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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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梅津神之助の陰謀⑥

 次いで向かったのは、中央部にある奉行所だ。

 そこでは梅津が事件を起こしたと大騒動になっている。その騒ぎを尻目に資料室へと入った。

 探し物は真坂がこれまで担当してきた事件について。

 彼は優れた同心だったらしい。同心になってから約二十年、事件を抱え込まなかった日はないという有様だ。もちろん関わった事件は膨大だが、調べるべきはたったの一つだ。

 目当ての記述を見つけた時、思わず口の端を露悪的に歪めたくなった。

 白鳥が手に取ったのは、都合三度も見る羽目になった神の国事件についての調書であった。そこには記述者の名前が記されている。その中に真坂の名もあった。

 以前にも読んだものだから、さして新鮮味はないが、今回は一つの――前回は読み飛ばしていた――情報が目につき、舌打ちをしそうになった。

 梅津神之助は一人の信者の裏切りによって破滅へと追い込まれた。彼は死を偽装してまでも市中から逃れねばならず、五年もの月日を逃亡生活にあてたのだ。

 その裏切り者の名は――。

「……金吾」

 そこにはっきりと、梅津の信者だったと記されていた。

 彼はそれほど良い家の出ではなかったようで、梅津と共に行動していたのは、商売のチャンスを見つけたからだった。その直感は正しく、彼は須根屋を創業するに至った。

 だが、彼の富への欲求は簡単には収まらず、ついには町奉行所の同心――これが真坂だ――と繋がり、梅津を追い落とすことでさらに飛躍した……。

 白鳥は、その資料を片手に思わず天を仰いだ。

 梅津が二人を殺した理由は、ここにあるのだろう。裏切り者と、それを助長した者への制裁。なるほど確かに筋は通る。妙に納得したくなる。

 けれども必ずしも全てすんなりと飲み込めないのは何故だろう。

 その答えは見出せなかった。……いや、見出す前に思考が途切れた。

 突然、資料室の扉が開いた。大股で、床を踏みならすようにして誰かが近付いてくる。その足音に聞き覚えがあり、慌てて神の国事件の調書をしまって別の物を取った。

「……白鳥」

 声の主は平野だ。白鳥はばつの悪い思いに駆られながら肩をすくめた。

「ああ、奇遇ですね。何か御用ですか?」

 努めて冷静に言葉を返したつもりだったが。平野の面差しが憤怒に彩られ、白鳥は顔をしかめた。胃がきりきりと痛む。女上司の眼光はそれだけ精神を切り刻み、激しい衝動ではらわたを抉ってくる。

「……ここで何をしている?」

 近付いてくる。その恐ろしい炯眼を湛えて。

 白鳥は自分の歯が打ち合わされる音に思わず眉をひそめた。相手は別段、危害を加えるつもりではなかったのだろうが、恐怖心が勝った。

 そしてなおかつ、怒りに駆られた平野の顔に、生温かな感情が流れているのを見透かして、得も言われぬ絶望にも似た衝撃が重ねられた。

 あの平野静に同情されている!

 そう叫んでしまいたかった。いつでも冷厳という言葉がよく似合う女が、そうした一面を装いながら自分に憐憫を向けているのだ。白鳥は愕然とした。

「べ、別に、何もしていませんよ。ひ、暇だったから、過去の事件を漁っていただけです」

「……お前が持っている資料、町奉行所内の掃除当番表だぞ」

「え?」

 思わず資料を確認してしまった。

 ここには沢山の調書があるというのに、運悪くもそれらとは全く関わりのない物を引き当ててしまったらしい。思わず舌打ちをし、資料を元ある場所に戻した。

「来い!」

 鬼の形相を浮かべた平野に掴まれて、無理やり外に出される。

 その現場に直面した他の連中は、その不運に手を合わせている。白鳥は何度も抵抗したものの、怪力で引っ張られた。

 たぶん転んだって引きずって連れて帰るつもりなのだろう。ならば抵抗するだけ無駄だ。

 無言で歩くうち力も弱まり、市中の西部に戻ってくる頃にはもう掴んでいるのかいないのか、分からないという状態になる。

 夕日が沈む南の港から潮騒が聞こえる。それに紛れるように平野がそっと呟いた。

「あまり不用意な真似はするな……」

 白鳥は思わず目をぱちくりとさせた。何だって? この女は今、何と言った?

 しかし問い返す機会はない。

 番所が見えてきて、ようやっと平野は手を離した。さっと乱れた着物を整えて、彼女は白鳥に身を寄せた。

「今、お前は疑われているんだ。この一連の事件で、お前だけが梅津を見ている。こうして事件を発見している。今は大人しくしていろ」

 平野はそう釘を刺し、もう帰ってもいい、と告げた。

 白鳥はしばらく立ちつくした。

 豆河通りの多少薄れた雑踏が、彼の疎外感をますます強める。番所には今日も煌々と明かりが焚かれていたが、その中に入る余地はなさそうだ。

 一瞬、番所の引き戸が開き、中に入る平野と忙しそうに立ち回る河津の姿が見えた時、ふっと力ない笑みがこぼれた。

 彼らの間に収まるようにして、見たこともない若い同心――と分かるのは印籠を持っていたからだ――がちょこなんと立っていた。

 つまり白鳥の立場なんてその程度だ。誰でも代替可能な、何でもない仕事をしていたに過ぎないのである。

 辞めてしまえ、という父と兄の言葉が耳道を揺さぶった気がした。

 急にいたたまれなくなってその場を離れた。頭にこびりついていたのは天野屋という名前だ。

 港の、それほど悪くない場所にその店はある。

 高齢の店主が一人で切り盛りしているからか、埃っぽく、煤けて見えた。その看板は海風に晒されて随分と痛んでいる。

 ぼんやりと店の外観を視界に収め、ここで働いている自分の未来を想像した。たった一人で、父と兄の言いなりになる人生だ。

 どちらが良い人生だろうか……。

 そこに自分の意思はない。まあ、同心のままいても、鳴かず飛ばずで終わるのは目に見えている。

どちらに行ったって袋小路に入り込んで、餓死してしまうような人生だ。

(誰が悪いのか? ……自分だ。問題は全部先送りにしてきたじゃないか)

 流れに身を任せて、辿り着いた先に文句を言うのは不公平だ。言いたければ自分で泳いで、どこかの岸に行きつかなけりゃならなかった。

 自分の人生は流木と同じだ。ただあるがまま、目の前にやってきた現実を処理することだけが許された行為なのだと思い込んできた。

 深く――それこそ腹の底、心の奥底から――太息をし、何もない真っ暗闇の海原を見つめた。

 自分はどこへ行くのだろうか。生まれてこの方考えたこともない問題だった。

 落胆で顔を歪めた時、遠くの水平線で小さな光の粒が煌めいた。その船は猛烈な速度で海面を切り進んでいる。

 明らかに港から外れていた。市中西部の、さらに西にある漁村の方に向かっているようだ。

 白鳥は、その船の動きに違和を覚えた。こんな時間に漁船が出ることはない。廻船の類なら、この港に来た方がいい。例え漁村に用があるのだとしても。

 ではあの船は何の用があるのだろう。そう思い立ち、彼は肉体の動くまま、足を動かした。

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