暗闇の中で①
「いや、これは初めてですね」
とある殺人現場を前にして白鳥が唸り声を上げた。やっとの思いで太陽が仕事を始めた頃合いで、曙光差し込むと称しても差し支えないような時間だった。
朝、ちょっと早く番所へと出勤してきた白鳥は、始業時間となるなり駆け込んできた目明しによって、現場へと連れてこられたのである。
まさしく勤務時間内に持ち込まれた事件で、彼の念願が果たされたということになる。
「しかし、美人だなあ」
今日は平野がいないから、のんびり伸び伸びと仕事が出来る。白鳥は辺りを駆けまわる同心達を一瞥し、それからこの現場に思いを馳せた。
彼がいるのは、とある娼館だ。
被害者は、ここで一番人気の棗という女だそうだ。その若く美しい女の、あられもない死体が足元に転がっているのである。
「死因は包丁で刺されたことによる失血でしょう。致命傷は胸か……腹か……。ともかく最初に後ろから襲いかかって、それから致命傷の傷を負わせたのだと思います」
近所の医者がそう断じ、棗の亡骸は莚に包まれて運ばれた。あれが生きていたならば、きっと絶世の美人という奴で、白鳥屋の店主でも持てないような金を貰って、浮世を流すのであろう。
ざっと部屋を見渡す限り、舶来品の弦楽器や、白鳥の一月分の給金よりも高い砂糖菓子、他にも青や金をふんだんに使った派手な着物などが散らばっている。
それから、何に使うのか分からないが、鶏卵くらいの大きさの鉄球や、白鳥の腕ほどの太さや長さはあろうかという木の棒、牛皮をなめして作った鞭などもだ。
元はどれも整然と並べられていたのだろう。棗と犯人が争った場所以外は、丁寧に、過不足なく整頓されている。
「不幸な女だな」
どす黒い染みが出来た木綿の布団を見ながら、河津が独りごちた。白鳥はそちらに視線を転じて、あの棗という女の昨晩の行動を類推した。
「客を取って、そいつに殺されたってことでしょうかね?」
白鳥が首をかしげると、近くにいた同心が激しくかぶりを振った。第二八番隊の二人が見やると、彼は客の名が書かれた帳簿を見せてくれた。
「昨日は、仕事日じゃないらしい。ここ五日も連続で客を取っていたから、休みだったそうだ」
「休みでも仕事場にねえ」
河津が顔をしかめた。意味は分かる。白鳥だって休みの日に番所へは行きたくない。それなら家で寝転がっていた方が幾分かはましだ。
「それが、そうじゃないみたいなんだよ」
と再び同心が首を振る。棗が殊勝な心がけじゃないとするならば、一体何の用でここに来たのであろうか?
「あの女、いわゆる両刀使いって奴だったみたいで」
「男も女もいける口か」
河津がまんざらでもなさそうな顔をする。この馬鹿げた男のことは平野に報告するとして、白鳥はその事実に驚いていた。
「まさか、個人的に客を取っていたとか?」
「いや、客じゃなくってな。悪癖というかなんというか、お茶を引いている若い衆を引きずりこむのが趣味だったらしい」
彼女自身は人気があり、それでいて多少のわがままくらいならば許される立場なのだそうだ。
要するに生贄というわけである。棗という女性を店に繋ぎとめておくため、いたいけな少女を差し出したというのだ。
「ぶっ壊した女の数は知れないってさ。殺したことはないそうだが、少なくとも仕事が続けられないような体にしたことはあるらしい。それで、いま他の遊女に確認を取っているんだが……」
「だが?」
河津が問うと、同心は身を縮こめた。
「浪という遊女の姿が見えない。昨日茶を引いていたのは彼女だけで、棗の部屋に連れ込まれたところも目撃されている」
「いつから見えないんだ?」
「連れ込まれたのが日付の変わる頃で、少なくとも今はもう居ないとか」
というわけで、白鳥と河津は浪という若い遊女を探すため、彼女の実家に向かうことにした。
彼女は今でこそ店に住んでいるが、それまでは、その実家で暮らしていたのだという。日ごろから、足腰の悪い母――父親は随分前に亡くなったそうだ――を気に掛けていたのだそうだ。