出来の悪い男①
「ああ、金がねえ」
その男――三郎は、とある河原の一画で腰を下ろし、そうぼやいた。
空は晴れ渡り、時折小さな雲が流れるばかりである。遮るものもなく日差しが照りつけ、彼の肌は汗ばんでいた。
そんな彼の懐はすっからかんだ。夢を追って市中に来たものの、定職もなく、これと言って素晴らしい仕事が出来る訳でもない。
「女もねえ」
当然のことであるが、無職の彼についてきてくれる奇特な人はいない。友達はいるにはいるが、ちょっと都合が悪くなると全く会えない。今日は仕事があるらしく、三郎はこうして孤独な時間を過ごしている。
「次いでに言っときゃ夢もねえ」
というわけで金も、仕事も、女も無い三郎は、ついでに夢にまで破れて、もはや八方ふさがりだ。二三歳という年齢を考えれば挽回できなくもないが、そういう気力も湧かないのだからいかんともし難い。
「はあ、何で世の中上手くいかねえんだろうな」
ごろりと河原に寝転がった。蒼穹は目に痛いほど鮮やかで、流れる雲がその色をより引き立たせている。勝手気ままに鳥達が空を飛び、それがよりいっそう、三郎の無念を沸き立たせるのであった。
「俺は悪くねえはずなんだよなあ。……そうだよ、世の中が悪い」
何の気もなくそう呟いているうちに、本当にそんな気がしてくるのだから人は恐ろしい。こんな馬鹿げたことを思っているうちに、本当に世の中が悪いのだと思えてきた。
頭がぼうっとするような激情が脳裏を駆け抜け、三郎は弾けるようにして立ち上がった。
まるで酒を飲んだあとのように頭がくらくらとしている。果たしてこれが正常な判断かは分からないが、彼はゆっくりと歩き出した。
この河原沿いを南下すれば長屋地帯、それよりもっと南に行けば豆河通り、さらには港へと続く。ひと気の少ない田園地帯を無視するように、三郎は俯きながらこれからのことを考えた。
「やっぱさあ、俺とは住む世界が違う奴にどうこうしたいよなあ」
地面を見ながらぶつくさと言っている三郎に、道行く人は怪訝な顔をした。ああ、若いのに精神に異常をきたしたのか、なんて思いつつ、さわらぬ神に崇りなしとあえて近寄ったりはしない。
それをいいことに、三郎の脳内はけたたましい音を立てながらいくつもの妙案を提案してくれた。歩いているとそれだけで気分が紛れるようだ。
「やっぱそうだよなあ……幸せそうにしている奴が許せない」
結局そこに行きついた頃、ようやっと夕闇の色が滲みだしていた。辺りは仕事帰りの男女でごった返していて、道の両側に広がる長屋からは温かな家庭の音が漏れ聞こえてくる。
それで三郎の決意は固まったわけだが、しかし彼とて小心者だ。明かりの灯った長屋の列を見ているうちに、本当に幸せな家庭を壊すということに気が引けてきた。
「あの家は……駄目だ子供が小さい。こっちは……いや男が怖そうだ」
なんて物色していると、最初の決意はどこかに吹っ飛んでしまった。
今や三郎の頭の中は、自分よりも不幸せそうな奴を見つけよう、という何だかよく分からないことにすりかわっていた。それに気付かないから彼は貧乏なままなのだが、しかし気付かない方が幸せなのかもしれない。
ともかく三郎は明かりの灯った長屋の群れの中を回遊し、そしてついに目当ての人物を見つけた。見るからに不幸そうな男だ。その光景を見た時、三郎は思わず声を上げて、近づいてしまった。
なにしろ男は殺されているのだから。傍らでは血塗れの母と子供が気絶していた。
「こりゃ、すげえや」
三郎の思考が唸りを上げて、彼の成功までの過程を、きちんと過不足なく弾き出していた。彼はにっこりと笑い、暗闇の中でうずくまっていた影に声を掛けた。
「よう、お前達、逃げたくないか?」