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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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梅津神之助の野望①

 夜の闇を掻きわける。海面を切る船の姿は、儚い月明かりのもとでもはっきりと大きく見え始めていた。

 あらんかぎりの力で走るうち、先ほどまでの後ろ向きな考えは消えた。むしろ今、船の正体を知りたい、という一心で白鳥は明日のことなど考えずにいた。

 船は、やはり漁村で止まった。

 波打ち際まで来ると、幾人もの男達が船腹から飛び降り、砂浜を掻く。その一方で船首に荒縄を巻き、陸地に上げようと引っ張る者もいる。

 一連の動きは整然とした神事のようにも見えた。それほどまでに男達は無言で、真摯で、そして洗練されていた。

 白鳥が追いついた時にはもう、半分ほどの男達が船から離れていた。残った半分も、順次船から降り、砂浜を横切っている。誰も彼もが大きな木箱を抱えている。

 男達は脇目もふらず、寂れた浜の近くにある小高い丘に向かっていた。夜の静寂を憚ってか、誰も声を上げないし、足音も立てない。幾筋かの足跡だけが砂浜に残された。

 丘の上には、うち捨てられた廃寺がある。背の低い竹林と、雑木林に囲まれた鬱然とした真ん中に。漁村の人口が減少したことで役目を終えたのであろう。本堂の屋根は半分崩落しており、それに伴って壁も所々が破損している。

 石畳、社務所、修練場。かつては栄えていた寺の荘厳な姿が思い浮かぶ。こぢんまりとしながらも設備の充実した場所だったのだろう。

 その境内には三十人ほどの若い男達が集まっていた。中央で大きな松明が一本、水分を爆ぜさせながら燃えている。

 松明の炎だけがその周囲の闇も、静謐も和らげている。そこだけが明るく、本堂の方にも僅かな影を映しだしていた。

 それが遠くの夜闇を強調していた。集まってきた虫が火に飛び入り、まるで流星のように燃え尽きる。男達は口も開かず、本堂の方を見ていた。

 寺を囲む竹藪に、白鳥は身をひそめた。

 やがて男達が身を律し、直立の姿勢を取る。それは同心達が平野の到来を予期した時と同じ光景だった。

 現れた人物にはさほどの驚きもなかった。

 梅津神之助だ。彼はいつもの通り不気味な笑みを浮かべ、男達を眺めやった。

「諸君、よく集まってくれた」

 ぼそぼそと低い声で話を始める。間の悪いことに、急に丘の辺りに風が吹き、遠くの方からも潮騒の音が流れてきて、梅津が語りだした言葉の大半がかき消された。

 白鳥は内心で舌打ちをしながら、じりじりと前のめりになった。

 その度に笹の葉が揺れたが、もちろんのこと風もあって、全く気に掛けられない。

「――……我々の使命は一つだ。この世界を新しく―――」

 白鳥は目を瞑り、必死に梅津の言葉に耳を傾けた。

 彼は弁論で尊崇を勝ち取っているのだ。断片的ながら聞こえてくる言葉の数々は、どれも耳心地は良い。

「――無辜の民は、その純朴さから騙されて――。……見よ! 醜悪な権力者を。奴らは優しき隣人の善意につけこんで――。――これは解放だ。平等な自由と清廉な闊達さを取り戻すための聖戦だ。死ぬことを恐れるな。その犠牲は美しい……。真の愛国心の現れだ」

 梅津の思想にかぶれる可能性があると医師は言った。

 けれども実際は、その無責任な言葉を聞いているうち、白鳥は腹が立ってきた。争いに清濁があるのか? そして本当に新しい世界は彼の思う通りになるのか?

 疑問がむくむくと立ち上ってきた。

 梅津の話し声が止み、僅かながらの静けさが戻ってくる。

 白鳥はそっと目を開けた。彼我の差は十数メートルというところだろう。さほど離れているわけではない。その距離で、梅津の黒々とした瞳とかち合った。間に松明を挟んでおり、その暖色に彩られた彼の姿をはっきりと捉えた。

 その刹那、息が詰まりそうなほどの衝撃に包まれ、白鳥は竹藪の中で身じろぎをした。

 心臓が鷲掴みにされるような感覚が背筋を走ったのだ。この正体は何であろうか。不自然に跳ねた胸の辺りを撫でながら額に浮いた汗を拭った。

 もう梅津はこちらを見ていない。彼は熱弁を振るっていた。今や、具体的な方策にまで入り込んでいた。

「――まずは町奉行を殺す。秩序は革命を妨げる。不満を持つ人々が立ち上がるよう、その象徴を葬る」

 梅津がひときわ大きな声を上げた。それに誘われてか男達も低く唸るような声を返した。ひとしきりそれを享受したのち、梅津は興奮を抑えるよう手ぶりで示し、咳払いをした。

「あくまで我々が革命志士であることを忘れるな。略奪や、強姦はもってのほかだ」

 その笑みは白鳥にとって肝を冷やすような表情であった。けれども男達にはそうは映らず、誇らしげに頷いていた。

「……では、計画を実行する」

 それを合図に男達は、船から運んできた木箱を担いだ。

 この時ばかりは白鳥も必要以上に息をひそめる。何人かの男達がすぐ近くを通り、丘を下っていく。ほとんどは白鳥と同じく二十代半ばか、さもなければ若いくらいだった。

 彼らは脇目もふらずに闇の中に消えた。松明はまだ爆ぜていて、本堂のところでは梅津が一人、佇んでいた。

 彼は、じっと竹藪を見ていた。白鳥のことが見えているのか否か、それは全く分からない。けれども身じろぎ一つせず、面上には軽薄な笑みを湛えていた。

 その極限まで細められた目に、白鳥は肌を粟立たせた。心の底からの恐怖――平野に対して感じるものとは全く違う――が滲みだし、体中からどっと汗が噴き出す。にもかかわらず体は冷えていて、全く動けなかった。

 しばらく互いを見合っていただろう。梅津は溜息をついて、松明の火を踏み消した。すると先ほどよりも濃い闇が広がり、くすぶった炭がちらちらと未練がましく燃えた。

「……君の言葉は誰にも届かないよ」

 梅津はそう言った。はっきりと、そう告げていた。

 白鳥はその言葉にぴくりと眉を動かしたものの、相手はもうすでに闇の中に消えてしまっていて、真意を探ることは叶わなかった。

 どっと押し寄せた疲労感に苛まれ、地面に尻餅をついた。

 思いのほか汗を掻いていたようで、額を拭った裾はびっしょりと濡れていた。他にも着物が肌に張り付き、嫌な感覚がまとわりついていた。

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