最後に笑うのは②
辺りに同心達のがなり声が響く。その喧騒のど真ん中に立った白鳥は、深々と溜息をついて、殺された男を見下ろした。
「被害者は為蔵。六二歳、この店の店主だ」
河津が細々とした声で状況を述べる。それに応じたのは平野静であった。彼女は冷厳な顔をして白鳥を睨むと、そのまま河津に問いかけた。
「犯人は?」
「はい。目撃者はおらず、この家で共に住む甥夫婦は、今晩、外に食事に出ていたようです」
「……随分と都合が良いな」
「今日は結婚記念日だったそうで」
河津が口惜しや、と首を振る。彼にもそういう日が来ればいい、と白鳥は念じておいて、言葉を継いだ。
「凶器は台所の包丁でした。また、現場には煙草入れが落ちていて……」
と言いつつ平野に渡す。彼女は怪訝な顔をして、これは誰のものだと無言で問うた。
「捜査中です。ただ、周囲の証言によると、この店で番頭をしている与一という男と、被害者が言い争っているのを何度も目撃していたとか……」
「殺すほどの理由か?」
「為蔵は随分と厳しい男だったようです。十年と続いた番頭はおらず、与一も酒場で毎日のように飲んだくれては被害者に対して悪態をついていたとか」
平野は溜息をついた。それから為蔵の傷を指でなぞった。
「傷は二つ。一つが致命傷で、もう一つは浅い……」
「ええ、最初の傷で既に絶命していたようですね。となると、二回目は何の目的か……」
「考える必要はない。ともかくその三人から話を聞け」
平野が冷然と指示をくれる。
それで他の同心達は慌てて動き出した。行方知れずの与一を探して、甥夫婦と共に話を聞かねば、事は始まらないのである。白鳥と河津は急いで別室に移動して、運悪くも死体を発見し、通報してきた二人と相対した。
「こんばんは」
白鳥が言うと、二人もそれぞれあいさつをしてくれた。そして咳を切ったように話し始めたのは、女の方――とねだった。
「――まさか叔父様が殺されるなんて、殺したのはきっと与一ですよ。いっつも殺したいって愚痴ってましたから」
「……まだ分かりませんよ」
白鳥がそっけなく返して、夫の方――吉蔵を見やった。
「あなたはどうです?」
「え?」
「心当たり、ないんですか?」
「え? ああ、えーと、なんでしたっけ?」
そんなすっとぼけたことを言うから、隣にいた河津が眉間にしわを寄せた。するととねが慌ててかぶりを振り、この気弱に見える夫をかばった。
「気が動転してんですよ、この人は。なんせあの叔父様に懐いておりましたしね」
「そうか、それは気の毒になあ」
河津がまなじりを下げたところで、別の同心が部屋に入ってきた。どうやら与一を見つけたらしく、それで二人はそちらに駆りだされることになったわけである。
この番頭の与一という男、傍で聞いていた評判を体現していた。飲み屋で発見され、この犯行現場となった店に引きずり込まれた時、彼は顔を真っ赤にして、呂律が回らない様子だった。何を言っても不明瞭な音が返ってくるだけで、白鳥と河津はさっと顔を見合わせた。
河津がちょっと手を動かすと、同心達が庭の裏手に回り、そこにあった井戸から水を汲んできた。その中に顔を浸してやると、与一の酔いもあっという間に冷めたようで、水に濡れた冷たさと、夜風の冷たさとに身震いしながら、まじまじと白鳥を捉えた。
「あの、何かあったんです?」
「……同心達から聞いていませんか?」
与一はかぶりを振り、それから店の中をさっと見渡した。
「強盗か、旦那様が亡くなったか……」
「後者です。しかも殺されました」
と言うと、与一は見る見るうちに目を見開いて、白鳥に掴みかかった。河津達によって引きはがされたものの、見るからに動揺しているようである。
「何故?」
「さあ? それで――」
と煙草入れを取り出すと、与一が思わず絶句した。自分の物だと言おうとしたに違いないが、同心が仰々しくだすものだから、きっとよからぬ事態に巻き込まれたのだと察したのだろう。
「あの、わたくしはどのような罪に問われているのです?」
まだ酔いから完全に醒めてはいないが、事態を把握するには充分正常だった。
「殺人です。残念ですが、この煙草入れが現場に落ちていましてね」
とはいうものの、白鳥だってこれを素直に与一が落としたとは考えていない。どれほど動転していたって、これを落としたら気付くものだろう。現に与一もそう主張した。
「今日失くしたんですよ」
言い訳としては大変苦しい物で、何人かの短絡的な同心が険しい顔をしたものの、白鳥と河津は彼らを制して与一に話を促した。とりあえず今日一日の行動について、だ。
彼は存外素直に応じた。日の出前から荷物の運搬があったこと、それから店を開け、帳簿作業をしたこと、旦那である為蔵とかわした昼の会話、それから煙草入れを失くしたことに気が付いた時のこと。そこまで話したところで河津が首をひねった。
「昼の時点でないことが分かったのか?」
「ええ、まあ。ただ、今日は忙しかったですし、朝の一服もしておりませんでしたから、忘れてきたんだろうと思いまして」
「だが、現にここにある。お前は持ってきていたわけだ。どこに置いていた?」
今度は与一が首をかしげた。
「どこ、と言われましても。わたくしの控室に、でございますが……」
「人は入れるのか?」
「ええ、まあ。鍵は付いておりませんしね」
何を言ってんだこいつは、といった風に与一は顔をしかめたが、しかしそこで、ぼそりと呟いた。
「もしかしたら殺されてしまうかもしれません」