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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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一攫千金⑤

 暮葉の言うことを信じるのならば、彼女は奉介に心の底から惚れ込んでいたらしい。

 あの奉介にだけは他の船乗りに命じるような、盗みであるとか、もしくは金を貢がせるというようなことをさせなかったのだそうだ。

 富くじだって買う気は無かったそうだが、ぽつりと奉介に漏らしたら、買ってくる、と彼が言っただけなのだという。金も彼女が出した。

「で、あの伍平という男は、どういう男なんです?」

「どうしてあれほど熱を上げたのか知りませんが、奥さんを遊郭に売ったり、子供さんをどこぞの商家に奉公に出したりと、散々酷いことをしてきたのです」

 そう話す暮葉には、先ほどまでのような余裕はなくなっていた。

「なんだってあの男は私に執着するのです?」

「床の中でよほど親密さを感じたんだろうな」

 それまで黙りこんでいた河津が気の毒そうに言葉を吐くと、暮葉は目の前にあった机を大きく一つ叩いた。

 そのけたたましい音に二人は飛びあがり、それから揃って暮葉を見やった。怒れる美人というのは、よほど恐ろしい。

 平野で見慣れていると思ったのだが、暮葉の方にも彼女なりの威厳みたいなものがあり、白鳥は眉をひそめた。

「あのう」

 と彼が馬鹿みたいに顔を窺うと、暮葉はそれこそ恐ろしげに眉を吊り上げた。

「逮捕出来ないわけ?」

「え?」

「伍平よ、伍平。あいつが奉介を殺したんでしょう?」

 あまりの恐怖心からか、暮葉は楚々とした仮面を脱ぎ棄てていた。今はともかく素の状態になっているらしい。

 それなりに歳を重ねた女性なりの威圧感みたいなものがあった。その点では平野より怖いかもしれない。

「いや木札だけじゃなあ」

 なんて河津が何とか声を振り絞ると、この妙齢の女性は、突然顔を華やがせて両手を打ち合わせた。

「じゃあ、私が囮になるわ」

「は?」

「囮よ、囮。これから伍平と会って、あいつに口を割らせる。それでどう?」

「どうったって……」

 と困惑しきりな河津が、白鳥に助けを求めた。

 求められても困る、とそっぽを向くと、何故か小部屋の戸口に平野が立っていて、冷淡な表情でこちらを睨み下ろしていた。

「ひぃっ!」

 と声を上げる。次いで河津も同じ声を上げ、暮葉の方は股を抑えて口をつぐんだ。前言は撤回すべきだろう。冷厳な平野の方がよほど威圧的で恐怖心を煽りたてる。

 彼女は、そっと中に入ってきて、暮葉を睨み下ろした。

 美人二人が竜虎激突、なんて雰囲気ではなくて、虎と兎が竹藪の中でこんにちは、ってな具合である。先ほどの意気をどこへやったのか、暮葉は泣きそうな顔をしていた。

「捜査に協力してくれるか!」

 何故か、平野の声は弾んでいた。彼女は冷徹な顔でこの哀れな娼婦を見下ろしている。

暮葉の方は壊れた人形みたいに首を上下させた。

 

 そんなわけで計画を実行した。

 伍平はもうすでに天翼丸の仕事に着手しようかという頃で、船の様子を確かめていた。その港の桟橋に暮葉をやったのである。

 彼女の姿を見た時、伍平はぱっと顔を綻ばせて、まるで躾けの行き届いた犬みたいに駆け足で近付いた。

「来てくれたのか。心配していたぞ」

 ニコニコ笑顔でそんなことを言う。とある船の陰に隠れていた白鳥と河津はちらと顔を見合わせ、その傍らにいた平野は峻厳な顔でその男女の姿を捉えていた。

「え、ええ」

 暮葉はそう言い澱み、伍平から一歩分だけ身を引いた。

「奉介の遺品を貰いに……」

「え? 何で?」

「だって、私と奉介は愛し合っていたもの」

 それは全くの詭弁というわけではない。

 どうやら本当に、暮葉と奉介は遊女と客という関係を超えていたらしいのだ。何がどうしてそうなったのかは不明だが、暮葉の内心に変化があったことは事実である。

 その彼女の決意ぶりを目の当たりにして、伍平は取り乱していた。

「え? え? 何で? え? だって、ほ、他の男は、その、そ、その、金づるにしか見えないって」

 随分な言い草だ、と思っていたら、暮葉は恬淡な様子で頷いた。

「ええ、あなたもそうとしか見えないわ」

 途端に伍平が愕然とした顔をした。

 何を言っているんだと詰め寄ろうとして、暮葉が身軽にかわした。

 彼らの位置が入れ替わり、伍平の背中が見える。彼は肩を怒らせながら、懐に手を伸ばした。鈍色の刃が日差しに晒される。

「お、俺との仲は特別だと言ったじゃないか。だからあれだけ金を貢いで……」

 その声は悲痛な色に染まっていた。

 いやはや、と白鳥が沈思していると、暮葉の目がきらりと光った気がした。それで平野と河津が立ち上がる。伍平は後ろの様子に気が付くことなく、さらに声を荒げた。

「これまでだって! 奉介がやらないから!」

「私が頼まなかったんだもの。あの人にそんなことはさせられないわ」

「あいつのどこが良かったんだ!」

「夜の激しさかしら」

 またしても、するりと言葉が出てくる。伍平は体をわなわなと震わせていた。

 気もなさそうにそれを一瞥し、暮葉はそっけなく言葉を放った。

「それに、女の為に人殺しをするような奴と一緒にいたくないわ」

 伍平が、わっと叫びながら小刀を振り上げた。

 その直前に河津が後ろから飛び込んで、音もなく伍平を抑えにかかった。それから半瞬遅れて平野が到着し、さらに何十秒もあとになって白鳥やってきた。

 暮葉は平野の背中に隠れながら、何やら罵倒の言葉を並べ立てている。

 伍平はもがいていたが、相手が悪かった。河津に押さえつけられて小刀を取り落とし、泣きそうになりながら声を振り絞った。

「ちくしょう! この糞女!」

 と喚く伍平の顔を暮葉が蹴りつけた。下駄の歯が良いところに当たったらしく、彼の鼻から血が滴った。

「この屑! 奉介を殺しやがって」

 そう叫んだ暮葉の顔は、もはや形容し難いほど厳しく、そして憤怒に彩られていた。伍平でさえ、その形相にはたじろいで、一旦叫ぶのを止めたほどに。

 そうして潮騒の音だけが響く港に暮葉の悲痛な声が響き渡った。

「お前が死ねばよかったのに!」

 それからしばらくして、他の同心達がやってきた。

 平野達の案に賛同していなかったのだが、現実に伍平が逮捕されたとあっては、話は別だ。彼らは汗みずくになりながら港まで駆けこんできて、平野に深々と頭を下げたわけである。

 そうして去りゆく伍平の後ろ姿に、暮葉は唾を吐きかけた。その下劣な態度にはさすがの平野も顔を歪めている。

 と、この女上司は何かを思い出したような顔をして、懐をまさぐった。

 そこには三枚の木板がある。持ち主である三人はそれぞれ声を上げ、彼女の手から木板を奪った。

平野は本心から困惑している様子で問うた。

「……そんなものが必要なのか?」

「庶民の夢ですからね」

 白鳥が後生大事に抱える。河津はうっとりとし、暮葉は奉介の血を愛おしそうに撫でていた。その三者三様の様子を横目に、平野は深々と溜息をついた。

「全く分からんな」

 そうして彼女はただ一人、港に三人の夢追い人を置いて番所へと戻った。

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