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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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梅津神之助の末路③

「梅津!」

 ひっそりと静まり返った客殿を前に、白鳥は体を震わせた。

 辺りに人の気配はほとんどなかった。しかし、いくつかの息遣いは感じる。それが人なのか獣なのかは判然としないが。

 けれども一つだけ言えることは、梅津がこの近辺にいるということだ。

 あの男は中途半端じゃない。神平を追い詰めたまま、逃げることはないだろう。もちろん神平が屋敷を出たならば別だが、これまでの道のりで、そんな雰囲気は微塵も感じられなかった。

「どこにいる!」

 白鳥は闇の中に目を凝らし、毛を逆立たせた。

 商家で生まれ育った彼とて海の影響を受けなかったわけではない。

 かつて白鳥屋も当主自らが船を操り、物資を運んでいた。荒々しい船乗りだった時の血が、僅かにでも彼の中に残っていたのだ。

 白鳥は肩を怒らせたまま客殿の周りを歩き始めた。どこかから音がすれば、弾けんばかりに駆けだす腹づもりであった。

 しかし音はない。遠くから聞こえる争いの音以外に、彼の耳道を揺さぶるものは全くなかった。客殿の近辺では、空気も止まっているみたいだ。

 その時、白鳥は不意に視線を感じて振り返った。

 客殿を取り囲むようにして木々が生い茂っていた。その折り重なる闇の中から、うっすらとした影が這い出てきたのだ。

 血まみれの剣を持った梅津であった。彼は左手に男の首を握りしめていた。一瞬、河津か神平だったらどうしようかと思ったが、見覚えのない、恐らくは神平家に仕える武士の首だろう。

「梅津……」

 白鳥は目をひんむいた。梅津は全く気にかける様子もなく、大股で近付いてくる。

 その顔はもちろん、全身至るところまであまねく真っ赤に染まっている。そういう種族か生き物かと錯覚するほど、彼の肌には赤褐色が似合っていた。

「ああ、白鳥君じゃないか。生きていたのかね? それともここは黄泉の国?」

「前者ですよ」

 体の芯から来る震えに耐えつつ、白鳥は言葉を振り絞った。梅津は口の端を歪めるようにして笑い、男の首を投げた。それは無造作に鈍い音を立てて地面を転がった。

「奴らの姿が見えないのだ」

「……殺したわけじゃないんですね?」

 神平には河津や清之助を始めとして何人かの武士が付いていたのだろう。梅津はそれらを追い詰めた。この客殿まで。

「もし、そうなら、君に首を見せているだろう。連中は、人目も触れずに逃げたのだ。部下を犠牲にして、自分だけ」

 彼は着物の袖から丸型の爆弾を取り出すと、愛おしそうに撫でた。

「おびき寄せるにはよい手段だと思わないか?」

 その様子は尋常ではない。やはり彼も、本質的には白鳥を見ていない。うっすらとした笑みを浮かべ、なりふりも構わず静寂に鼻先を向けていた。

 彼が左手の指を強くこすると闇の中で一瞬の閃光が爆ぜ、面上を微かに照らした。

 爆弾の導火線に火が付いた。真ん中から火が灯ったため、行き場のない部分は地面に落ちてくすぶった。

 梅津は導火線を駆ける火に目を細め、それを無造作にも客殿の中に投げ入れた。

 一瞬の間があり、白鳥は思わず腕を上げて顔を隠した。

 勁烈な熱風が肌を刺し、酷い耳鳴りがした。突然燃え上がった客殿が闇夜を赤々と染める。その光景に、ほんの半瞬でも見とれてしまった自分が恐ろしい。

「君は私と同類だな」

 梅津は全く動じていない様子だ。

 客殿に付いた炎はあっという間に天に昇り、瓦葺の屋根が崩れ落ちた。骨組みとして組まれた巨大な柱や梁がその姿をむき出しにしている。豪奢な外郭ははがれ落ち、金や銀で飾られた部分は炎に飲まれて溶けてしまった。

 やがて、その中から二つの影が転がり出た。ご自慢の髭にくすぶる火など構いもせず、河津は急いで神平の体を叩いて火を消し、片膝をついたまま梅津を睨んだ。その面上は蒼白に歪んでいた。

 神平はうつ伏せのまま、ほとんどピクリとも動かなかった。梅津は目を逸らすことなく、そっと呟いた。

「君、行ってやれよ」

「え?」

「私はあの男を殺す。あの世で足手まといがいたから死んだと言われるのは心外だからな。君、町奉行の元へ行ってやれよ」

 梅津が何を考えているのか、白鳥には想像もつかない。

 見れば河津の顔面は脂汗で光っている。歯を食いしばり、険しい顔で白鳥を見ていた。ほんの一種視線が合っただけで考えが読み取れる。同意しているようだ。

 それで神平に近付いた。あの梅津の代名詞ともいえる袈裟斬りで、左の胴から右の肩にかけて、かなりきわどく斬りつけられている。痛みの為か脂汗を掻き、小刻みに呼吸を繰り返していた。

「河津さん……」

「話はあとだ。その人を頼むぞ」

 白鳥がその脇につくと、河津は剣を杖にしてゆっくりと立ち上がった。全身が傷ついている。梅津もまた手傷を負っていないわけではないが、河津よりは軽傷だ。

 神平を仰向けにさせる。傷は深いが内臓までは達していない。彼は力なく虚空を見上げていた。普段の掴みどころのない様子は、もはや全くなかった。

 眼前では二人が、白鳥達から距離を離すようにして移動していた。お互いに無形のまま相手を睨んでいる。

 客殿が音を立てて崩れ始めた。その度に細かな跳ね火が起こり、熱が押し寄せる。

 視線を転じると、二人の距離が段々と縮まっていた。最適な間を探っているようだ。実力は梅津の方が上だと思うが、それも僅差のことでしかない。

 ひときわ大きな梁が炎に飲み込まれた。その音が激しく響き渡り、そして火を纏った破片が二人の間に落ちた時、その僅かな距離は一瞬にして詰められた。

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