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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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梅津神之助の末路④

 実力は拮抗していた。足りない分の力量を気合いで埋めた河津が善戦したといってもいい。

 激しい鍔迫り合いは力のほとんどが逃げ場を失い、まるで立ち止まっているように見えた。けれども視線ははっきりと相手を捉えている。一瞬の隙を見せれば、確実に殺されるという直感がある。

「……随分と必死だな」

 梅津はこの状況でも笑みを絶やさなかった。それが彼の面上に凝り固まっているのだろう。

 一方で河津は汗みずくだ。髭に覆われた口元で白い歯がむき出しになり、相手の問いに応える余裕もないのか、低くくぐもった呻き声を上げた。

 その時、河津の背中に傷があるのを見てとった。それは着物を切り裂き、肌まで達していた。よほど深いのか、今なお乾いていない血が炎に照らされて光っている。

 二人はほぼ同時に相手を押しのけ、距離を取った。

 河津は体を大きくわななかせ、必殺の大上段に構える。その荒い息遣い、そして喉を鳴らす音は、彼の動揺をはっきりと示していた。

 他方梅津は余裕ぶっている。しかし、白鳥の目には僅かな違和があった。何故かは分からない。しかし梅津の方も追い詰められているように見えた。

 母屋の方で再び爆発が起きた。鯨波が湧き、夜の闇を貫く炎の槍が立ち上る。河津は激しく舌打ちをし、梅津は穏やかな笑みを浮かべて頷いた。

「君」

 梅津はこちらを見ようともせず、白鳥に声を掛けた。

 まるで眼中にないと言われた河津は大声を上げながら打ちかかり、梅津は獣じみた跳躍でそれを避けた。河津は殺気をむき出しにして、返す刀で追撃を浴びせ、梅津はこびりついた冷笑でそれを弾き返した。

 お互いに、もはや剣士としての品格は失っていた。そこには野生の、本来人間が持ち合わせていた残虐さだけが横たわっている。敵を殺すという一念により、二人は人間離れした動きで体の位置を入れ替えた。

 一瞬の邂逅で、両者は相手に思った以上の余裕がないことを察した。

 髭面の中年同心は、そこでようやっと冷静さを取り戻した。痛む背中に顔をしかめ、同じく傷つき、震えている相手の左足を睨んだ。

「……随分と元気じゃねえか」

「君こそ。主を守れなかった割に楽しそうだな」

 その返答に河津が渋面を作った。その一瞬の間に梅津は白鳥の方に顔を向け、穏やかな声で言った。

「君、これまで見てきたものに何を感じた?」

 また河津が声を振り絞って突撃した。梅津は華麗な体捌きでくるりと回転し、河津の背中にもう一筋、傷を付けた。呻き声を上げた河津は、さらなる追撃をしゃがんでかわし、相手のお株を奪う、見事な袈裟斬りを放った。

 その鋭い剣閃が梅津の左腕を飲み込んだ。初めて彼の眉間にしわが寄り、刻みつけられたはずの笑みが苦悶の表情に変わった。

 それでも梅津はさらなる剣の軌道をかわしながら、白鳥に問い続けていた。

「君は何を見た? この壊れゆく世界に何を感じた?」

 段々と梅津の体に傷が増えていく。問うている間、彼は回避に専念したが、平野に傷つけられた左足と、そして体中についた傷とに苦しめられていた。

 これを機と見て河津は一気呵成に猛進する。梅津は反撃をすることもなく、それを避けようと傷を増やしていく。

 血にまみれた梅津は無言で白鳥を見つめていた。答えを待つように。促すように。それもまた河津の攻撃を完全にかわしきれない要因となった。

「答えるな……」

 と足元で神平が呟いた。彼は青白く、生気が半分失われたような、恐ろしい姿になり果てていた。

 確かに答えなければ、いつか河津の一閃が捉えるだろう。そうすれば梅津は死ぬ。何もなせないままに。今度こそ確実に死ぬ。

 しかし、それが河津や神平や、果ては中津国に背くことだとしても、白鳥には口をつぐみ続けることが出来なかった。

 不義理に思えたのだ。商人たるもの、誠実であれと言うのは白鳥一族が代々体現してきたことだ。

 今、梅津に返答することが、白鳥家の次男、徳次郎の中に植え付けられた善良さの証明になるのだと信じて疑わなかった。

「……あなたは正しい」

 言葉が口をついて出た瞬間、梅津が右手を振り上げた。片腕一本で河津の全力の斬撃を受け止めた。その面上には再び笑みが張りつき、神平は不満げに呻き声を上げた。

「でも、間違ってもいる」

 眼前では、自分の善良さの証明が何を生み出したのかを露わにしていた。梅津は本当に右腕だけで相手を押し込み、その迫力に圧倒された河津は次第に後じさりを始めた。

 梅津の笑みはますます深まり、河津は青ざめた。背中から血がしとどに流れて、今や玉のような血液が地面に模様を作っていた。

 河津は乾坤一擲とばかりに腕力で相手を押しのけ、大上段から渾身の拝み打ちを放った。それはまさしく神速だ。梅津でさえも多少の幸運がなければ避けきることは叶わなかったはずだ。

 けれども梅津はそれをくるりと回転して避け、達人にしか見極められない、瞬きよりも短い隙をついて胴を薙ぎ払った。

 だが、片腕だけということもあり、腹わたを抉るほどではない。河津は腹の傷を抑えながら飛び退り、距離を取った。

 凄惨な一瞬を見てなお、白鳥の口は止まらなかった。

「確かに、生まれながらにして地べたを這いずりまわる奴と、地べたに足をつけずに生きられる奴がいるのは間違っています。僕が言うのもなんですが、その間にある峡谷が、越えられないほどの幅と落差を持っているのも大きな過ちでしょう」

「……ならば、何が承服できない?」

「それをあなたが言うんですか?」

 梅津は弾けるようにして後ろに跳躍し、相手との距離を取った。

 彼は怪訝そうな顔で振り返った。河津の方は、突然の行動に息を切らしながらも体勢を立て直し、再び大上段に構えて集中を深めていた。

「あなただって上にいる人間ではありませんか? 梅津家に生まれ落ちた時から、今まで」

「私は世界を変えるために、最善を尽くしただけだ!」

「それだって……あなたは傲慢だ。お父さんと同じで。自分勝手なだけですよ」

 梅津の顔色が変わり、白鳥は眉間のしわを深めた。彼が言われたくない言葉だったろう。否定したはずの父と同類だ、なんて。

 もちろんかつては白鳥だって同じだった。けれども今は違う。その類似は白鳥家の証明なのだ。その血が流れる者にあるべき姿だ。何ら恥じ入るところはない。

 だが、梅津にとっては屈辱だ。自ら人生を賭けて否定したものを引きつけていたのだから。彼は泣きそうに顔を歪めていた。

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