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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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梅津神之助の末路⑤

 しかし、自分の言葉に疑問が残った。

 梅津がなしたこと、なそうとしたことの重大さと規模に思考が働いたのだ。白鳥は首をかしげた。

「いや、これは違うな……発言を撤回させてください」

「……次は何を言うつもりだ?」

 その笑みの失せた梅津の顔は、憂鬱に苛まれて疲れ切っていた。

 どう評するのが正しいのか。しかし、仕事に疲れたおっさんと変わらない。例え高尚な決意を秘めていたとしても、だ。

 彼もまた人間で、疲労感に苛まれる生き物なのだ。それで、はたと気付かされた。

「……逆だ。あなたには傲慢さが足らなかったんだ。身勝手に振る舞い、やり遂げる勇気がなかった」

 そこで一つ間を置き、白鳥は言葉を選んで口にした。

「確かにこの世界を変えようとした。でも、周りの人間が思うほどの速度ではなかった」

 周囲の雑然とした争いの音から、白鳥の精神は隔絶された気がした。そこに存在するのは二人だけで、彼らははっきりと相対していた。

 梅津が似ている、と評したことは紛れもない事実だろう。二人は確かにそっくりだった。

 ……ある一面を切り取れば。

 主体性がなく、誰かの指示と後押しが必要だった。そして決めたら脇目もふらずに前進した。二人の判断力は、それまで所属していた地位によって激しく左右された。白鳥ならば商人としての精神、梅津ならば武士としての精神である。

 しかしながら、別の側面ではまるきり違うわけである。

 内実、二人の視点のかい離はそこにあった。梅津は類似点を、白鳥は相違点を探した。そうして近い距離にいながら、意見の齟齬に苦しんだのだ。

「……あなたはあなた自身の手で革命を起こす気はないんだ」

 その考えを口にした時、心の中で、すとんと何かが落ちた。それは大きすぎず小さすぎず、本当にぴったりとはまりこんだ。

 梅津は、自分の手で中津国を転覆させる気など毛頭なかった。彼の周囲の人間が、それを勝手に望んだだけなのだ。

「あなたの仕事は、人々に疑問を抱かせることだった。それが彼らの中で蓄積されて、当然の思想として消化された暁に、初めてあなたの野望が達せられる」

「……そんな気長な真似を私がすると思うかね?」

「あなたの信者は、この国にどれほどいるんです? 戸田家にもいたんだ。神平家にもいるんじゃありませんか?」

「……」

「彼らが全て迎合する必要はない。反発したって構わない。でも、この世界が少しずつ、あなたの思う神の国に近づいたなら、あなたの仕事は成就されたも同然なんだ」

 梅津は答えを待っているのだ。君はどうか、と。

 白鳥は喉を鳴らした。乾いた食道を無理やりこじ開ける。一声発しようとして、思いのほかかすれていたので、咳払いをした。

「僕は、大っぴらには反対しません」

「随分と曖昧な答えだ」

「否定もしません。人は生まれる前から不平等だ。それを全て均衡化しようなんて傲慢な考えには賛成できない」

 でも、何かを変えようという心意気だけは否定されるべきじゃない。

 確かにこの世界は行き過ぎている。覆しがたい物がいくつもあって、その中で人々は苦しんでいる。あらゆる極致の両端が見えないほど遠ざかってしまった。

「僕はあなたほどお人好しじゃないから、人におだてられたって、担がれたって、大それたことは出来ません。それでも自分の手が届く範囲なら、少しくらいは変えたっていい」

 それが白鳥の答えだった。

 梅津の全てを受け入れたわけじゃない。拒絶するわけでもない。彼の代わりにはなれないけれど、彼の思想の末端にはなれる。神の国には行きたくもないが、それが楽園への過程にあるなら、足を向けたっていいとさえ思っている。

 客殿はもう巨大な大黒柱でさえ燃え落ち、くすぶっている。再び夜の暗がりと静けさが戻ってきた。母屋の方でも争いは大体収まったのであろう。

「……そうか」

 梅津はくるりと踵を返し、河津と相対す。

 その背中には、先ほどまでの恐怖などなかった。そこにあるのはただ一人の、哀れな思想家の末路だ。

 梅津神之助はここで死ぬのだ。大勢の人間を巻き添えにして。

 彼にはそれ以外の死に方は許されなかった。一部の熱狂的な信者が彼の思想を受け入れた時から。この死は宿命づけられていた。

 本当ならば五年前に死んでいたはずだ。兵衛家の当主は殺されなくて済んだはずだった。しかし武人としての腕前が、それを許さなかった。

 白鳥はふらふらと近づいた。神平が呻き声を上げていたが、そんなことは構わない。梅津は絶対に殺さない。今までと同じだ。彼は理由もなく人間を殺したりしない。

 再び激しい鍔迫り合いが展開された。白鳥はその真っ只中に飛び込んだ。河津が目をひんむいて後退し、梅津は全てを承知して、右腕を無防備に振り上げた。

 白鳥はその手を掴んだ。説得することも、生け捕ることも不可能ならば、道は一つしかない。約束された道へ、彼を葬り去るだけだ。

 三度、河津が大上段に構えた。梅津の左手からは滝のような血が流れ、もはや振り上げることさえ叶わなかったのだ。

 母屋の方からは神平家の武士達がやってきていた。彼らの目に、この光景はどう映っただろう。

 静かに佇む月の下、梅津は勁烈な拝み打ちを受け、頭から、そして腹から大量の血を吹き出しながら崩れ落ちた。

 その血で真っ赤に染まった白鳥は、安らかな表情で絶命した哀れな男を見て、あまりの疲労感から膝をついた。

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