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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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偽りの婚姻⑦

「八之介……、正直に話せ」

 明け方、彼を捕らえた第二八番隊は、すぐさま番所へと戻ってきた。机があるばかりの薄暗い一室に彼を押しこみ、平野と白鳥が圧迫しているというわけである。

 もちろんのこと、捕まった時点で八之介の荷物は全て押収され、その中に粉末状の鉛が一瓶、見つかっている。

 今は平野が鋭い顔で、俯く元咎人を睨み据えている。

「だんまりか?」

 いつまでも口を開かない八之介に、平野がしびれを切らし始めた。いつ手が出てもおかしくはないが、しかしまだ河津の出番ではない。白鳥は黙然とまっさらな横帳に視線を落とし、八之介が口を開くのを待っていた。

「……口が利けないのか?」

 平野が冷厳に睨み下ろすと、そこで初めて八之介が身じろぎをし、視線を逸らした。その先には白鳥がいて、彼は微妙な顔で頷くばかりである。

 事ここに至って八之介も観念したのか、深々と溜息をついて頭を抱えた。

「何故、今さらになって捕まえに来たんだ?」

 というのも、八之介が計画を実行し始めたのが八年前のことで、捕まるならばもっと前だと思ったのだろう。ここ何年も音沙汰が無いものだから、彼も安心して行動を起こしていたのだ。

「お前の標的、幸次が死んだからだ」

 だが、平野がそっけなく答えると、八之介は驚いた顔をした。

「彼は死んだのか?」

「ああ、つい数日前にな。彼は金属中毒だった。道端で倒れてそれきりだ」

「彼は苦しんだのか?」

 平野が頷く。少なくとも安らかではなかったろう。それを聞いて、八之介は安堵するように息を吐いた。まさしく表情は恍惚といった風で、それは大願を成就した、ありとあらゆる人間が浮かべる満足げなものであった。

「そうか。彼は苦しんだのか……」

「当然のこと、お前はこれから起訴されるわけだが、何か言い残したことはあるか?」

「さえに、幸せになってくれと言ってくれ」

 安らかな笑みを浮かべる八之介だったが、平野がかぶりを振ると、途端に苦悶の表情を浮かべた。

「何故だ? それくらいしてくれてもいいだろう?」

「駄目だ」

 平野がぴしゃりと言い放つ。彼女は鉛の入った瓶を握り締めると、無にも近いほど表情を殺し、恐ろしい現実を口にした。

「さえにも殺しの嫌疑がかかっている。これから取り調べをして、事実を吐かせる」

「何故だ! 俺が殺した。それで良いだろう?」

 しかし平野は無言である。それで八之介は堪らず白鳥に視線を転じた。彼は文字を書くのに夢中で、全く聞いていない。見られたところで、何か不都合がありましたか? と怪訝な顔をするしかない。

「俺が、俺だけでやったんだ。さえは関係ないだろう?」

「……幸次は、日常的に金属を口にしていた。残念ながら、お前だけの犯行だと断じることは出来ない。誰かが手助けをして、お前の計画を遂行したと断じざるを得ない」

 平野はそう冷たく吐き捨てて、あとのことを河津に任せた。彼女は一人番所を出て、米屋に身を寄せたという、さえの元に向かった。

 途中で、白鳥も追いかけてくる。彼が隣につくと、平野は気を引き締めた。

 まあ、それは必然だ。この新米に無様な姿を見せたくはない、と平野自身が思っているからだ。こいつに弱みを握られると面倒だ。だからより一層、鋭い顔をして、冷たい表情を面上に張り付けるのだ。

 米屋に事情を告げると、すぐにさえの元に案内された。彼女はいつぞや見たのと同じような、恐ろしい薄笑いを浮かべて、二人を迎えてくれた。その顔を見て、平野は冷徹な精神をしっかりと抱きしめた。いつだって犯罪者と相対するのは覚悟がいる。

「八之介が逮捕された」

 単刀直入に告げると、さえの顔がみるみる強張った。あの薄い笑みを浮かべたまま、二人から顔を逸らそうとする。

 平野はあえてその変化には目を瞑り、やはり冷たく事実だけを告げた。

「彼はすでに罪を認めた。幸次に鉛を飲ませるために、仕事場から盗み出していたことを」

「……そうですか」

「そしてもう一つ。協力者がいることもだ」

 そこで、さえから完全に表情が無くなった。彼女は怖々と平野を窺い、そして震える手を強く握りしめた。

「誰だと言っていましたか?」

「ここに来た理由が分からないのか?」

 冷然と平野が返す。彼女の目は感情を持たず、冷やかに相手を捉えていた。途端にさえは色を失くしたが、しかし、相手を信頼しているようだ。それこそ、平野の嘘を嘘だと見抜けるほどに。

 さえは、またしてもあの薄笑いを浮かべていた。証拠など一つもない、と言いきっているようである。開き直られてしまえば分が悪い。平野はさらに険しい顔をして、ではどうするか、と思案を重ねた。

 と、その時、後ろで白鳥が声を上げた。二人の女性に睨まれた彼は、小さく体を縮こめながら、それこそ恐る恐る消え入りそうな声で呟いた。

「あの近所の婆さんが、もしかしたらゴミを持っているかも……」

 平野が眉をひそめると、彼はますます体を小さくした。

「この前会った時、さえさんの家のゴミを分別するために、自宅の裏庭に置いているって言っていて……」

 そこで、さえがはっと顔を上げ、彼女は半ば縋るように白鳥の手を取り、初めて薄笑いの表情を涙で濡らした。

「い、いつのゴミですか?」

「えーと、五日前、かな?」

 さえの顔から表情が奪われる。その変貌ぶりに二人は顔を見合わせ、それから揃って、さえに戻した。彼女は俯いたまま、激しく肩を震わせている。

 その肩を叩き、平野がゆっくりと立ち上がった。

「では、行ってみるか」

 彼女は冷たく言い放ち、さえの首根っこを捕まえて米屋から出ていく。店主が怖々と様子を窺っていたが、しかし止めには来なかった。さえに、子供達は任せてくれ、と言い、深々と頭を下げたのであった。

 そうして、さえも捕まった。あの婆さんが溜めこんでいたゴミの中から、粉末状の鉛がこびりついた瓶が見つかったのだ。月に一度、八之介とさえは逢瀬を交わし、そして鉛をやり取りしていた。幸次が死ぬその時まで、彼らは無関係を装おうとしたのだ。

「次はいつ会えるんでしょうね」

 白鳥が悲しげに呟くと、平野はそれこそ冷ややかに、その言葉を無視して仕事に戻った。

 彼女に心がないのかと言えばそうではなく、人並みに悲しんでいるのだと分かるのは、いつもは凛と反り返っている背中が、ほんの気持ち分だけ丸まっているからだ。

 そして白鳥には吉報があった。従妹の結婚がなくなったのだ。九進屋に、もっと大きな話が舞い込んで、白鳥屋との話は捨て去られた。白鳥の父などは怒り狂っていたが、しかし家族の誰もがこの話には安堵したという。

「良かったな」

 気のないふりをした平野の顔も、何故か少しばかり緩んでいるように見えた。

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