未確認生物を見たのは②
「吸血鬼い?」
番所でその話をすると、白鳥が素っ頓狂な声を上げた。
この番所で最も知識量があるのがこの男である。毎日のように書類を整理しているし、自分の仕事を進めるためならば、どんな改革だって惜しまない。おかげで河津みたいな時代遅れは、この変化について行けず、仕事の能率も落ち気味なのである。
「いや、まあ、そうなんだけどよ、人の生き血を吸うような事件ってないのか?」
というのも、あの近隣住民共はこう言ったのだ。最近、人の生き血を吸う謎の生物がいる、と。
これを聞いて白鳥は微妙な顔をした。よもや河津からこんな馬鹿げた話が聞けると思っていなかったし、そんな馬鹿げたことを言うくらいならば、もっと建設的な方法で解決しよう、と提案したい気分だったわけである。
だが、河津は真剣だった。世の中に未知の生物がいるとは思っているが、それがまさか人の血を吸うとは思っていないわけである。何らかのからくりがあるはずだ、と確信して疑わないのだ。
であるならば、何故そんなことを尋ねたのかと言えば、人の噂になるくらいだから、色々な事件を起こしているはずだ、と思ったからである。
白鳥は微妙な顔をしたまま、資料が山積みになった棚を開けた。もちろん死因や犯行現場、もしくは被害者、犯人の名前等で捜査資料を区分けしてある。
しかし、人の生き血を吸った、などという項目はないから、それとなく変死と書かれた部分の棚から資料を全部ひっくり返した。
「あるかどうか、分かりませんよ」
なんて言いつつ、二人は資料を漁り始めた。馬鹿みたいに数が多い。変死というのは面倒なもので、死因が分からないからそう記されているのだ。畢竟、捜査というのも長引き、資料はたくさん集まる。
二人は無言で資料を読みこんでいった。それっぽい部分があると脇に置き、あとでまた読み返そうというのである。知らずのうちに平野まで参加していて、三人は一日中、黙然と資料漁りに精を出した。
その結果、とある事実が浮かんできたわけである。まったく厄介なことだが、過去五年のうちに二四件も、それらしい事件があった。
人の生き血を吸う、というのは如何にも嘘っぽいが、しかし首筋に三つの穴がある、となると、さらに五件に絞られた。いずれも過去一年以内に起こっているもので、しかも市中の西に集中しているわけだ。
平野が几帳面にも地図に現場を落としこんでいく。今朝方ので六件。現場自体に規則性は無いようで、ある時は商家の裏手で、ある時は大通りの真ん中で、といった具合である。
ただ、いずれも直前に小さな人影を見ていることと、夜のうちに行なわれることだけが一致した事実だというわけである。
そしてもう一つ重大な事実があった。白鳥が目ざとく見つけ、平野が峻厳に顔をしかめた。河津は真面目くさった顔で地図に日付を書いていった。
最初は三カ月、次が一ヶ月半、一カ月と三日、という具合に、段々と犯行時期が早まってきているのだ。これは連続犯に良くあることらしく、平野が冷然と言い放った。
「もしこれが同一犯によるのなら、次は七日から十八日以内に起こる」
つまり、その間に解決しないと、またしても被害者が出てしまうというわけだ。彼女に急かされるようにして、哀れな男達は外に追いやられた。地図と事件の概要を簡単にまとめた冊子だけを持って、現場を巡ることになったのである。
この吸血鬼――か何かは分からないもの――を追う河津は、誰が見ても焦っている、と感じられるほど冷静さを欠いていた。しきりに頭を掻き、髭を引っ張り、そして青ざめた顔をする訳である。
その理由は、ちょうど彼の屋敷の近くに差し掛かった時に分かった。
「……俺はよ」
ゆるゆるとせせらぐ生活用水を横目に河津が血走った目をした。普段は温和な性質だからか、時たま怒ると恐ろしいものがある。一歩遅れたところから見ていた白鳥は、人知れず我が身を抱いた。
「その人影を見ているんだ」
「その吸血鬼を?」
「ああ、ただの悪戯小僧だと思っていた。もしも殺人犯だと分かっていたら、追いかけて捕まえたのによ」
「……ただの悪戯小僧の可能性もあるでしょう」
そう励ましはするが、あまり意味のないことだというのは白鳥にも良く分かっている。彼は視線を前に戻し、人が死んだ生活用水で洗濯をする女達の姿を捉えた。
「どっちの方向へ行ったんです?」
「あ?」
急に白鳥が問うた。河津は眉をひそめ、こいつは何を言っているんだ、と首をかしげる。だから白鳥は目をひんむいた。
「その小僧ですよ。どっちに逃げたんですか?」
「そりゃあ、あっちだ」
と上流の方を指さす。地図に目を落としてみると、そちらには豆河の上流がある。この武家屋敷に流れているのは、その一部ということだ。上流には河原があるし、そこを経由すれば豆河通りまで戻ることも可能だ。近辺は閑静な屋敷通りだが、雑多な大通りに抜けることも、そう難しい話ではないのである。
まあ、そんなことを白鳥は長々と論じ、河津を動かすことにした。この男、面倒なのは親分肌の癖に子分気質でもあり、時たま優柔不断になることだ。それが今である。何故か知らないがうじうじしていて、自分から動く気にならないらしいのだ。
「ほら、行きますよ」
だから、白鳥は彼の背中を叩いて、さっさと捜査を進めようと促したのであった。