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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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影の主は③

 その日の全ての職務を終え、夜番の同心へと引き継いだ時、もう辺りは月夜に包まれていた。満月を越え、僅かに欠けている月は、今日もまた優しい光を地上に降り注いでいた。

 三人は急いで雑木林へと向かった。豆河を北上し、河原の中途で西に折れる。

 と、そこで平野が足を止めた。あの雑木林が暖色系の明かりに包まれている。

 そこでは二人の同心が言った通り、足のない影が浮かびあがっていて、周囲に集まった人々に向かって激しい動作を見せている。

 その動きを見ているうちに頭がぼんやりとして、体が重たくなる。雑木林のほうから、汗ばむような熱気と、甘い異香が漂ってくる。

 先を行く平野が光の中に浮かぶ影を睨みつけている。彼女は影を恐れていないようだ。

 その後ろにいる部下二人は半べそを掻きながら体を抱き合い、いつでも気絶できるように情けない顔をしているのに。

 雑木林の方から大きな物音が聞こえた。

 足のない影の動作が大きくなっているところだった。その動きに合わせて、集まっていた男女が次々に倒れていたのだ。

 何かに襲われているのだろうかと目を凝らすが、決してそんな雰囲気ではない。まるで眠るみたいに、すっと気を失って、力なく地面に倒れ伏している。

 段々と影の挙動が激しくなる。

 その場にいた十人ばかりの人達が地面に突っ伏したまま立ち上がれなくなると、影は動きを止め、雑木林を照らしていた明かりも完全に消えてしまった。

 あとに残ったのは夜の暗がりと静謐だけだ。虫が囁く音さえも、今この時ばかりは耳道を揺さぶらなかった。

「行くぞ」

 と平野が声を上げる。あの影さえ出なければ、河津だって勇気は振り絞れるらしい。

 白鳥は、前を行く二人から付かず離れずの位置であとに従った。いざとなったら逃げてやろう、なんて下衆の考えをしているわけだが、その心配はないようだった。

 辺りには甘ったるい香りと、掻きわけたくなるほど湿気を帯びた熱が渦巻いていた。口に入れるのさえ憚られる。

 白鳥は思わず着物の袖で口を覆った。頭がくらくらする。あの時と同じように、体が熱くなり、ぼうっとしてきた。

 闇夜の中でうごめく影が二つある。近付いていくとすぐに、地面に足を付けた人間であることが判然とする。

「なんで人が?」

 と首をかしげるのも無視して、平野は闇夜をつんざく大声を張り上げた。

「町奉行所だ。全員止まれ!」

 その影は、倒れた人達の傍らで驚いたように立ち止まった。

 その隙に河津が剣を抜く。月光に晒されて、白銀の光が辺りに散った。

 影が逃げ出そうとした。それ以外にも逃げていく影はあるだろうか、と白鳥は目をすがめたが、二人以外にはなさそうだ。ならば河津と平野に任せればいい。彼は急いで倒れた人達の元へと向かい、その傍らで膝をついた。脈を測り、頬を叩く。

 匂いも熱も嘘みたいに引いていた。頭の芯から来る気だるさも抜けていた。

 何人かがのっそりと起き出した。まるで夜明けを待ちきれない子供のように。寝ぼけ眼を擦り、大騒ぎをする馬鹿げた白鳥に口を尖らせた。

「何があったんです?」

 起き上がった一人が問いかけてきた。

「町奉行所です」

 白鳥は大声を上げた。途端にその場にいた連中が跳ね起きたが、けれども彼は冷静に言葉を重ねた。

「あなた方に問題があるわけではありません。問題があるのはあっちです」

 と指差した先では、平野と河津が大捕り物を終えたところだった。

 河津はいつものように縄でふん縛り、平野は一通り相手を痛めつけてから、半ば蹴飛ばすようにして連れてくる。

 その場にいた人々は首をかしげていた。彼らが何者か、知っている者は一人とていない。

 ともかく話は番所へ帰ったあとだ。白鳥は寝ぼけた男女を揺り起こし、歩くようにと促した。この十人の被害者は同心二人に捕らえられた謎の男達に目をひんむいていた。

 なにせ見たこともない機械を一抱えほど持っていたからだ。

 


 番所に戻ってくる。捕らえたのは男二人だ。土蔵には先客がいたから、土間のところに全員が集められた。平野は機械を抱える男達の真ん前で仁王立ちになった。

「あそこで何をしていた?」

 彼らは機械の様子を見るばかりで、平野の問いに答えようとはしなかった。

「……」

 暗闇の中でなお一層恐ろしいのに、明るいところに来ると平野の形相は鬼というよりも修羅に見える。

「喋る気はない、か」

 彼女が愛刀に手を掛けると、男達は揃って声を上げ――きっと幽霊よりも怖いに違いない――慌てて種明かしをした。

「うう……、あの、私ら、売れない大道芸人で……」

「そうなんです、それで、あのう、いつもは空中に影を映す見世物をしているんですが……」

 この二人の言を聞いている間、平野はずっと恐ろしげな顔をしていた。

 一つでも嘘があったら斬るつもりなのか、剣の柄に手を掛けている。河津は番所の入口の前で目を光らせ、親身に話を聞いているのは白鳥と十人の被害者だけのようだった。

「あのう、今月は、市中で大道芸の集まりがあって、ちょっと苦しくて……」

「そうなんです、毎年夏にここに来るんですが、どうしてもお金が必要で……」

 二人は目に涙を浮かべながら、半ば悲鳴にも似たような声を上げた。

「申し訳ございませんでした。そのう、昔、催眠術を嗜んでいたことがありまして、それを応用して、皆さんを眠らせようと考えていたんです」

「そうなんです。寝静まったあとに、お財布からちょっとお金を頂こうと……」

 そう言いながら、彼らは担いできた機械を置き、番所の明かりを全部消させた。

 ほんの一瞬だけ暗闇に包まれたが、その機械から光が放たれる。それを巨大な白い幕で受け止めると、より一層眩しさを増す。

 別の機械から湿気を帯びた熱が吐き出され、その前には強烈な匂いを内包する瓶が置かれた。途端に肌が汗ばみ、頭がくらくらしてくる。

 一方が機械に取っ手を付けて回すと、もう一方はそこから漏れる明かりの前に立った。

 何が起こるのだろう、と皆が首をかしげた。

 幾筋もの光によって、薄ぼんやりとした影が幕に浮かんだ。膝から下がないのは、どうやら光の関係らしい。

 その影は元となる男の動作に合わせて、激しい身ぶり手ぶりをしてから止まった。熱と匂いもすぐに止められる。

「と、まあ、こんな感じで」

「そうなんです。これが中々儲からなくて、それで毎年市中に来ては、催眠を掛けてお金を頂いていて……」

 機械を止めると光もなくなる。十人の被害者はそれぞれ顔を見合わせ、拍手をしていた。番所の中に明かりが戻ると、平野の喧騒は僅かに和らいでいた。

「罰だけは相応に受けてもらうからな」

 口の端を歪めた彼女は冷たくそう言い放ち、名残惜しげに機械を見て、控室に戻っていった。

二人の男を被害者達が取り囲み、もう一度やってくれとせがんでいる。

 懲りない連中だ、と思う反面、白鳥とてこの見たこともない光の芸に驚いていた。

 結局、彼らはさしたる罰もなく釈放された。

 今回の大会で得た売り上げの半分を貧民救済の募金とすることで手打ちとしたのである。裏で暗躍したのは白鳥であるが、その行動を許容したのは平野であった。

 その日、河津は腰が痛いと番所で寝転がっていた。であるから白鳥と平野が警邏へと向かう。

人でごった返す豆河通りの一画で、ひときわ多くの人出がある。

 あの大道芸人二人組の姿があった。彼らも二人の同心を見つけると会釈をする。するだけだ。それだけたくさんの人が彼らを取り囲んでいた。

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