一攫千金③
「奉介ねえ」
話の概要を聞くなり、伍平は難しい顔をして腕組みをした。
「女癖がとにかく悪くてねえ」
「暮葉さん、ですか?」
白鳥が問うと、彼はちょっとだけ表情を曇らせて頷いた。
「そうだ。ありゃ良い女だよ」
「何でも初心な船乗りを騙すとか」
「どうだろうな。だが、会うために無理をする奴もいる」
「あなたも、面識はありますか?」
伍平はほんの半瞬、目を見開いたが、すぐに首を振った。
「……ない」
彼は忙しそうに踵を返してしまった。
それで二人は、その足で川原屋へと向かうことにした。昼の花街はいやに静かだ。ひと気もなく、街全体が死んでしまったようである。
川原屋はすぐに見つかった。川沿いの良い立地に建つ、小さな娼館だ。
河津は寂れているようにも見える建物を見上げて、溜息をついた。どうやら一流の店には程遠い、と外装だけで断じたのである。
しかし、その発想が大きな間違いであると、店の中に一歩踏み入れた瞬間にまざまざと見せつけられる。
外見は板張りの粗末な建物だったのに、中は金襴豪華な、目に眩しい煌びやかな造りになっていた。柱の一つに至るまで金箔が張られていて、天井からは牡丹のように大きな水晶がぶら下げられている。夜になれば明かりを反射し、辺り一帯を明々と染め上げるのだろう。
この華美な娼館に足を踏み入れた、いかにも場違いな男達を店主は優しく出迎えてくれた。
「あのう、今は営業――」
「知っている」
河津が吠えたけるように声を発し、印籠を取り出した。神平家の紋が入っている。
「町奉行の……ええと、何のご用で?」
「ここに暮葉という女がいるはずだ」
店主は目をすがめた。後ろに声を掛け、七、八歳くらいの少女に手ぶりで指示を出す。
「まあ、おりますが、あの子がまた何か?」
「また?」
「ええ、手癖の悪い子でして。顔が良くて官能的な性質ですから。どこぞの船乗りを騙したのかと思ったのですが」
河津はこめかみを揉んだ。分かっていて黙認するのだから何とも罪深い男である。
「我々だって手は尽くしました」
店主が泣きそうな顔で言う。
それに関してはどうでもいい。少なくとも白鳥はそう思っていた。重要なのは、その暮葉とかいう女と、奉介との関係なのであるから。
河津を脇に押しやり尋ねると、店主はほっと胸をなでおろして白鳥を怖々と窺った。
「常連です。良く来ておりました」
「どんな話をしていたかとか、心当たりは?」
「客と遊女の付き合いですからね。詳しいことは何も。ただ……どうかな。いつもの関係だったように思いますが」
いつもの関係……。要するに若い奉介は、ほいほいと妖艶な暮葉に従っていたように見えたのだそうだ。少なくとも、店主の目にはそう映っていた。
「そういえば、奉介は天翼丸の船員でしたね」
「ええ、何か御存じで?」
「……いえ、関係あるかは分かりませんが、暮葉も富くじを買いに行かせたそうで」
「奉介に?」
「朝方、買いに行ってくると言っておりました」
店主は肩をすくめた。
その時、ちょうど小さな女の子が建物の二階から顔を覗かせた。
店の真正面にある回廊を駆け降りてきて、店主に何事かを耳打ちする。彼は大きく目を見開いて頷くと、二人の同心に頭を下げた。
「どうやら暮葉も会う気になったようです」
いささか驚いた様子の店主を尻目に、二人は少女に誘われて回廊を上がった。
そこからさらに奥へと進み、絢爛の度合いが明らかに変わった、とある一角にて一人の女と出会うことになった。
その女は、まるで傅くように恭しく頭を下げると、嫣然とした表情のまま口を開いた。
「暮葉でございます」
男が惚れるのも分かる気がした。少なくとも白鳥は、だ。河津はそう認知するよりも早くうっとりとしている。
「どうぞ」
という暮葉の手招きに誘われて、二人は彼女の仕事部屋に入った。
この川原屋の内部は、どこもかしこも目に悪いほど金銀を使っている。彼女の部屋も外国の絵巻物語を模したという訳の分からない図柄が一面に描かれている。
彼女は、その部屋の中央に座布団を二つ敷き、自らは窓べりに座った。
白光を背にしていると魅力が二割は増すようである。白鳥は髪の毛を掻いて、奉介のことを話した。
「そうですか」
暮葉は残念そうにそう呟いて、それから愛おしげに外を見つめた。その横顔は、やはりそれなりに年輪を重ねてきたことが窺え、実年齢は三十路に足を掛ける間近であるそうだ。
「彼にね、富くじを買ってきてくれ、って頼んでいたんですよ」
暮葉がしみじみと呟いた。その横顔が如何にも可憐で、どうしてかそれほどの悪女には見えないのである。しかし、それが演技という奴なのだろう。気を強く持って、ことに当たるよう心がけた。
「そうですか。僕達も買いましたよ」
「本当? 何を買いました?」
「やっぱり自分の干支ですね」
なんて話すと、暮葉はぱっと顔を綻ばせた。
「私もですわ。夢があっていいもの。身請けの御金にもなるわ」
彼女は儚げに笑みをこぼし、そして、また昼の花街に視線を戻してしまった。