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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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堕天使達の呼び声①

「しっかし、腰が落ち着きませんね」

 照りつける日差しを見上げながら、ぶつくさと呟いたのは白鳥徳次郎である。二四歳になる今の今まで刀の一つも振ったことがなかったが、突然の辞令で同心の仲間入りを果たしてしまったがために帯刀を命じられたのであった。

「まあ、そう言うな」

 と取り成したのは河津であった。白鳥と同じく市中西地区の治安を守る第二八番隊の先輩だ。歳の頃は三十の前半であるのだが、その身に苦労を背負い込んでいるためか、実年齢よりは老けて見える。

 彼らは今、雑然と込み合う真昼の豆河通りを見回っていた。彼らが籍を置く市中西地区という場所は、津々浦々から商品が集まる、中津国屈指の商業地域であるのだ。当然のこと揉め事が多く、放っておくと争いが頻発する。

「人が多いですねえ」

 というわけで、二人も見回りの最中であった。この通りは市中で最も豊かな地帯であるためか、自然と人の波も絶えないのである。道の中央を穿つ豆河には手漕ぎ船が列をなし、その対岸には肩を寄せ集めるようにして、中津国有数の豪商が軒を連ねている。

 その店先には色とりどりの看板がぶら下げられていて、砂色に染まる市中の中では格別な色彩を保っているのである。当然のこと、足の踏み場もないほどやってくるのは商人やその客ばかりでなく、スリや詐欺師、もしくはただの見物客までもがいる。

 白鳥と河津は、その人いきれを半ばかき分けるようにして進んでいた。人一倍大きな河津などは、その雑踏の中にあっても頭一つ図抜けているから良いが、成人男性よりも僅かに背の低い白鳥は、この人が織りなす波濤に飲み込まれそうになるのだった。

「今日は人が多いですね」

「特売らしいぞ。乾物と陶器が安いって、長屋の婆さんが言っていた」

「乾物と陶器って……どうせ安くったって買えない物ばかりじゃありませんか」

 白鳥は嘆かわしげに肩をすくめ、急いで河津の後ろに張り付いた。人込みをかき分ける時は、こうして彼の後ろにいれば疲れないのだ。少なくとも白鳥は、この一週間でそれを学んだ。

「まあ、仕方ねえさ……おっと。でも、それにしても今日は人出が多いな」

 いつもは人込みに苦慮しない河津でさえ、たたらを踏むような有様だった。真後ろに陣取っていた白鳥は、河津が止まる度にその背中に額をぶつけ、ぶつくさと悪態をつく。

「ったく、砂でも噛んで、椎の葉を皿にしていろよ」

 この白鳥の暴言に何かを返そうとした河津が、急に立ち止まった。この大きな男の体に数多の人間の肩がぶつける。もちろんのこと白鳥も彼の背中に頭に衝突し、その憤懣を真正面から浴びせた。

「どうしたんです、河津さん。ちゃっちゃと終わらせましょうよ」

 職務に忠実でない白鳥が言うと、職務に忠実な河津が首をかしげた。

 彼の視線の先には煤けた教会がある。その古びた軒先に建てられた、真新しい看板には〝堕天使降臨〟なる文字が書かれていた。

 もちろんのこと、思い悩んだ様子の男女が教会の前にはいて、教会の中から聞こえてくる美しい歌声と、愛想の良い笑みを浮かべた中年の男に促されて、何人かずつが入っていく。彼らは聞いたこともない節の念仏を唱えながら、神に縋るようにして手を合わせている。

 それをぽかんと見上げた白鳥は、すぐさま正気に戻って河津の肩を叩いた。

 河津が振り向く。その気の良い同僚に白鳥は首を振った。

「早く帰りましょうよ。あんなの、どうせ南蛮人の奴隷に首輪をかけているだけですよ」

「そうか? ……いや、そうだろうな」

 河津は肩をすくめて再び歩き出した。その後ろ姿に違和を感じはしたものの、白鳥の方も雑踏に苦慮して、それどころではなくなってしまった。

 散々もみくちゃにされて白鳥と河津が番所に戻ってくると、私用で外に出ていた平野が入口の土間で茶を啜っていた。

 その余裕ぶった態度にムッとはするが、けれども白鳥は、持ち前の自制心で彼女に関する悪口は控えた。敵に回してはならない人間というのは数多くいるものである。白鳥にとってみれば、この平野がそれに当たるのだ。

 対して平野は、その冷厳な面差しをつんと澄まして、二人をじろりと睨んだ。無言のうちに、報告をしろ、と告げているのである。だから着物の前を直した河津が、中腰になって平野に報告をした。

「豆河通りは今日も盛況であります。本日は乾物と陶器の特売でございますから、一段と人出があり、見回りの人員を増やしたほうがよろしいかと存じます」

「……他の連中に言っておく。それ以外は?」

 平野の態度はあくまでも冷静だ。実務をしているのは彼女ではないのに、何故だか偉そうだ。部下の仕事を横取りする人ではない、と河津は言うが、白鳥には不信感もあった。この平野という女、自分だけでなく他人にも厳しいから、温室育ちのぬるま湯体質に身を置く白鳥からすれば、ちょっとばかし面倒くさい。

「――おい、おい白鳥!」

 そんなことをぼんやりと考えていて、平野の問いかけを無視していたらしい。慌てて白鳥が顔を上げると、平野がとびきり峻厳な顔をしていた。

 さながら血に飢えた虎のようで、白鳥などはそれだけで意識が遠のきかけるのだが、しかし今倒れるわけにもいかない。自分の失態に文句を言いながら、慌てて身を正した。

「はい、何でしょう、平野さん」

「お前は、何か気になったことはないのか?」

「はあ?」

「……見回りをしていて、まさか河津の背中ばかりを追っていたわけでもないだろう?」

 そこで白鳥は沈思した。どうやら彼の第二八番隊での職務は、武士出身の平野と河津とは違った視点で物事を見るということにあるようだった。たかが商人の次男坊ではあるが、二人からすれば別の世界から来た人間ということになるのである。だから平野は白鳥にも意見を求めることが多い。

「うーん、見知った顔のスリが三人いたこととか――」

「とか?」

 平野が不機嫌そうに眉をひそめたから、白鳥は河津に助けを求め、そしてそれが何の意味もなさないことを思い出した。河津が申し訳なさそうに肩をすくめていた。

「――あとは……堕天使降臨、ですかね」

「何だ、それは?」

 と首をひねる平野に、河津が耳打ちをした。その親密な態度に二人は出来ているのだろうかなどと白鳥は考えるのだが、それは下衆の勘繰りというものだ。この二人が恋人同士なら、今頃白鳥は家業を継いでいただろう。ありえないことだ、と直感した。

「なるほどな……教会」

 平野はそうして美しい顔を歪め、それを己の右手で覆って隠してしまった。傍から見ても分かるほど、彼女の脳みそは激しく動いていた。そうなると平野は動かなくなるから、必然的に白鳥と河津は、それぞれの仕事に集中することにした。

 結局、二時間ほど経って平野が顔を上げた時には、もう第二八番隊の勤務時間が終わろうか、という刻限になっていた。辺りを夕闇が覆っていて、砂色に輝いていた番所の周りの道々にも茜の色が降り注ぐようになっていた。

「最近、新しい宗教が流行っていると言っていたな。……確か、天心教」

 長い間考え込んだ割には大した情報でもなく、白鳥は呆れた顔でその日の仕事を収めようと書類仕事に没頭したのであった。

 そろばんばかりをいじってきた彼からしてみれば、役人というのはどうにも財布の口が緩くて、賄賂や浪費など、数多のことに金を使いすぎている気がする。

 そんな憤懣を持った白鳥が、その日の収支を書き留めた頃、夜番の同心達がのんびりと欠伸をしながら番所に入ってきて、昼番の同心達とそれぞれ引き継ぎのやり取りをした。

 白鳥も苛立たしげに、やる気のない同心に書類を渡し、いくつかのお小言を付けくわえておく。

 そして、そんな時になって――運の悪いことだと白鳥は思う――目明しが飛び込んできて、殺人事件が起きたことを告げた。

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