暗闇の中で⑤
事件は終息へと向かいつつあったが、同心達にとって最も厄介だったのは、凶器がいまだ見つかっていないということである。
浪の仕事部屋や、彼女の立ち寄りそうな場所、ないしは彼女の実家などを探してはみたけれども、それらしい凶器が見つかることはなかった。
どこに隠したのか、と同心達の追及は苛烈さを増したが、けれども浪は一切喋ろうとはしなかった。
今日も今日とて彼女は縄で吊るしあげられて、見るもおぞましい、拷問と呼んでも差し支えないような取り調べを受けている。
その様子をちらと見た白鳥は、河津に適当な理由を述べて一人で番所の外に出た。行く先は決まっている。浪の実家だ。
寝たきりの母親と対峙する。やはり目は見えないのか、ぼんやりとあらぬ方向を見つめていた。
「あの、浪はどうなりましたか?」
娘がいなくなってからというもの、めっきり体が弱くなってしまった。何度も咳き込んだり、もしくは物憂げな溜息をついたりと、体が衰えていく感覚を自覚しているようだった。白鳥がさっと見た限り、薬にも手を付けていない。
「取り調べの最中です。全く遺憾ながら、彼女が棗さんに会った最後の人間なんです」
「あの子は殺したと言ったんですか?」
「いいえ。何も言ってはおりません」
そうですか、と母親はぼんやりと呟いて、それからはっと顔を上げた。その一瞬だけは光ない瞳をまともに見つめて、白鳥の心臓は一つ大きく脈打った。
「あの子、背中を丸めてはいませんでしたか?」
「へ?」
「背中。猫背みたいに」
そう言われてさっとあの場の光景を思い出し、そういえば、まるで子供みたいに下から顔を覗きこまれたな、と思い至った。
すると母親はくすくすと密かな笑い声を上げ、その拍子に大きく咳き込んだ。
「……それ、あの子が嘘をついている時の合図です。何か隠そうとすると、いっつも背中を丸めて、下っから顔色を窺うんですよ。私にも目が見える時期はありましてね、あの子によく怒ったものですよ。卑屈になるぞって」
「はあ」
それが一体何なのか、というのが素直な感想だったが、しかし母親の次の言葉で思いを改めた。
「あの子に言ってください。私が殺したんですよ。真っ暗闇の中で、私があの悪女を殺したんです」
「……娘さんに卑屈な人生を歩かせることになりますよ?」
「もう、充分卑屈な人生でしょう?」
そこで、はっと気付かされることがあった。白鳥は、この盲目の母親を見下ろして、恐る恐る尋ねた。
「まさか……」
「娘がどんな商売をしているのか、目が見えなくたって分かります。ですから、これからは素直な人生を歩んでもらいたいのです」
どうやら母親というのは勘が鋭いらしい。白鳥は荒っぽく髪の毛を掻いて、部屋を辞することにした。その背中に弱々しい声が掛けられた。よろしくお願いします、と。
そうして戻ってきた白鳥は再び浪と対峙した。
今はちょうど午前の取り調べを終えたところで、浪はびしょ濡れだった。水責めでもされたのだろうか? 取り調べはやり過ぎることが常であるから、白鳥はあまり考えないようにしていた。
「疲れてそうですね」
ともかく昼飯は食わせて、白鳥と河津、そして浪はいつもの通り畳敷きの小部屋に座った。白鳥の時だけは手荒な真似をされないから、浪もほっと安らいでいるようである。
「ええ、毎日ですからね」
「じゃあ、結論から聞きましょう。この前の話、考えてくれましたか?」
何だそれは、と河津が眉をひそめた気もするが、白鳥は構わず浪を見つめていた。
「お受けする気にはなりません」
「では、このままここで死ぬまで取り調べを受けますか?」
と言うと、浪は途端に黙りこんでしまう。白鳥は深々と溜息をついた。
「これだけは言わせてください。あなたのお母さんはそう長くありません」
さっと顔を上げた浪を一瞥し、白鳥はなおも言葉を続けた。
「薬も飲んでいませんし、食事も満足にとっていないようです。別に意地悪をされているというわけではありませんよ?」
「……母、のことですからね」
浪は諦観の様子で俯いた。その内、体まで丸まってきて、白鳥は思わず苦笑した。
「実は、そんなこと思っていないんでしょう?」
白鳥が眉を上げる。浪は怪訝な顔をしていたが、自分の背中が丸まっていることに気がついて、慌てて背筋を伸ばした。
「卑屈な人生になるって言ってましたよ」
「……母が、ですか?」
「ええ、非情なことを強いているとは思います。でも、あなたにはやり直す機会があって、お母さんには時間がない」
何を逡巡する必要があるのです? と白鳥は問うた。しばらく沈黙がある。傍らにいた河津も、特段身じろぎをしなかったから、微妙な静寂が辺りを包んだ。
やがて浪が顔を上げた。その顔は嫌に決然としていて、その表情に白鳥はほっと胸をなでおろした。
「凶器はどこに?」
彼が問うと、浪は素直に供述した。