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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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出来の悪い男⑥

 その日もいよいよ夜明けを迎えようかという頃、うとうとと船を漕ぎだしていた三郎は、突然同心達に引っ立てられて、とある屋敷の前に連れてこられた。

 その場所に見覚えはない。こんな立派な屋敷に住めたなら、彼はきっと幸せな人生が送れたに違いないから。

 それにしても、と思うのは、こういう立派なお屋敷――庭が付いていて、四人家族ならば一人につき一部屋は与えられるだろう――に住むような人間とは、一体どんな人物なのだろうか。よほど運か腕のいい奴なのだろう。

 三郎がぼんやりと屋敷を見ていると、そこに第二八番隊の三人が現れた。先頭に立った平野が彼を鋭く見据え、そして問うた。

「ここが誰の家か分かるか?」

「いや、まったく。誰の家なんで?」

「……藤吉だ。お前が殺した」

 平野が冷たく言い放つ。そこで三郎ははたと気付くことがあって、屋敷と平野を交互に見やった。

「ええ! だって、あの男、長屋住まいじゃ」

「どうやら違ったらしい。……で、お前にもう一度聞きたいんだが、この家の住人をどうやって長屋に連れて行ったんだ?」

 冷厳な顔をした平野は、たぶんこの世の何よりも恐ろしい。傍らで見ていた白鳥でさえそう思うのだから、真正面に立っていた三郎などは、膝に力が入らなくなるくらいの恐怖に見舞われていた。

「いや、いや、俺が殺したんだよ!」

 という三郎を冷ややかに見据え、平野はそっけなく首を振った。嘘をつくのは信条に反する、と直前まで承服しなかったのだから。

 しかし、真相を聞くためならば、と全くの憶測で話を進めた。

「お前、随分と考えたな。姉妹を逃がすために、己の身まで犠牲にするとはな」

「え、何でそれを?」

「……調べさせてもらった。あそこは藤吉の情婦をしていた姉妹の住処だ。二人は、あの場に一家を呼び寄せて、藤吉を惨殺したらしいな。随分と恨みが強いと見える。なにしろ幼い頃から藤吉の玩具になるために育てられてきたのだから」

 この平野の言葉に、三郎はさっと顔を歪めた。あの娘達、まさかそんな辛い境遇だったなんて、と思うのである。しかし、ここで口を割っては致し方あるまい。無駄なことは言わず、黙りこんでいようと考えた。

 しかし、目の前にいる平野は、強烈な眼光を三郎に叩きこんだ。

 それで今度こそ膝が笑って立っていられなくなり、地面に膝をつく。これは不味い状況だ、と三郎は己を諌めたが、体は言うことを聞いてくれなかった。平野の目が見上げるような位置にある。

 その眼睛が、ほんの僅かだが憂いに満ちたような気がした。

「あの姉妹はすでに全てを吐いたぞ。犯行も認めた。お前がかばう必要も、手立てもなくなった」

「そんな……」

 まさか、あの娘達がへまをしたとは思えない。しかし、三郎が知らない事実を突きつけ、なおかつ彼と姉妹しか知らないことまで知っているのだから、真実なのだろう。

 三郎は顔を歪めた。

 これにて彼の計画は失敗だ。途中までは全て上手くいっていたのに、あるところから歯車が狂ってしまったようだ。

 どこからだろう、と三郎は考えて、あの河原からかもしれない、と思い至った。まさかあんな場所から凶器が見つかるなんて、と彼は頭を抱えた。

 そこに至ってあの日の状況が思い浮かぶ。

 あの姉妹は、妻と子供達を拘束したのちに藤吉を襲った――おかげで三郎は誤解した――のだという。彼女達は言っていた。この藤吉に人生を狂わされた、と。殺されて当然なのだそうだ。

 殺したいほどの恨みを晴らした人間が、幸せな人生を歩めないのは間違っている、と三郎は思う。

 仇討は良いことだ。人は知らないところで誰かを虐げていて、そして虐げられている。

 では、一方的に虐げられ続けている者は、どうしたらいいのだろうか。虐げていることを分かっていてなお、その状況を押しつけてくるような奴に対して……。

殺すしかないだろう。あの姉妹のように。

 それを成した彼女達には幸せになる権利がある。少なくとも何もせずにぶらぶらしている奴よりは。

 三郎は頭を抱えた。フラッシュバックが激しい眩暈を引き起こし、今度こそ腰から下の力が入らなくなった。

 力なく平野を見上げていると、彼女の鋼鉄のような面上に僅かな憐憫がよぎった。それが何を意味するのか、三郎にはまったく不明である。

 しかし、次の言葉で理解する羽目になった。

「殺しに関しては無罪だが、偽証したことに関しては相応の罰を受けてもらう」

「ば、ば、罰ってなんだよ!」

「市中追放だ。お前は若いんだから、故郷に戻ってやり直せ」

 そう吐き捨てて平野は踵を返した。

それじゃ意味がないんだ、と三郎は慟哭したが、しかし聞いてくれる者は誰一人としていない。

 こうして彼は、三日後に市中から追放されることとなった。同心が二人付き、彼の故郷へ送り返すという。

 その呆けた後ろ姿を見送り、隣で仁王立ちをする平野に、白鳥は視線を向けた。

「あの、ありがとうございます」

「……何がだ?」

「だって、わざわざ犯人まで見逃してくれたじゃないですか」

 本当のことを言えば、白鳥達が事実に気がついた時、姉妹はすでに市中を出たあとだった。彼女達は、三郎が稼いだ時間を有効に活用したのだ。

 あの事件の日、三郎は実家の住所を教え、そして自分が死んだことにして、姉妹に言伝を頼んだのである。彼の両親に宛てて、親不孝者をどうか許してください、と。それで姉妹は当座の逃げ場を得たのだ。

 それを追うことも出来たのだが、市中の外まで追うためには、煩雑な手続きを踏まなければならず、市中内部にしか捜査権を持たない第二八番隊は御上に指示を仰いで、それから市中の外で職務を遂行する許可を得る必要があった。

 当然のことながら、平野はそうするつもりだったのだ。彼女の性格からすれば、犯罪者は地の果てどころか地獄の門の内側まで追っても足らないくらいである。鼻息を荒くして、姉妹を吊るし上げるための道具まで用意させたほどだ。

 それを白鳥が制止したのである。

〝たぶん、その姉妹はもう二度と悪さをしませんよ〟

 姉妹は大願を果たしたのだ。あとは三郎に感謝して生きていくだけだろう。

 その主張に胸を打たれて――少なくとも白鳥はそう思っていた――平野は許諾した。であるから、三郎に嘘の情報を流したのだ。姉妹は逮捕された、と。

 ああしてお灸をすえておけば、三郎も金輪際悪さをしないだろう。いや、真実を知ってもう少し真面目に生きるはずだ。情報によれば、姉妹はとうの昔に三郎の実家に辿りついていて――このために幾人もの同心が三郎の生まれ故郷に赴く羽目になった――彼の帰りを待っているのだというのだから。

「……見逃したわけではない。犯人は見つからなかった」

 平野はそっけなく答えた。この三郎と姉妹の事情を上に報告し、指示を仰いだのは彼女だ。そして、平野に文句をつけられる数少ない人物が、この件の結末を指示したというのが真実であった。

「仮にも殺人犯だぞ……逮捕すべきだった」

 苛立たしげに肩を怒らせた平野の隣で、白鳥が肩をすくめた。

「はい、すみませんでした。これからは気を入れ替えて働きますので」

「……本当だろうな?」

 冷厳な平野の顔を見て、これが失敗だったとすぐに白鳥は気が付いた。しかし吐いた言葉は取り返せないのだ。

「精進します……」

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