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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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嫉妬を買うのは天鼠堂②

 事件は豆河通りの北、長屋の列が連なる場所で起こった。とある主婦が、近所に住む同業者を包丁で襲い、めった刺しにしたのだという。

 現場を目の当たりにして真っ先に思ったのは、犯人は相当恨みが強かったんだな、ということであった。

 被害者のスエは顔や腹、あとは背中などに二十カ所以上の傷を負っていて、加害者のマスは全身を真っ赤に染めていた。綺麗な着物なのに、もったいない。

 目撃者の話によれば、最後は馬乗りになって、死して動かぬスエの腹に包丁を振り下ろしていたのだそうだ

 白鳥は深々と溜息をつきながら、生きていた頃は絶対に出来なかったであろう体勢で死んでいるスエを見下ろした。河津の方は加害者のマスに話を聞いている。

「致命傷は?」

 近くにいた医師に尋ねると、彼は肩をすくめた。

「加害者の証言と目撃情報が正しければ、背中の一撃だな」

「背中?」

 白鳥は死体を引っ繰り返し、ひときわ大きな傷を見て鼻の頭にしわを寄せた。

「先制攻撃でブスリ、そのまま倒れたところをもう一発。さらにひっくり返して、腹や顔を何度も刺突」

 医者が肩をすくめる。いやはや目撃者は多かったようだ。

 現場の周辺を仰ぎみれば、いくらでも野次馬の姿はあった。なにせ、そこは長屋のど真ん中、共用の井戸の周辺である。まさしく井戸端会議の最中に殺されたのだろう。

 死体から視線を外し、野次馬の方に向かった。ほとんどが女性だ。血まみれのスエを見て、顔をしかめている。

「彼女達が喧嘩や言い争いをしている現場を目撃した人はいますか?」

 白鳥が問うと、女達は一様に顔を見合わせ、微妙そうな顔をした。そのうちの一人が、気まずそうに言った。

「喧嘩も何も、マスさんには殺す動機がないような気がしていたから……」

「でも、何もないからって、人を殺すわけがないでしょう?」

 そう言いつつ、白鳥は頭を抱えた。

「そうは言っても、ねえ」

「たぶん、話したこともないんじゃない?」

 野次馬は驚いているようだ。まさか、マスさんが人を――しかもスエさんを殺すなんて、と。その様子を見ていれば、どうやら本当に交友関係は薄いか、無いに等しいくらいだったと直感できる。

 じゃあ、通り魔的な犯行なのかと穿つものの、そういうわけでもないと分かるのは、実際に凶刃に倒れたのが一人であるからだ。他にもたくさん人はいたのに、狙いすましたように、スエだけを殺した。

 野次馬に礼をいい、白鳥は髪を掻きながら、身を真っ赤に染めたマスと、河津の方に寄っていく。

 この殺人犯は手をぐるぐるに縛り上げられ、腰にも縄が巻かれた状態で、細々と何かを言っているようだった。

 白鳥も話を聞こうと思ったちょうどその時、慌てた様子の男が一人、野次馬をかき分けて飛び込んできた。

 それまで俯いていたマスが目をひんむいている。

 同心や目明しによって止められたその男は、マスの夫――徳郎だと名乗った。

 市中で魚などを売りさばく行商人で、仕事をほっぽり出して家に戻ってきたのだそうだ。服にはほつれや、穴が目立つ。一見するだけで、それほど儲かってはいないのだな、ということが判然とする。

「何かの間違いです」

 と彼は大声で喚き散らしていた。同心達が必死に止めようとしたが、思わぬ力でそれを払いのけ、もう動かないスエの体を飛び越えて妻の元へと向かった。

 夫は、血にまみれた妻の体を何度も揺さぶっている。マスの方はそっと目を伏せたまま、何も言わない。

 傍らにいた河津が申し訳なさそうな顔で徳郎の体を引きはがした。

 マスには布切れがかぶせられ、同心達に連れられて番所に送られる。その遠ざかる後ろ姿に、徳郎が慟哭を響かせた。

「気の毒なもんだな……」

 と感傷的に呟く河津が引きだした供述の限りでも、どうやらマスは、スエだけを狙ったらしいのだ。

 何か要因があるのだろうか、と夫である徳郎に尋ねようとしたが、こちらはこちらで泣きくれている。落ち着くまで別の同心に任せて、ひとまずは加害者マスの家に入った。

 中は随分と整頓されている。几帳面な良い奥さんだったようだ。夕食の準備も出来ているし、何なら節約の為か、庭先で色々な野菜を育ててもいるらしい。これがどうして人を殺すことになったのだろうか。

 続いて殺されたスエの家に入った。入った途端に白鳥も河津も顔をしかめた。なにせ足の踏み場がない。六畳一間の家中に、服だの何だのが散乱している。部屋の中にやたら蝿が飛んでいると思ったら、いつ買ったのかも分からない野菜がカビ菌に包まれて出てくるような有様だ。

 二人の同心は顔を見合わせた。

「普通逆じゃねえのか?」

「ですよねえ……」

 部屋の隅に視線を移した白鳥は、とある木箱を見つけた。上部にはでかでかと天鼠堂と書かれている。

 それを河津にも見せ、中を開ける。空っぽだ。明細書を見る限り、服が入っていたらしい。部屋中に散乱している衣服がそれなのだろうか。散らばっている状態では、それすらも確認しようがない。

 外に出ると、日は南中からやや西に落ちようとしているところだった。

 長くなる影を見ながら、白鳥は野次馬に再び近づいていった。彼女らに、天鼠堂の明細書を見せる。スエはここを利用していたのかと尋ねると、皆が首を上下に振った。

「使ってたよ。うちも良く買わされたし」

「マスさんも?」

「いやあ、あの人は倹約家だもん。絶対に買って無かったと思うよ」

 スエもスエで倹約家だったそうだが、天鼠堂はよく利用していたのだそうだ。

 それで、白鳥と河津は天鼠堂へ向かうことにした。

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