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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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梅津神之助の野望⑦

「な!」

 初めて梅津の驚いた声を聞いた。

 二人はもんどりうって倒れ、平野の方も支えを失って地面に転がった。白鳥は背中から半ば抱き締めるように、暴れる梅津を抑えつけた。

 梅津はもがいていた。もちろんのこと彼も平野との僅かな邂逅で消耗している。息を乱し、肌はじっとりと汗ばんでいる。

 平野が立ち上がった。彼女は右手をだらりと下げていた。今や真っ赤に染まり、動かすことさえままならないようだ。

 それでも彼女は剣を握りしめた。再び大上段に構える。

 その一瞬、白鳥の心に慢心がなかったとは必ずしも言い切れないだろう。全力で梅津の体を抑えてはいたが、渾身にも限りがある。

 梅津は、ふっと一つ大きく息を吐くと、突然体を翻し、白鳥の体を引きはがした。そのまま白鳥の体を盾にして片膝立ちの状態になる。

 その一瞬――自分が殺気立つ戦場の矢面に立ったのだという恐怖が体にまとわりつくまでの間――平野の顔を見ていなくて良かった、と思った。

 彼女はどんな顔をしていただろうか。部下ごと貫いてしまえばよいものを、次に聞こえてきたのは躊躇うような声と、梅津の右手から放たれる剣の風切り音だった。

「ぐ、うぅぅ……」

 平野の呻く声が倉庫に広がった。梅津はさらに白鳥の無造作に投げ飛ばした。剣が真っ赤に染まっていた。切っ先から血が滴り落ちている。

 仰向けに倒れた白鳥は、叩きつけられた衝撃ですぐには動けなかった。だが、だらりと広げた右手に、何か温かな感触がある。視線を向けると、着物の腹部を真っ赤に染めた平野が跪いていた。

 浮いた汗をぬぐい、梅津が冷淡な笑みを浮かべた。平野の剣を半ばから踏み折ると、気丈にも睨み上げる彼女に切っ先を向けた。

「殺せ……」

 平野は先ほど以上に汗みずくで、青ざめた顔をしていた。肩が激しく上下し、露わになった白い肌には血の飛沫が付いている。口元から吐く唾も、赤く濁っていた。

「そうだな……」

 梅津はそう言って平野の髪の毛を掴み、左の頬に刀身をあてがった。

 それを強く引く。それまで凛呼としていた平野の面上が、あまりの痛みに歪んだ。梅津は口の端を吊り上げるようにして笑い、大上段から、お返しとばかりに拝み打ちを放った。

 斬られた平野の体が、すぐに赤く染まり上がり、そのまま前のめりに倒れた。

 彼女の体から流れた血がじくじくと広がる。白鳥は、うつ伏せのままピクリとも動かない上司に手を伸ばした。

「平野さん!」

 しかし彼女は動かない。梅津は着物の袖で刀身を拭うと、そのまま刃を鞘に収めた。

 それを合図にしていたみたいに、若い男が倉庫の中に入ってきた。松明と、見慣れた木箱を持っている。梅津はそこで初めて白鳥の腕を縛り上げた。

 身動きが取れなくなり、男達の見事な手際を喚きながら見るしかなかった。

「君には失望した」

 梅津はそう言うと、木箱の中に入っている丸い物体を取り出した。若い男は松明を傾けている。何が起こるのか、嫌というほど分かった。

「それではな」

 爆弾の導火線に火がつけられると、若い男はさっさと倉庫から出ていった。梅津は、白鳥の手には届かない位置に爆弾を投げ、導火線が燃えていくのをじっと見つめていた。

 やがて充分に火が迫ったところで、梅津も踵を返した。

 だが、彼はすぐに振り返り、その煤の臭いが付いた右手を振り上げた。

 血溜の中に沈んでいた平野が体を引きずりながら襲いかかったのだ。しかしほっそりとした顎を掴まれ、そのまま叩きつけられた。傷口から血がこぼれ、梅津はその腹を強く踏みつけた。

 平野の口から血が漏れた。それでも彼女は闘志を失わず、折れた刀身を握りしめて、梅津の脛を斬った。

 彼は面上にあの穏やかな笑みを浮かべたまま、平野の腹の傷に触れた。その痛みからか彼女は取り乱した声を振り絞った。梅津は構わず傷を指でえぐり、それから頬を殴りつけて、倉庫から出ていった。

 散々痛めつけられた平野は、仰向けのまま、とぎれとぎれに息を漏らしていた。

 白鳥は、もがきながら彼女に近づいた。平野は震える右手で折れた刀身を掲げた。背中を向けると、ぎこちなく縄を切ってくれる。

「行け……」

 致命傷を貰っているにもかかわらず、平野はそう呟いた。

 だが、白鳥は彼女の体を抱きしめた。もはや逃げ場はないのだ。爆弾は手に届かぬ位置に転がり、倉庫の入り口は遠すぎる。

 彼女はそれでも冷たい体で抵抗したが、もはや白鳥の貧弱な腕力も振りほどけないほど弱り切っていた。

 平野の血と汗で濡れた頭を包みこむ。その直後に、激しい鳴動と衝撃が走り、二人の体を宙に弾き飛ばした。

 白鳥の背中には熱風が叩きつけられ、木っ端のように回転して倉庫の壁に叩きつけられた。その壁も半瞬にも満たぬ衝撃波に耐えきれず、あっという間に吹き飛んで、屋根ごと崩れ落ちた。

 それから僅かに十五分たらずで、瓦礫の中にいた二人は助け出された。

 二人を見つけた漁師は、慌てて近くに住む医師を呼びつけた。

 その彼は今晩市中で相次いで起こった不自然な火災と爆発騒ぎの怪我人を治療しているところだったが、白鳥屋の次男坊が被害者だと聞くとすっ飛んできた。

 そうして怪我の手当てを受けた。白鳥の方は奇跡的にも背中の火傷と僅かな打撲で済んだ。飛んでいた意識も、水をぶっかけられればすぐに戻った。

 彼は体についた血を確認し、すぐに周囲を見やった。

「こ、この辺りに女の人はいませんでしたか?」

 まだ体も本調子でないというのに、顔を覗きこんでいた漁師に掴みかかる。

 彼はこの大店の次男坊に肩を貸してやって、慌ただしく仕事をしている医師の元へと連れていった。

 人の目を憚ってか、医師の見習いや漁師の奥方連中が大きな布を持って視界を隠している。それらの脇を半ば這いつくばるようにして抜けた先に、血だらけの平野が横たわっている。その壮絶な姿に言葉を失った。

 いつになく真剣な顔をした医師が一瞬だけ顔を上げた。

「怪我はいいのか?」

「い、生きているんですか?」

「辛うじてな」

 彼はいつになくぶっきらぼうに答えた。その手並みはまさしく流麗で、澱みなく動いている。腹の傷、体についた傷、それから左の頬についた傷をあっという間に縫合していく。

「傷は、治るんですか?」

「あとは残るだろう。だが、生活には支障がないようにする」

 と、そこで医師が顔を上げ、酷い有様の白鳥に笑いかけた。

「着替えを済ませたら、さっさと仕事に戻れよ」

「え?」

「今晩だけで四件の爆発事件、十二件の火事だ。これが普通じゃないってことくらい、誰だって分かるぞ」

 白鳥は目をすがめた。漁師の一人が持ってきてくれた着替えに袖を通すまでの間、白鳥は梅津のことを考えていた。

 彼はどうする気だろう、と。彼はこの一件で何をする気なのだろう、と。

 そしてすぐに覚悟は決まった。たった一人信じてくれた上司の、血の気の失せた頬を撫で、医師にあとのことを託した。

 向かう先は神平家の屋敷だ。この時間帯なら神平はそこにいるだろう。

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