早とちりの代償③
「旦那様、ですか?」
二人が声を掛けたのは、あの老いた店員だった。縁側に座り、話を聞く。
勤続四十年というから、それなりの歳なのだろう。番頭だの何だのになれなかったのは、仕事ぶりが甘く、度々先代から叱責されるような立場にあったためだという。
「ええ、どんな人かと思いまして」
白鳥が頷くと、この老いた店員はちょっとだけ困った顔をした。
「そうですねえ……大変親しみやすい人でした。仕事も良く出来ましたしね」
「あなたも慕っていた?」
「ええ、あの方が怒る時は明確な理由がありましたから。とにかく自分にも他人にも厳しい方でした。そういう意味では、息子さん達はあまり快く思っていなかったかもしれませんねえ」
あまりにも静かだったから振り返ると、平野がぼんやりとしていた。
「何かありました?」
「……いや」
それ以上は追及しないことにした。白鳥は老いた店員に視線を戻した。
「遺言状を隠す場所に心当たりは?」
「ありません。本当に色々な場所を探したんですから。旦那様の部屋だって、それはもう引っ繰り返すほどで」
「他に先代が行きそうな場所とかに心当たりは?」
老いた店員は唸り声を上げた。
彼の視線の先では、怒り狂った次男が庭に植えられた松の木を蹴り飛ばしている。長男の方は辛抱強く人々に指示を出しているが、これといって成果があるようにも見受けられない。
「ああ、そういえば……」
「何か思い出しました?」
「いえ、たぶん関係のないことでしょう」
「いいんですよ、どうぞ」
白鳥は気長にそう言った。
どうせ手がかりはないのだ。何か一つでも情報が増えるなら充分である。
この老いた店員も同じことを思ったのか、微妙そうな顔をして白鳥に視線を戻した。
「あの二人の視点は狭いと言っていましたね……。一人では不完全だ、と」
「ええと、二人で協力しろとか、そういうことですか?」
「さあ? 旦那様はそこまでおっしゃいませんでした。でも、あの二人に任せるのは不安だと言っていました」
じゃあ、別の人間を店の店主に立てるのだろうか?
それでは厄介な方向に話が転がってしまいそうだ……。上手い言い回しはないものかと悩んでいると、平野が顔を上げた。
「あの二人は同じ場所を探しているのか?」
老いた店員は顎に手を添えて考え、きっぱりと首を振った。
「相手と同じ場所に行くのは嫌がっているようで……」
それで彼女は膝を打って立ち上がった。白鳥も慌てて腰を上げる。老いた店員だけが困った顔をしていた。
平野は恐ろしい顔で二人の中年兄弟の首根っこを掴み、引きずってくる。庭のど真ん中で正座させた。冷厳な表情は一切変えずに睨み下ろし、どこを探したのかと尋ねた。
この剣幕に押されたのか、長男も次男も、それぞれ別の場所を列挙し、どこか同じ場所を探していると、真似だ何だと喚き立てた。
「黙れ」
平野の声が低く唸り上がると、二人はピタリと動くのを止め、竹薮で虎とばったり出くわした兎のように怯えた表情になった。
平野は舌打ちをした。
「行け」
顎をしゃくると、二人の兄弟は弾けるように駆けだした。それぞれが調べ上げ、そしてもう一方が無視した場所を。
その効果は絶大だった。彼らはそれぞれ戦利品を片手に、息をせき切らしながら戻ってきたのである。
「これ、客間の戸棚にあった」
とニコニコ笑顔で言うのは長男だ。彼の手には鍵が握られている。
よほど嬉しいらしく、次男のことなどお構いなしに、周囲にいる店員達に見せびらかしている。
そして、もう一方の次男の方は小さな紙きれを握りしめていた。
この商家には応接間めいたものがあるらしく、そこに掛けられていた額縁の裏側から見つけたものらしい。
「これは、何だろうな?」
と言いつつ、次男は一人考え込んでいた。
白鳥と平野が揃って覗くと、彼はほんの一瞬だけ蛇に睨まれた蛙のような、マグロに追いかけられるサバのような、そんな弱者の表情を垣間見せた。
「ええと……箱の絵、ですかね?」
その紙きれに書かれていたのは、小さな長方形の絵だった。
注意書きも色々とあり、良く見ればそれらは全部、その箱がどういう絵柄であるのかとか、どういう由緒であるのかということが事細かに書かれている。
実に勤勉な商人らしく、紙きれいっぱいに詳細な情報が記されていた。
「で、この家にはこんな箱があるんですか?」
紙きれを見る限り、まあどこにでもありそうな春の訪れを告げる絵が描かれている。梅とか鶯とか、そういうありきたりなものだ。
次男は顎に手を当てて考え、老いた店員を呼びつけた。その横柄な態度に物申したいことはあるわけだが、今は口をつぐんでおいた。
彼は、ちらと絵を見ただけで頷いた。同じような物が蔵にあるという。
それで一行は蔵に移動することになった。