堕天使達の呼び声③
進太郎の取り調べに赴く平野と別れ、白鳥と河津は夜の通りに出た。
これから進太郎一家が住む家を尋ねようというのである。
夜間手当が出ると聞かされて、白鳥は満足げな顔をしていた。その様子に河津が溜息をついた。彼くらいの年齢になると、金よりも時間が欲しいと思うものである。
「嬉しそうだな」
「そりゃ、もう。河津さんは嬉しくないんですか?」
「時間は金で買えないからな。婚活もしたいし、剣の修行もしたい。仕事は最小限でいいよ」
「枯れてますねえ」
「十年後にはお前もこうなっているんだよ」
ともかく、二人は急ぎ足でこの住宅街を抜け、商家が立ち並ぶ一帯に戻ってくる。昼間は人でごった返していた豆河通りも、商店が戸を閉ざす夜には、しんとした静寂に包まれていた。通りを歩く影はない。 商人達の多くは夜を憚って寝入ってしまったか、ないしは内職や事務作業に没頭しているらしい。二人の足音と虫の音しか聞こえない。
「ここだな」
住所を確認した河津が、とある一軒の建物の前で止まる。白鳥は周囲を見渡して、そこが見慣れた一角であることに気が付いた。視線の先では豆河が流れている。この市中の西地区を支える運河――とそれに並走する豆河通り――から一本隔てた通りに二人は来ていた。
「教会があった辺りですね……」
「というか、その教会に住んでいるらしい」
そう言いながら、河津は拳で入口の戸を叩いた。この教会がある周囲には、名のある商家が立ち並んでいる。真っ直ぐに整備された道の両側には小売店が並んでいた。
大通りである豆河通りには問屋の列が軒を連ねるのだが、それから一本でも道を隔てると小売店が姿を表すようになる。
昼時であれば、店の軒先に商品を並べて、客を引くような威勢のいい店々だ。 そういう観点から見ると、進太郎の家は異質だった。小売店が集まる一等地に教会を建てようというのだから。
白鳥が思案している内に、控えめな音がして進太郎の家の戸が開いた。河津がすかさず頭を下げて、町奉行所の同心達が携帯を許されている、当代町奉行神平家の紋所をあしらった印籠を見せた。
「あ、どうも、町奉行所のもんですが」
「はい」
静々と家の中から出てきたのは、見るからに異質な女だった。
河津は持っていた提灯を上げ、白鳥ははっと息を飲んだ。月光に晒されたその形姿は、まさしく異国の女だ。
そう直感できるのは、豪商白鳥家の次男坊として生きてきた白鳥だからこそであり、武士一筋で生きてきた河津などは正真正銘の天使が舞い降りたと思いこんだ。
金髪碧眼、そして白磁のように滑らかな肌、そして麻の着物一枚では隠しきれないほど豊満な肉体。目につくのは、中津国の人間よりも高い鼻と、そして彫りの深い顔立ちである。次いで気が付くのは、胸元に彫り込まれた禍々しい悪魔のような入れ墨であった。
それを加味しても天使と評するのに全く支障がない、美しい女である。
この女の美貌に一瞬見とれた河津は、しかし使命を思い出したのか咳払いをした。
「いや、予想外だったんでね。それで奥さん、あなたの旦那さんのことだけど」
河津が髪の毛を掻きながら言うと、この女が俯いた。河津などは、これが女のいじらしさだと思ったのだろうが、白鳥は女の手が握りしめられたのをはっきりと見ていた。
「はい、進太郎さんが何か?」
「人を殺しましてね。奉行所に身柄を預けられているのですよ」
女の目が見開かれた。それでなお際立つのは、彼女の青い眼睛だろう。それは南国の海を思わせるような明るい色合いで、黒々とした白鳥や河津のそれとは、まるきり違うのである。
「誰を、殺したんです?」
「えーと、その」
と言い澱む河津をよそに、白鳥が一歩離れた所から言った。
「不倫相手です」
「え?」
「この通りをずっと南に行ったところに住宅街があるでしょう? そこで女を囲っていたんです。直接的な死因はブドウに毒が塗られていたとか何とかでして、それで彼とババ……お母さんに話を聞いたところ、ブドウを持たせたのがあなただと言うじゃありませんか」
女が俯きがちに首を縦に振った。持たせたこと自体は事実であるようで、否認する気もないようだ。
「それで奥さんに話を聞こうと思いましてね」
女は素直に頷き、さっと身支度を整えて二人と共に町奉行所の屋敷へと赴いた。