに礼を言い、河津を伴って両替商の元に向かった。
もう日も暮れようかという頃であるが、戸を叩けばすぐに応じてくれて、神平家の印籠を見せれば簡単に中に入れてくれた。
「ああ、スエさんね」
話をすれば、すぐに店主が出てきてくれる。預金の帳簿を持ってきて、それを白鳥に見せた。
「あの人は勤勉な人でね。ちょっとでもお金が出来ると、うちに持ってきてくれたもんです」
白鳥は、そっと問いかけた。
「目標金額は遠そうですか?」
店主は肩をすくめた。亡きスエが両替商に預けた金額は、彼女が八十になるまで生きたとしても、全く不自由ない生活が営めるほど大きな金額だった。
「あと一歩、と言っておりました」
白鳥は思考を巡らせた。マス夫妻はどうだったのだろう、ということと、スエの夫のことだ。
しかし、それはいずれも、この両替商からは聞き出せない。白鳥は膝を打って立ち上がると、この店主に丁寧な礼を言った。
「いやいや、白鳥屋の坊ちゃんならば、いつでもどうぞ」
「今は同心としてきています」
「それでもどうぞ。お客さんとしてきてくれたら、もっと歓迎いたしますよ」




