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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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未確認生物を見たのは⑤

 それから四日、ぶつくさ文句を言う平野を言いくるめて二人は行楽斎を見張った。

 この俊英の画家は、彼自身が述べたとおり、日がな一日散歩をして過ごす。小さな横帳と海の向こうからもたらされたというインク式の筆を片手に、あてどもなくふらふらと歩いている。

「怪しい動きはありませんね」

「真っ昼間からことに及ぶかよ」

 なんて言っている白鳥と河津は、ちょっと離れた所から、この行楽斎を見つめているのであった。

 結局、行楽斎はこれと言って怪しい動きを見せなかった。彼は画家としての本分を忘れず、黄昏と共に戻ってきて画廊で仕事に明け暮れているようだった。

 行楽斎が画廊へ戻ってくると、それと時を同じくして小僧が外に出ていく。これもいつもの光景だった。行楽斎は寝る前に晩酌をするようで、酒とつまみを買ってくるのだ。そのうち戻ってくる。

「だが、あの男で間違いはないはずなんだ」

 河津は半ば自分に言い聞かせるように呟いて、じっと画廊を見つめていた。

 二人は今、画廊からやや離れた場所にある小さな商家の軒下にいた。目立たないように闇に紛れて、じっと窺っている。画廊は明々とした光に満たされて、夜を少しだけ和らげていた。

「ここ何日かで、次の標的も何となく分かっていますしねえ」

 なんて言いつつ、白鳥は大きく伸びをした。やはり何日も張り詰めて仕事をするのは性に合わないようだ。

 標的になりそうな人間には平野を始めとした他の同心達が付いてくれている。だから、彼らは心おきなく行楽斎を見張れる。

 虫のさざめきが大きくなる。聞いたこともない鳥の声が響き、野犬が遠吠えを上げる。

 夜の市中は大変静かだ。聞こえてくるのは動物達の鳴き声と、遠く花街のドンチャン騒ぎだ。そのけたたましい音に誘われ、白鳥は大きく欠伸をした。

「行楽斎は怪しいですが――」

 ふとした閃きに誘われて、白鳥は気のない声を上げた。むっつりと黙りこんでいた河津が鋭い視線を向けてくる。

「河津さんが見たのって、小さい影だったんですよね?」

「ああ、こう、子供くらいの……」

 なんて言いつつ、大きさを身ぶり手ぶりで伝えてくる。その一生懸命な様子に、白鳥は残念そうに首を振った。

「行楽斎は僕と同じくらいの大きさですよ」

 残念なことに河津が示している大きさは、成人男性の平均とさほど変わらない白鳥と比しても、頭二つ分は小さいわけである。そして行楽斎もその程度の大きさだ。つまり河津が見た影より頭二つは大きいのである。

「いや、まあ、そうだけどよお……」

 河津が年甲斐もなく嘆かわしい顔をしたものだから、白鳥は急にいたたまれなくなって頭上に浮かぶ月を見上げた。

「それにしても」

 あの表面の模様を、父は蟹だと言って、母は兎だと言っていたな、と馬鹿げたことを思いながら、ぼんやりと呟いた。

「あの小僧、随分と遅いですね」

「ああ? ああ、そうだな」

 確かに、いつもならば徒歩数分の酒場で用件を済ませる。すぐに駆け足で帰ってきて、行楽斎にその日の終わりを告げるはずなのだが……。

「どっかで事故にでもあったかな?」

 と河津は心配そうな顔をしていた。そうじゃないだろ、と白鳥などは思うのだが、しかし確証はない。勘違いも甚だしい馬鹿げた中年同心の髭面を鋭く睨み、苛立たしげにその時を待った。

 さて、この二人が馬鹿みたいな顔をして行楽斎の画廊を見ていたちょうど同じ時、第二八番隊最後の一人である平野静は二人の同心と共にいた。

 これが白鳥と河津であれば良かったのだが、全く面識もない夜番の同心達だったのだから手に負えない。

「どうしよう、何か怒っているのかな?」

「お、お前聞いてみろよ」

 なんて馬鹿みたいな会話が繰り広げられているわけである。

「前を向け、仕事をしろ」

 などとどすの利いた声を上げれば、二人の同心は股座まで縮み上がらせて、泣き縋るように互いの体にしがみつくような有様である。

 平野は深々と嘆息した。そして冷厳な面上に、さらに険しさを加味して、この顔が原因だとは微塵も考えないのである。

 と、その時だった。遠くで影が蠢くような感じがあった。目をすがめると、大小二つの影が、くんずほぐれつしている。いつもならば情事か、と流すところだが今は違う。

 平野はその炯眼で情けない二人を射抜いて、影が動く先を指差した。

「さっさと行け!」

 男達が不承不承、半べそになりながら駆けていく。それを追いたてるようにして平野も続いた。彼らはしきりに後ろをちらちらと見やり、狼に追い立てられる羊のように、わんわん泣き声を上げながらその影に近づいた。

 小さな影は不気味な刃物を持っている。それが月光に晒されて鈍色の光を反射していた。先ほどまで暴れていた大きな影は、今や地面に横たわり、ぐったりとしたまま動かない。

「剣を抜け!」

 全く、一々こんなことを指図しなければならないのか。平野は愕然とした面持ちで二人の同心を追いたてた。彼らは手間取りながら指示に従い、そして震える手で胸を掻きむしって、印籠のありかを探している。

 平野は鋭い舌打ちをしながら、腰にぶら下げた印籠を掲げた。

「町奉行所だ」

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