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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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番人③

 その翌日、同心達から寄せられたおびただしい量の情報を、白鳥と河津は精査していた。まだ日の出の前のことである。

 昨晩は寝つけず、それで朝早くに番所へとやってきたところ、どうやら河津も同じ気持ちであったらしい。二人は期せずして捜査を開始することにした。

 とはいっても目撃者探しではなく、泰造探しだ。彼の情報も昨日のうちに調べ上げられていて、ここ二日ほど家には戻っておらず、仕事も休みっぱなしだという。

 捜査資料をじっと見ながら、河津が難しい顔をした。

「こいつが犯人だと思うか?」

「……動機はありますね。ただ、僕には気になることもあります」

「何だ?」

「みつという娘、少々きな臭いというか、何と言うか……」

 そう言いつつ、資料を河津に手渡す。そこには五年前の殺人事件の報告書がまとめられている。

 これによると殺しの犯人は熊吉で、第一発見者は父親の泰造ということになっていた。現場は小さな寺の境内で、帰りの遅い娘を探しに来たところ見つけたのだそうだ。

「……不幸な父親のようにしか見えんな」

 資料をざっと流し見て、河津が断じた。彼はそれを脇にほっぽり、次いで真面目な顔をした白鳥に視線を転じた。

「で、何がおかしいっていうんだ?」

「……みつは妊娠していたそうです。ごく初期で、自覚症状が出るかどうかというくらいだったとか」

「熊吉との子供だろ?」

「その熊吉との関係も謎ですね。付き合いだしたのは、ほんの一月ばかり前のことだそうです。これも本当に恋人だったのかどうか、僕には分かりません」

 河津が怪訝な顔をしたものだから、白鳥は溜息をついて、彼が放り捨てた資料を持ち上げた。

「恋人同士だったと言っているのは泰造だけなんですよ。近所の人達は仲の良い男友達だと思っていたそうです。逢引をしたような形跡もなく、二人が恋人だと断じられた証拠は父親の証言だけ」

「……親にしか見えないこともあるんじゃねえか?」

「ええ、今となっては二人とも死んで、真実は闇の中です。これは推測の域を出ません。ただ、もう一つの方はどうか……」

 そう言いながら、資料のとある頁を示した。それはみつの死因に関する報告箇所だ。直接的な死因は後頭部に強い衝撃を受けたことによる、とされている。しかし白鳥が指差したのは、とある一点だった。

「熊吉の証言とは外れる部分です。みつの体、特に腹部には痣があり、内臓も損傷していた」

「……熊吉は押し倒して、頭をぶつけたって言っていたらしいな」

「ええ、まさにそこが紛糾したんです。殺したことは認めたのに、腹部の傷に関しては承服しなかった。また、頭の傷自体は彼の証言と合致するんです」

 白鳥はそこで一つ息を履き、困惑しきりの河津を畳み掛けた。

「みつの体には無数の痕があったそうですが、その大半は古いものでした。治りかけていたり、ほとんど治っているものだったり……。それでも体が衰弱していたのは、紛れもない事実ですよ」

 河津が眉をひそめた。何が言いたいのか、はっきりと分かったようである。

 もしかしたら、熊吉は引き金を引いただけなのかもしれない。そこに至るまでの過程は別の誰かが手引きしたということも考えられる。

河津は足元の畳を掻きむしりながら、しかし承服しかねると首を振った。

「まさか、泰造がやったとでも?」

「でも、彼ならば何か知っているはずですよね?」

「……だが、見つからないことには始まらん」

「ええ、ですから、みつの墓に行こうと思います」

「墓?」

「何と彼女は、自分が死んだ場所に埋葬されているんですよ」

 というわけで、渋る河津を引きずって、市中の東――港や大通りがある西とは違い、牧歌的な田園が広がっている――にある小さな寺へとやってきた。

 鬱蒼と茂るブナや楓が白光を遮り、足元は黒々とした影に覆われている。どうやら普段は人も近づかないようで、遠くから農作業に精を出す、男達の掛け声が響いてくるばかりであった。

 土くれだった畦道を辿り、石造りの階段を駆け上がる。そうして眼前に寺の本堂が見えた時、とてもじゃないがこの場所で人が殺されたのだとは思えない静謐が広がっていた。石造りと道を歩いていると、遠くから箒をかける心地よい音が聞こえてきた。

 二人はそっと近づき、あくせくと働く坊主に声を掛けた。

「こんにちは、町奉行所の者ですが」

「はあ、こんにちは。何かございましたか? 埋葬の許可でしょうか?」

「ここに、みつ、という名の少女が眠っていると聞きまして」

 かいつまんで事情を話すと、坊主は慌てて本堂に戻っていった。帰ってきた時、見るからに徳の高そうな、皺にまみれた老坊主を伴っている。どうやら彼こそが寺の住職であるようで、あとの話は彼を通せ、と暗に言われているのであった。

「あれは凄惨な事件でございました」

 そう言いながら、住職が敷地を案内してくれる。その静かな挙動は、どうにも二人の焦燥感を煽りたてたが、しかし今は彼の言葉に耳を傾けるべきだった。

「うら若い少女が、ただ一人で恐ろしい思いをしたことでしょう。犯人が捕まり、我々も喜んだものです」

「もちろん、泰造さんも喜んだでしょうね」

 そっけなく白鳥が返すと、住職がむっつりと黙りこんでしまった。ええ、そうですね、とか何とか言っておけばよいものを、馬鹿正直に俯いて、何かありますと背中で語っているのである。

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