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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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未確認生物を見たのは③

 豆河通りまでやってくる。いつもの順路と逆の道のりを辿る。相も変わらず活況で、貧富の差異もなく人でごった返している。

 おかげで彼らも、もみくちゃにされてしまった。

「しかし、こんな場所まで来て意味があんのか?」

 前を行く河津が叫んだ。その背中に半ば隠れていた白鳥は、そっと背伸びをして彼の耳元に唇を寄せた。

「分かりませんよ。でも、逃走経路としては順当でしょ?」

 河津は肩をすくめた。

 と、その時だった。白鳥の地獄耳が面白い話を聞きつけた。これは商人としては必要な能力で、彼の兄などは十人同時に会話をしても聞き取れるほどの賜物を有している。

 ただ、それに返答できるかどうかは別の問題だ。

「聞いたか? 行楽斎が新作を出したらしいぞ」

「へえ、どんな絵なんだい?」

「そりゃもう美人画よ。また赤が綺麗なのなんのって。観に行こう」

 なんてことを聞かされて、はいそうですかと言えるほど白鳥は大人ではない。彼は上手いこと河津を操作して、その行楽斎とやらの画廊へと足を向けさせた。

 河津はすぐに方向を転換した。白鳥は肩をすくめ、この中年男を騙すのは簡単だな、などと内心で独白するのである。

「ほお!」

 落ち込んでいた河津が息を飲んだ。その小さな画廊の入口に掲げられていた美人画に思わず感嘆の声を上げたわけである。

 若い白鳥からすれば、ちょっと太っているなあ、とか、情感があり過ぎる、という程度の瑣末な考えしか出てこないが、三十代で、しかも女に飢えている河津などからしてみれば、遊郭でこんなのが出てきたら、年甲斐もなくハッスルしてしまいそうになるというわけだ。

「ほお! ほお! ほお!」

 なんてフクロウみたいな声を上げながら河津が美人画に近づく。並大抵の成人よりも大きいものだから、彼が近付くだけで人垣が崩れていく。

 皆、迷惑そうにしていたが、晴れ晴れとした顔で近付いてくる馬鹿げた同心を見てしまっては如何ともし難い。それぞれが隣にいる奴を押しのけて、河津の為に場所を開けてやった。

「おい、白鳥も見ろよ」

 なんて河津が声を掛けた時、白鳥はちょっと離れた場所でぼんやりとしていた。

 美人画というから来たのに、描かれているのは三十代の女だ。まだまだ若い彼からすれば、ただの年増女に他ならないのである。

「いや、いいです」

「いいから、来いよ」

 なんて河津に言われたら仕方がない。人込みを掻き分けて白鳥も近付いた。河津は最前線で、この年増の絵を見ている。ただし、単なる劣情から出ないのは、彼の表情から明らかであった。

「おい、この女を見ろ……見覚えがあるんだ」

 河津が険しい顔をした。それで仕方なしに白鳥も見やる。ぱっと目につくのは唇を彩る紅だろう。まるで鮮血のように赤い。肌に塗られた白色の色合いと対比されると、その鮮明さがより一層かきたてられるのだ。

「……人が惹きつけられるのも分かりますね。確かに綺麗な絵だ」

 納得しました、と白鳥が頷く。河津は眉をひそめつつ、額を掻いた。

「どこかで見たような気がするんだよ」

「呆けたんじゃないですか?」

 と言った白鳥の頭を、こつんと叩いた拍子に河津に天啓が訪れた。あっ、と声を上げ、美人画に顔を寄せた。

「そんなに近づいたって、絵は絵ですよ」

「知ってらあ、そんなこと。そうじゃなくて、この女をどこで見たのか分かったんだよ」

「へえ、どこです?」

 どうせ遊郭かどっかだろう、と白鳥は蔑むような視線を向ける。だが、河津の横顔があまりに真剣そのものだったから、白鳥も表情を引き締めた。

「今朝だ。うちの近くの川で」

 と言われて、白鳥にもぴんときた。河津に顔を寄せる。

「まさか、死体で?」

「そうだ。あの女、まだ診療所に安置されているはずだ。確認しに行ってもいいか?」

 てなことで二人は近くの診療所へと足を向けた。そこは町奉行所と提携している場所であり、市中の西地区で見つかった死体の、実に七割が安置されている。

 当然のこと、今朝方上がった死体もそこに横たえられていて、医者の見習いが残念そうにこうべを垂れているわけである。

「この度は御愁傷様です」

「関係者じゃねえ」

 河津はぞんざいにそう答えて、この哀れな見習いを困惑させた。仕方がないから白鳥が微妙そうな顔をして目を伏せ、横目でその青ざめた女の顔を見やった。

「あの女だ」

 河津が確信を持って呟く。あの美人画の――随分と美化されているが――女だった。違うところと言えば血の気と生気がないことくらいで、それ以外は瓜二つ。胡瓜と糸瓜の方が、よほど似ていないというような有様である。

「で、だからなんだって言うんです?」

「……行楽斎とかいうのに話を聞く」

「聞いてどうします?」

「ともかく女の素性を知らんことには、どうしようもないじゃないか」

 世の中、正論ばかりが通るわけじゃない。

 だが、この時ばかりは正論が現実を貫き通し、一路行楽斎の画廊へと戻ることになった。相も変わらず人だかりが出来ていて、皆、新しく出来た美人画を見ようと躍起になっている。

 その人の波を掻き分けて、二人の同心は画廊の中に入った。この盛況ぶりを予期していたからか、戸口には休業、と書かれている。

 河津にはあまり関係のないことだったようで、彼は澄ました顔で引き戸を開け、中に滑り込んだ。あとから同じく入った白鳥が後ろ手で戸を閉める。あっという間に騒ぎは遠くのものとなった。

 その物音に気が付いてか、画廊の奥から小僧が顔を覗かせた。入口に立っている二人に怪訝な顔をしている。

「あの、今日は」

「町奉行所の人間だ」

 河津が冷淡な顔で印籠を見せ、小僧に行楽斎を呼んでこいと命じた。

 この少年はその勤勉さと、もしくは従順さで急いで奥へと引っ込み、いくつかの物音のあとに一人の若い男を引きずって戻ってきた。どうやら行楽斎は存外若い男らしい。痩せこけた頬を撫で、同心二人を険しい顔で見下ろしていた。

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